みにくいあひるの子
作詞:小平なほみ
作曲:菅原進
ぼくの背は ひくいのです
ぼくの目は 小さいんです
誰もふりむいて くれないんです
恋人なんて出来ないんです
こんなぼくだけど
生きていた方が いいのでしょうか
みにくいアヒルの子が
美しい鳥になったのは
オトギ話の中だけのこと
ぼくの夜は 淋しいんです
ぼくの愛は 迷い子なんです
町を吹きぬける 風なんです
友だちひとり ほしいんです
こんなぼくだけど
いつかいいことが あるのでしょうか
みにくいアヒルの子が
美しい鳥になったのは
オトギ話の中だけのこと
みにくいアヒルの子が
美しい鳥になったのは
オトギ話の中だけのこと
➡️1971(昭和46)年8月10日にリリースされた、ビリー・バンバン9枚目のシングルで、B面は「なんだか知らないけど」です。
ビリー・バンバンは、菅原孝さん、進さんの兄弟デュオですが、一時期ムッシュ中野こと、せんだみつおさんも在籍していました。
お兄さんがボーカルとコントラバスを、弟さんがボーカルとギターを担当していますが、お兄さんの奏でるコントラバス(ウッドベース)は素敵で憧れました。
この曲はセミアコのイントロから始まる、非常に覚えやすく、弾きやすい曲ですので、後年良く歌っていました。
言うまでもなく、アンデルセンの童話「みにくいあひるの子(Den grimme Ælling)」をモチーフにしていますが、今聴くとですが、当時の世相を反映しているのかな?と考えたりします。
昭和46年と言えば、勿論色々な事件があった年ですが、何より見逃せないのは、昭和30年代の小児ポリオやサリドマイド罹患者が、小学校高学年から中学校卒業位の年齢になっていた頃です。
これは私個人の意見ですから、異論は当然あるかと思います。
これについての批判はご自由になさって結構です。
当時私は9才でした。
前の年に、学研映画が「みにくいあひるのこ」を上映しています。
わずか21分の映画でした。
同時上映が
アタックNo.1
巨人の星だったと思いますが、私は観ていないので定かではありません。
この曲は、子供心に残った曲のはずですが、この年は「あの素晴らしい愛をもう一度」「花嫁」に耳を奪われた私でしたし、学校では「虹と雪のバラード」を毎日歌わされていたので、里子に行ってから歌い出したような気もします。
「みにくいアヒルの子が
美しい鳥になったのは
オトギ話の中だけのこと」
この部分は、児童相談所からの戦友であるC.Kちゃんと共有していました。
と言うより、諦めていました。
今は良い時代です。
諦めなければ何とかなる時代ですから…
明日はこどもの日。
C.Kちゃんは一度でいいから、親に雛飾りを飾って欲しかったと。
私は武者人形云々じゃなく、粽を沢山食べたかったな…