作詞:阿久悠
作曲:森本太郎
さよなら ぼくの美少女よ
きりきり舞いの美少女よ
いつまでも いつまでも
色つきの女でいてくれよ
たそがれの
窓辺で髪をすき
いたずらに
口紅をぬっていた
あどけない
笑顔がまぶしくて
さりげなく背を向けた
日もあった
移り気は
夢の数と同じだけ
それぞれの心に
それぞれの夢を
さよなら ぼくの美少女よ
きりきり舞いの美少女よ
いつまでも いつまでも
色つきの女でいてくれよ
ふり向いた
瞳が大人びて
唇の微笑みが
気になった
去りぎわの
季節のあざやかさ
その裏のさびしさを
感じてた
想い出はいつも
揺れるメランコリー
それぞれのページに
それぞれの色を
さよなら ぼくの美少女よ
きりきり舞いの美少女よ
いつまでも いつまでも
色つきの女でいてくれよ
さよなら ぼくの美少女よ
きりきり舞いの美少女よ
いつまでも いつまでも
色つきの女でいてくれよ

1971(昭和46)年の解散から10年経った1981(昭和56)年1月、東京・有楽町の日劇が取り壊されるのを前に「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催され、往年のグループサウンズが再結成されました。
タイガースも、岸部一徳さん、森本太郎さん、加橋かつみさん、沢田研二さんの4名で再結成して参加し、翌年には岸部シローさんも加わった5名で「ザ・タイガース同窓会」と銘打って本格的に始動しました。
私のまわりで、この再結成を知って一番喜んだのは、多分従姉だったと思いますが、奴は当時東京に住んでいながらも、ウエスタン・カーニバルを見に行けなかったと言う悲劇を味わっています。
この曲はトッポさんがメインボーカルでした。
従姉にしてみれば、ジュリーがメインボーカルではないのが気にくわなかったらしいですが…
「82年コーセー春のイメージソング」としても使用され、Nちゃんに口紅をプレゼントした記憶はありますが、結構高かった様な…
今日は従姉と姪っ子が来ました。
お墓参りのあと、車を運転しながら従姉が口ずさんだこの曲に、私とNちゃんも一緒に口ずさみ、姪っ子はキョトンとしておりました。
何せ生まれていなかった訳ですからね…