忘れ得ぬ歌ぱーと664「泪橋」 | 遊遊のブログ

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泪橋

作詞:山本勣
作曲:寺山寿和

京の日暮れは東山
雨に打たれる疎水辺り 行きつ戻りつ偲びつつ
あの日の友はいま何処
泪でかすむこの橋は
誰が名づけた泪橋

一人二人とこの橋を
泪で渡って帰らない
ともに語ったあの世界 昔話と笑うのか
きっと帰ると手を握り 友と別れた泪橋


川の流れか時は過ぎ 
友の便りもすでに絶え
乾いたこころが残るだけ死んだ友さえ幻か
渡りきれずにまた戻る 虚しさだけか泪橋


独りぽっちが耐えきれず思わず友の名を呼べば
泪の顔は雨の中
みんな優しい友なのに
どこまでつづく悲しみは独りぽっちの泪橋


soon1975(昭和50)年1月20日にリリースされた、茶木みやこさん3枚目のシングルで、B面曲は「近いうちに帰ります」です。

茶木みやこさんは、同志社女子大学在学中の昭和45年、小林京子さんと共に「ピンク・ピクルス」を結成、1971(昭和46)年3月25日「僕にさわらせておくれ」でデビューしました。

その後1972(昭和47)年に「ピンク・ピクルス」解散の後にソロデビューし、1973(昭和48年)4月20日「雪の朝に」(B面曲は「マリー・マリー」)をリリースしました。

茶木みやこさんと言えば、1977(昭和52)年のテレビドラマ「横溝正史シリーズ」の主題歌「まぼろしの人」と、第二弾の主題歌「あざみの如く棘あれば」が特に有名ですが、知る人ぞ知る名曲が沢山あり、この「泪橋」もその一曲です。

そもそも「泪橋」は、東京の荒川区南千住と、品川区南大井にあり、南千住は「小塚原」の、南大井は「鈴ヶ森」の刑場があった場所で、罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者には、処刑される者との今生の悲しい別れの場で、お互いがこの橋の上で泪を流したことから「泪橋」とつけられたそうです。

が、この曲の歌詞「京の日暮れは東山…」とあるように、舞台は京都ですが、京都に「泪橋」はありません。

作詞の山本勤さんは「学生運動で次々と友人の方が亡くなり、東京に戻ってから作詞した…」と。

まだ学生運動の残り火が燻っていた時代。

彼等が何のために、何を求めて行動したのかはわかりません。

ただ言えるのは、それを知る人も語る人も、歴史に埋もれてしまった事だけ。

昭和50年の曲でありながら、もう歌う人…いや、知る人も少なくなりました。