忘れ得ぬ歌ぱーと744「波蘭懐古」 | 遊遊のブログ

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波蘭懐古

作詞:落合直文
作曲不詳

一日二日は晴れたれど
三日四日五日は雨に風
道の悪しさに乗る駒も
踏み煩いぬ野路山路

雪こそ降らぬ冴えかかる
嵐やいかに寒からん
氷こそ張れこの朝
霜こそ起けれこの夕べ

ドイツの国も過ぎ行きて
ロシアの境に入りにしが
寒さはいよよ勝りつつ
降らぬ日も無し雪霰

寂しき里に出でたれば
ここはいずこと訊ねしに
聞くも哀れやその昔
亡ぼされるポーランド

かしこに見ゆる城の跡
ここに残れる石の垣
照らす夕陽は色寒く
飛ぶも寂しやしゃこの影

栄枯盛衰世のならい
その理は知れれども
かくまで荒るる物としも
誰かは知らん夢にだに

存亡興廃世のならい
その理を疑わん
人は一度来ても見よ
哀れ儚きこの所

咲きて栄し古の
色よ匂いよ今いずこ
花の都のその春も
真一時の夢にして


➡️明治陸軍でよく歌われていた軍歌で、当時の「小学唱歌集」にも掲載されており、軍歌ではありますが、広く歌われていました。

作詞者の落合直文といえば、私は青森歩兵第五聯隊八甲田山雪中行軍隊の悲劇を歌った「陸奥の吹雪」を思い出します(白雪深く降り積もる八甲田山(やこうださん)の麓原 …)ですが、人によっては「青葉茂れる桜井の」とか「孝女白菊」を思い出すかもしれません。

「波蘭懐古」は、叙情歌の範疇にはいるとおもいますが、戦前の軍歌集には「戦友」とともに掲載されていた曲ですが、時代が下がって「戦友が厭戦感を醸し出す」と言う理由で軍歌演習から外された部隊もあったらしいですが、この曲はなんとか生き残ったと聞き及びます。


この曲は釧路の叔母のお父さんが、兵隊時代に覚えてきたもので、私が釧路に来てから教わった曲です。
森繁久彌さんが歌っていたと思いますが、なんとも物悲しい曲調と歌詞に聞き入ってしまった小学2年生でした。

幼なじみのNちゃんは、この曲を知っているわけもなく、学校で歌うと…口ずさむ程度…師範学校出身の先生は「何処で覚えてきた?じいちゃんか。そうかそうか、いい歌を教えて貰ったな」とほめてくれたものです。

とうじの先生の中には、師範徴兵で兵隊に行った方もおられましたから、懐かしさを覚えたのでしょう。

この曲はシベリア単騎横断の、福島安正少佐がドイツから東シベリアまで1年半くらいかけて、冒険旅行をしたこと(これが1892年)を歌った歌で、当時ポーランドはロシア・プロイセン・オーストリアに分割併合されていました。それが「(聞くも哀れ)やその昔・亡ぼされたるポーランド」の意味です。

じい様は本当にこの曲が好きでした。また「戦友」や「討誹行」も好きでした。
勇ましい軍歌はあまり歌わなかった気がします。

優しい性格でしたが、伍長勤務上等兵だったそうです。

昨日、今日と、叔母の家のニス塗りをやらされていました。
叔母はじい様の物を整理。

うちの奥さんと姪っ子の千鶴は仏壇磨き。

従姉が買ってプレゼントしたCDプレーヤーをかけると森繁久彌さんの歌う「波蘭懐古」が流れてきました。

じい様が死んで、今日で20年になります。