作詞:山田つぐと
作曲:南こうせつ
夜が終わって 朝に僕を
かえしてくれる 朝の光が
僕をつつむ やさしく つつむ
君の笑顔のように
人生に始まりと 終りがあるなら
見とどけてみたい
たったひとつの 部屋の窓を
おおってしまう この光は
どこからか 何のために
そのはげしさで
僕に 夢をえがかせ
そして うらぎるのか
教えて欲しい
ここに僕が 居ることを
知っているのか お前にすれば
ちっぽけな 何もない
けれど 生きている
人生に始まりと 終りがあるなら
見とどけてみたい
見とどけてみたい

この曲は、パンダさんの作詞、こうせつさんの作曲・ボーカルで、歌いやすく、弾きやすい曲でしたが、なかなか原キーで歌える人は、私の周りにはいなかったですね。
この曲がリリースされた昭和48年は、万博もオリンピックも終わり、前の年には「浅間山荘事件」に代表される、赤軍派のゲバルト。省エネブームで街は暗く、何となく閉塞感があった年でした。
私とC,Kちゃんは、児童相談所から、養護施設に入所し、最初の夏休みを前にしていましたが、帰る家もなく、結局は施設のイベントに参加したわけですが、楽しかったですよ。
テントを張り、花火にご飯、キャンプファイアーを囲んで、みんなで歌った歌…
そんな中で、お兄さんがギターを弾いて歌ったのが「ふれあい」とこの曲でした。
そのお兄さんは、養護施設から教護施設に行き「15才の対面」のあと就職したは良いが、中等少年院に入りました。
私達には優しい良いお兄さんでしたのに…
「…ちっぽけな 何もないけれど 生きている…」
施設の子は、生きているんです。
生ける屍ではありません。
ロボットでもなく、心を持った人間…のつもりでしたが、施設はそれを許しませんでした。
お昼にNちゃんが来て、彼女の手を握っていたら、思わず涙が溢れました。
明日14時から手術。
目が醒めたとき、一番に奥さんの顔をみたいです。
それが私の「生きている」ですから。