作詞・作曲:森田童子
あの時代は
何だったのですか
あのときめきは
何だったのですか
みんな夢でありました
みんな夢でありました
悲しいほどに
ありのままの君とぼくが
ここにいる
ぼくはもう語らないだろう
ぼくたちは歌わないだろう
みんな夢でありました
みんな夢でありました
何もないけど
ただひたむきな
ぼくたちが立っていた
キャンパス通りが
炎と燃えた
あれは雨の金曜日
みんな夢でありました
みんな夢でありました
目を閉じれば
悲しい君の笑い顔が
見えます
河岸の向うに
ぼくたちがいる
風の中にぼくたちがいる
みんな夢でありました
みんな夢でありました
もう一度やりなおすなら
どんな生き方が
あるだろうか

イントロがギター一本だけと言うシンプルなものですが、童子さんの声が悲しいくらいにかすれて、聞き入ってしまう曲です。
この曲がリリースされたのは、昭和55年ですから、学生運動(80年安保闘争があるかな?と思っていましたが)も完全に過去のものとなり、私達も高校生ではありましたが、教職員組合の歪な教育は、表向き陰を潜めてはいましたが、全体的に「左寄り」であったのは、変わらなかったですね。
管理教育の厳しさには閉口しましたが、まぁ、当時の教師は「無能」に等しかったとしか言いようがありません。
この年に、児童相談所からの親友…いや戦友だったC,Kちゃんが亡くなりました。月曜日の事でしたが、朝礼で知らされた記憶はありません。
まぁそれはそれで良いのですが、みんな夢であったのです。
施設っ子の運命は、誰にも知られずヒッソリとが相応しい。
勿論私達は火葬場まで行きましたが、卒業式と重なった事で、ややこしい目にはあいましたね。
もう一度やり直せるならば、あの頃に戻りたいものです。
そして奥さんのNちゃんとも、やっぱり幼なじみで、父も母もそのままで…(それじゃNちゃんに会えないな)
やっぱり釧路がいいな。
悲しい思い出も沢山ありますが、楽しい思い出も幸せな現在もありますからね。
むしろ過去を「みんな夢でありました」と、堂々と言えるようになりたいものですが、故人が多すぎて、無理でしょうね。