忘れ得ぬ歌ぱーと533「まちぼうけ~佐渡を恋うる詩~」 | 遊遊のブログ

遊遊のブログ

思い出の曲を、思い出と共に、気ままにアップしたブログです。

まちぼうけ~佐渡を恋うる詩~

作詞・作曲:武田清一

出雲の岬に 立たずめばよ
波間に見えるは 佐渡の島
盆のまつりも もうすぐ終わりよ
好きなあの人 またもどりゃせぬ
どうせこの身は
エンヤサ エンヤサノエ


遠く佐渡を ながめればよ
なぜか涙が 流れてならぬよ
私しゃ今年も まちぼうけよ
私の夜長は 淋しいものよ
どうせこの身は
エンヤサ エンヤサノエ
どうせこの身は
エンヤサ エンヤサノエ


soon1973(昭和48)年4月10日にリリースされた、日暮しのデビューシングルで、B面は「春が来たら」
この曲は、同日発売のデビューアルバム「日暮し」にも収録されています。

日暮しは、榊原(杉村)尚美さん、武田清一さん、中村幸雄さん、そして1974(昭和49)年のみ在籍の野間義男さんによるグループです。

日暮しは、武田清一さんが高校3年生になった1967(昭和42)年、同じ中学で2年下だった栗原清志・小林和生と「ザ・リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」を結成したのが原点でした。

しかし、フォーク志向の強い武田さんの脱退に伴いグループは解散。残った栗原清志さん、小林和生さんは、桶田賢一さんと再び組んで「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション」略して「RC・サクセション」を結成。

栗原清志とは、あの忌野清志郎さんの事です。


この「まちぼうけ~佐渡を恋うる詩~」は、作詞・作曲とも武田清一さんですが、典型的な70年代叙情派フォークです。


歌詞に出てくる「出雲の…」とは、良寛上人の出生地であり、松尾芭蕉の奥の細道にも登場し、江戸時代には幕府直轄の天領地となり、北前船の寄港地、佐渡島からの金銀荷揚げの地として栄えた「出雲崎町」の事です。

「井鼻」「尼瀬」「出雲崎」の海水浴場がありますが、町内の海岸の何処からでも、佐渡島が見えます。

芭蕉が「荒海や 佐渡に横とふ 天の川」と詠んだのも、ここ出雲崎。

この町は、いとこ達の住む「藤塚浜」より歴史があります。

新潟県の盆歌は、何故か哀愁を帯び、櫓の回りを、老若男女が躍り狂います。

お盆が過ぎれば秋。
秋が過ぎれば冬。

季節が巡る事の「畏れ」を忘れるかの様に…

お昼にこの曲を久しぶりに聴きましたら、黄色い連翹の咲く、藤塚浜に行きたくなりました。

私の身体が治れば、二人でのんびり行こうかしら。