悲しき天使(Those Were the Days)
作詞・作曲:Eugene Raskin
Once upon a time, there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours,
Think of all the great things we would do
Those were the days, my friend
We thought they’d never end
We’d sing and dance forever and a day
We’d live the life we’d choose
We’d fight and never lose
For we were young and sure to have our way
La La La La La La
La La La La La La
La La La La La La La La La La
Then, the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If, by chance, I’d see you in the tavern,
We’d smile at one another and we’d say
Those were the days, my friend
We thought they’d never end
We’d sing and dance forever and a day
We’d live the life we’d choose
We’d fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days
La La La La La La
La La La La La La
La La La La La La La La La La
Just tonight, I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass, I saw a strange reflection
Was that lonely woman really me?
Those were the days, my friend
We thought they’d never end
We’d sing and dance forever and a day
We’d live the life we’d choose
We’d fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days
La La La La La La
La La La La La La
La La La La La La La La La La
La La La La La La
La La La La La La
La La La La La La La La La La
Through the door, there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh, my friend, we’re older but no wiser
For in our hearts, the dreams are still the same
Those were the days, my friend
We thought they’d never end
We’d sing and dance forever and a day
We’d live the life we’d choose
We’d fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days
La La La La La La
La La La La La La
La La La La La La La La La La
(訳詞)昔のことだけど、一軒の居酒屋があったの
そこで私たちは一、二杯グラスを乾して
私たちは時の経つことなんか笑い飛ばしてたわ
私たちが成すであろう素晴らしいことを考えて
あれはそんな時代だったわね、そうでしょ(友よ)
私たちは、そんなことに終わりはないだろうと思っていた
私たちは歌い踊るだろう、永遠と一日(ずっと変らずに)
私たちは私たちが選んだ人生を生きるだろう
私たちは戦いそしてけして負けないだろう
私たちは若かったし、私たちのやり方を確かに持っていた
ラララ…
それから、忙しい年月が私たちの傍を急いで過ぎ去った
私たちは(星空のような)煌めく考え方をその途中で失くしてしまった
もし、偶然、私があの居酒屋であなたにあったなら、
私たちはお互いに微笑んで、私たちは言うでしょう
あれはそんな時代だったわね、そうでしょ(友よ)
私たちは、彼らが終わることがないだろうと思っていた
私たちは歌い踊るだろう、永遠と一日(ずっと変らずに)
私たちは私たちが選んだ人生を生きるだろう
私たちは戦いそしてけして負けないだろう
あれはそんな時代だった、ああそうさ、あれはそんな時代だったね
ラララ…
ちょうど今夜、私はあの居酒屋の前に立って
いつもするように何気なくしていると
ガラスの中に、私が奇妙に映ってるのを見たの
あの淋しそうな女性は私だったの?
あれはそんな時代だったわね、そうでしょ(友よ)
私たちは、彼らが終わることがないだろうと思っていた
私たちは歌い踊るだろう、永遠と一日(ずっと変らずに)
私たちは私たちが選んだ人生を生きるだろう
私たちは戦いそしてけして負けないだろう
あれはそんな時代だった、ああそうさ、あれはそんな時代だったね
ラララ…
ドアを通ったら、馴染み深い笑い声が聞こえて来たの
あなたの顔を見えたわ、そしてあなたが私の名前を呼ぶのを聞いたわ
ああ私の友よ、私たちは年とったけど、賢くならなかったね
それは私たちの心のため、夢はずっと同じままなんだもの
あれはそんな時代だったわね、そうでしょ(友よ)
私たちは、彼らが終わることがないだろうと思っていた
私たちは歌い踊るだろう、永遠と一日(ずっと変らずに)
私たちは私たちが選んだ人生を生きるだろう
私たちは戦いそしてけして負けないだろう
あれはそんな時代だった、ああそうさ、あれはそんな時代だったね
ラララ…
https://youtu.be/6e_5SaFui4M
➡️1968年8月30日にリリースされた、英国ウェールズ出身の歌手メリー・ホプキン(Mary Hopkin,)のサードシングルで、B面曲はr「ターン・ターン・ターン(Turn! Turn! Turn)」
原曲は、コンスタンツィン・ポドレフスキー(Константин Николаевич Подревский)の詩に、ボリス・フォミーン(Борис Иванович Фомин, )がクレズマーないしはジプシー音楽の様式で曲づけした歌「Дорогой длинною(長い道)」で、1910-1920年ごろの作品とされています。
歌詞の内容は、昔の思い出を懐かしみ感傷に浸っている様子を描いたもので、訳詞は原詞をほぼ忠実に訳しています。
日本では森山良子さん(昭和44年)
広川あけみさん(昭和44年)
南沙織さん(昭和46年)
天地真理さん(昭和46年)
フランスでは、ヴィッキーが
またテレサ・テンが中国語で歌い、その他ドイツ語、トルコ語、スペイン語、イタリア語、イスラエル語、ロシア語等
でカバーされています。
日本語バージョンは、原詞とは違いますが、雰囲気は合致していると思います。
メリー・ホプキンは1950年生まれ。
1968年にポール・マッカートニーが、当時18歳の彼女をプロデュースして、この曲をリリースしたところ、国際的にヒットしたものです。
原題「Those were the days」は「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」という意味で、歌詞は、壮年期の人間が青春時代を思い返してロマンティックに美化している場面を描いています。
また邦題の「悲しき天使」については、日本で発売された当時、外国の楽曲に邦題を付ける際「悲しき…」や「恋の…」といった言葉を冠していたことに倣ったよるもので、英語歌詞の内容とは特に、と言うより「全く」関係はありません。
この曲は、京都の従姉、新潟の従姉がよく歌っていました。
英語曲としても、手頃に覚える事が出来たのが良かったと言っていました。
また曲ももの悲しく、思春期の従姉共にとっては、心に響いたのでしょうか(GSに夢中になっていたのはなんだった?)
おかげで私も怪しげな英語(擬き)で歌うようになり、大人連中に、かなり睨まれました。
今この曲を聴きますと、年のせいでしょうか、涙が出てきます(この曲に限った事ではないですが)
時代は巡り、無駄に年を重ねた男は、あの頃を懐かしみつつ、奥さんのNちゃんに支えられて生きています。
出来るならもう一度、あの頃に戻りたい…