作詞:阿木耀子
作曲:宇崎竜童
今さら想い出を
紐といてみても何になる
降り立つ駅には
人影も見えず
木洩れ陽だけがそよいでる
こんな町にもひっそりと
季節は巡り来て
行く春を惜しみながら
別れ唄をうたう
幾春別
トロッコの線路
辿って行けばその先に
幾春別
無邪気に花を摘む
幼い私がいるはずさ
昔のざわめきが
嘘のような家並に
置き去りにされた
自転車の車輪
風が吹くたび廻ってる
時がたてば
華やぐ町さえ面やつれ
行く春を見送るなら
目を閉じたままで
幾春別
心に刻まれた
セピア色のその景色
幾春別
北国の果ての
今は廃墟の故郷さ

「倉橋ルイ華」名義のアルバムはこれだけで、1988(平成元年)4月29日発売の「純愛 ~この愛に生きて~」では、倉橋ルイ子に戻っています。
昨年1月30日の「ぱーと176(ガラスのYESTERDAY)」でも紹介しましたが、倉橋ルイ子は北海道三笠市幾春別の出身で、彼女が生まれたのが昭和34年(私より2才年長)当時の三笠は人口6万人で、幾春別には「東洋一」の児童数を誇る「奔別小学校」がありました。
幾春別(いくしゅんべつ)はアイヌ語の「イ=クシ=ウン=ペット(彼方の川)」に「郁春別」の漢字を当てましたが、明治22年5月28日に村が発足した際に「幾春別」と改められたものです。
道央道の三笠インターから東に向かうと、10分位で幾春別町に入ります。
炭住のあとや、立て坑の櫓が残っておりますが、お寺が多く、街も昔の面影は残していまが、人影は疎らです。
とはいうものの、このような旧産炭地の風景は、この街だけではなく、夕張、美唄、歌志内、赤平、芦別、万字、雄別、尺別等々、道内のあちらこちらに残っているのです。
私や奥さん、従姉は炭鉱の閉山期を知っていますが、姪っ子に至っては、全く知らないみたいで、この曲を聴いて首を傾げていました。
この曲の阿木耀子さんの歌詞は、幾春別の情景を鮮やかに表して、竜童さんの曲にマッチして、聴くものを惹き付けます。
何時までも歌い継がれて欲しい、北海道の一曲ですね。