忘れ得ぬ歌ぱーと741「西行き列車」 | 遊遊のブログ

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西行き列車

作詞:山上路夫
作曲:日高富明

どこへゆくのか あてなど無いけど
なぜか西には 何かがありそう
夕陽を追いかけ ひとりで旅立つ
どうして僕はいつでも 夢見て生きている
子供の頃の癖が 直らずに
愛の街など どこにもないのに


西行き列車は 夕陽に染まるよ
どこかで同じ夢見て 生きてる君がいる
僕にはわかる その眼見たならば
君を求めて 僕はゆくのか
愛の駅など どこにもないのに
君を求めて 僕はゆくのか
愛の駅など どこにもないのに


➡️1974(昭和49)年7月1日にリリースされた、ガロ9枚目のシングル「ピクニック」のB面曲です。

はっきり言って「歌いにくい」曲でした。
しかしこの曲をコピー出来た時は、ガロは既に解散しておりまして、私の回りでも「学生街の喫茶店」等の有名な曲は歌われていたものの、B面曲なぞ歌う人はいませんでした。

しかし「学生街の喫茶店」もB面曲です❗️

ガロはマークさん、トミーさん、ボーカルさんの三人組ですが、現在ご存命なのはボーカルこと大野真澄さんだけです。

この曲を作曲したトミーさんが一番早く亡くなり(昭和61年9月20日)マークさんが平成26年12月9日に…

まぁ、平成も30年になりますから。

当時この曲を聴くと、思わず釧路駅に行きたくなるような衝動に駈られたものでした。
私自身釧路育ちであっても、生まれ故郷が京都であり、2番目のお母さんが小樽の出身で、いずれも釧路の西にあるからです。

釧路から根室本線の上りに乗ると、14時25分の特急では夕陽を追いかけ、真夜中の連絡船を介して京都に着くのは、冬だと夕陽が沈む頃(17時48分)になります。

飛行機使えよ❗️の話ですが、当時飛行機は高嶺の花で、寝台車は「横になれる」と言う最高の贅沢で、庶民は急行のボックスシートに丸々1日揺られていたのです。

今なら間違いなく「急行券返せ❗️」ですね(笑)

私達釧路に住む人間にとって「西行き列車」は、暖かい街へ行く為の、生まれ故郷へ帰る為の必需品?でした。

奥さんのNちゃんもそうですが、海水浴をするには、小樽か新潟へ行くしかなかった時代で、西に行く上り列車に、憧れとときめきを感じていたのです。

この曲は、釧路に住んでいるからこそ実感出来た歌で、京都にずっといたならば、多分「ピクニックのB面曲」とでしか、私の心に残らなかったかもしれません。