忘れ得ぬ歌ぱーと818「四人囃子から高野悦子さん江 」 | 遊遊のブログ

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四人囃子から高野悦子さん江 

作詞:末松康生
作曲:四人囃子

おまえがおまえであるために
おまえがおまえでなくなった
雨の夜、おまえは死んだ
さよならをいうのには
晴れた朝のほうがいい
自分が自分であるために
つらい唄を唄おう


➡️1973(昭和47)年 に、プレデビュー・サウンドトラックとしてリリースされた、四人囃子の実質的デビューアルバム「ある青春/二十歳(にじゅっさい)の原点」の収録曲です。

オリジナルアルバムには、
今朝は二十歳
学園闘争
あなたはわたし
涙の年令
青春
煙草(夜part2)
四人囃子から高野悦子さん江 

「タイトルなし」は詩の朗読で
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい。
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう。
出発の日は雨がよい。
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい。
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら
そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく(後略)

6月22日、つまり最後の日記に記された詩です。

高野悦子さんは、昭和24年1月2日に、栃木県で生まれ、愛称は「カッコ」

昭和38年より日記を書き始め、昭和42年に立命館大学文学部史学科日本史学専攻に入学。

3年生だった1969年6月24日未明、二条駅-花園駅間の山陰本線で上り貨物列車に飛込み死亡しました。

死後、20歳の誕生日から自殺にいたるまでの内面の葛藤を綴った日記が同人誌「那須文学」に掲載。昭和46年、新潮社から「二十歳の原点」というタイトルで出版されます。

高野さんの死は当時北海道に移り住んでいた為、中学生に「二十歳原点三部作」を手にするまで知りませんでしたが、地元の新聞には掲載されたようです。

高野さんが学園生活を送っていた時期は、70年安保に代表された「学園紛争」の時代。

彼女が政治に向き合って、挫折の死を遂げたと、今なら簡単に言えますが、実際はどうなんでしょうか。
かなり薬も服用していたみたいですしね…

それは、この本を読んだ方々の、それぞれの感想や意見にお委せします。

この曲の歌詞は、たったこれだけで構成されています。
アルバムの中では、一番短い曲ですが、高野さんを悼む想いが詰まっているような気がします。

四人囃子は、1969(昭和44)年、森園勝敏さんと岡井大二さんが高等学校在学時に出会い、彼らと中村真一さんを加えた「ザ・サンニン」として活動を開始。
その後、坂下秀実さんが加入し「四人囃子」として1971(昭和46)年に結成され、何度かの散発的な再結成を経て、21世紀に入り再び活動を活発化させているグループです。

なお収録曲のうち「夜」は、アマチュア時代の高見沢俊彦さんが作詞。
クレジットは後にALFEEとなる「コンフィデンス」で、坂崎幸之助さんも共に制作に関わっていました。

https://youtu.be/2mAImU_DVIU