忘れ得ぬ歌ぱーと825「放送禁止歌」 | 遊遊のブログ

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放送禁止歌

作詞:白井道夫
作曲:山平和彦 

世界平和 支離滅裂
人命尊重 有名無実
定年退職 茫然自失
職業軍人 時節到来
皇室批判 人蓄無害
被害妄想 原論統制
七転八倒 人生流点
七転八起 厚顔無恥
放送禁止 自主規制
奇妙奇天烈 摩訶不思議


衆院参院 百鬼夜行
失言放言 珍粉漢粉
農薬公約 有害無益
賭博収賄 不言実行
脱税小者 戦々恐々
汚職大者 天下泰平
七転八倒 人生流点
七転八起 厚顔無恥
放送禁止 一目瞭然
奇妙奇天烈 摩訶不思議


男女平等 親父格下
女房横暴 貧乏辛抱
売春禁止 欲求不満
痴漢続出 不満充満
猥褻行為 興味津々
赤線復帰 乞御期待
七転八倒 人生流点
七転八起 厚顔無恥
放送禁止 先刻承知
奇妙奇天烈 摩訶不思議


➡️1972(昭和47)年2月にリリースされた、山平和彦さんのセカンドシングルで、B面曲は「変化」
同年4月に同名タイトルのアルバムを発売しましたが、タイトル曲含む3曲が放送禁止となり、さらには発売禁止の措置を受けるという、この当時の、言ってみれば放送局側の「自主規制」(日本では国による検閲は禁止されている。従って建前は放送局の自主規制)に引っかかった曲です。

山平和彦さんは、秋田市立高校在学中に「秋田フォーク・ソング・クラブ」を結成し、高校三年生であった1970年にURCレコードよりレコードデビューをしました。
デビューシングルのA面は「7月21日早朝に」で、アポロ11号の月面着陸で沸き返る最中、原爆症でひっそりと亡くなった少女を歌ったものでした。

そしてセカンドシングルが「発売禁止歌」

ギター一本で弾ける、典型的なフォークソングで、歌詞は全て漢字ですが、普通に読めば良いだけのものです。

昭和47年と言えば、私が児童相談所に保護された年でした。
この年は
1月24日 - グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一発見。
2月3日 - 札幌オリンピック開催。
2月19日 - 連合赤軍によるあさま山荘事件。2月28日に全員逮捕。
4月16日 - 川端康成が逗子市でガス自殺。
5月13日 -大阪府 大阪市南区(現・中央区)千日前の千日デパートで火災。
5月15日 - アメリカから日本へ沖縄返還、沖縄県発足。
9月29日 - 田中首相訪中し、日中国交正常化の共同声明。
11月13日 - 衆議院の、いわゆる日中解散。
その他にも北爆再開とか、ミュンヘンオリンピックのテロとか、色々ありました。

しかしこの曲ですが、確かに政治や政府を揶揄してはいますが、放送禁止になるような曲ではありません。

言論・表現の自由が認められている国において放送禁止の対象となるものは、おおむね公序良俗に反するものや、犯罪を肯定するものなどがあり、日本では、以下のものが禁止されているようです。

電波法に定められているもの
日本国憲法またはその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する通信を発すること
わいせつな通信を行うこと
差別を助長する(恐れのある)言葉や表現
暴力や犯罪を肯定的に扱う言葉や表現

日本では憲法の下、放送法に基づき各放送事業者が制定する番組基準(俗に言う放送コード)の解釈に従い、すべて自主規制により行われている為に、天皇および皇室に対する否定的な扱いが(放送禁止とならないまでも)慎重になされるのは特筆されます(当然ですが)

しかし日本は、例え皇室や政府を批判しても、中国や北鮮みたいに、投獄やぶち殺されることはありません。
本当に良い国です。

昭和40年代の日本は、まだまだ貧しかった。
都会と田舎では、おそらく今の若い方が見たら、全く別の国に見えるかも知れません。

ですから「労働者の味方」を標榜する、破防法指定の政党に被れた若者が、色々な事件を起こしましたが、日本はぶれることなく進んで来ました。

この曲はそれを考えて聴くと、誠に微笑ましく思えるのです、私は。

ちなみにこの曲が放送禁止になった理由は、内容というより、タイトルにあったらしいです。

確かに舐めていますよぬ(笑)

山平和彦さんも、2004(平成16)年10月13日にひき逃げ事件で亡くなられました。52歳の若さでした。

山平さんとひき逃げ犯人の名前が、同じ「和彦」であるのは、偶然なのでしょうか…