作詞:覚和歌子
作曲:上野洋子
つゆおく野辺に 朝は訪れ
横たわるむくろを 陽は包む
花 抱く手を 銃に持ちかえ
何も祈らなかった 私なのに
遠く すませる耳は 翼
なぜ拍手は 満ちるのだろう
今 やさしい風の終わりに
胸を燻した 悔いと痛みが
ためらいながら 空に透けていく
何も持たずに 生まれたように
夢と同じものに 還れるなら
星 宿した 瞳の舟
もう 私は 分かちがたく
ただひとつの 歌に変わる
今 やさしい風の終わりに
2003(平成15)年7月30日にリリースされた、上條恒彦さんのアルバム「お母さんの写真」の収録曲です。昨年10月7日の「忘れ得ぬ歌ぱーと472」で紹介した「中央線」が収録されているアルバムです。
作詞の覚和歌子は「いつも何度でも」の作詞を、また作曲の上野洋子は、吉良知彦・松田克志の3人で結成したZABADAKのメンバーで、ソロになってからは、アニソンの作曲を手がけています。
この歌詞は、どう読んでも「反戦歌」の筈なのに、タイトルは「祝祭」
そもそも日本の祭とは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)で「祀り」「奉り」と書かれる場合もあるように、根底に流れるものは「感謝」であり「寿ぎ」「言祝ぎ」ですから、この曲のタイトルも、決しておかしくはありません。
とある宗派では、日本や世界のお祭りを「謗法」として戒めていますが、世界はともかく、日本のお祭りは、根底が「感謝」であり、また「地域の結びつき重視」「街興し」「伝統の継承」の色合いが強いので、目くじらを立てる必要は、私には感じられません(相撲も神事で、一種のお祭りです)
まぁそれはともかく、上條恒彦さんの歌は、やはり大人の歌です。
コーヒーでも飲みながら、じっくり聴くのが良いですね。
今日は釧路の厳島神社のお祭りで、朝から御神輿が街を練り歩いていました。
厳島神社は旧県社。創建 が1805(文化2)年で、市杵島姫命、阿寒大神、金刀比羅大神、秋葉大神、、稲荷大神、猿田彦大神、海津見大神を祀っていますが、私達は「弁天様」と呼びます。
珍しく夏日(27.6℃)になった釧路の街。
厳島神社の境内で、Nちゃんと飲んだコーラの味は、格別でした。