作詞・作曲:北原じゅん
ふるさとは宗谷の果てに
遠くかすんで今も尚
ちいちゃな頃の思い出のせて
かすかに浮ぶ樺太の島
生れ故郷のない淋しさを
星よお前は解っておくれ
二度と帰れぬふるさとは
今も変らずいるだろか
雪の山々氷の川よ
鈴をならして橇は走る
北は遠く北緯五十度
もう帰れないふるさとよ
もう帰れないふるさとよ

この曲は元々、のちの城卓矢さんとして知られる菊地正夫さんが、テイチクレコード専属の時代、実兄でありクラウンレコード専属の作曲家であった北原じゅんさんが、実弟に提供した楽曲でした。
北原じゅんさんは樺太の生まれで、少年時代の全期間を樺太で過ごした方です。
女性歌手たちの樺太望郷の歌は、高石かつ枝さん「おとめの像」
青山和子さんの「九人の乙女」「真岡の赤い花」「赤い花」等には、みなハマナスの花が、歌詞に読み込まれていますが、この曲には「北緯50度」が読み込まれています。
「北緯50度」は、言うまでもなく、戦前日本の最北端であり、唯一外国と陸続きで国境が設けられた場所でもあります。
私の祖父は、何をトチ狂ったのか、京都から樺太に行った人です。
海軍服役満期の後に、樺太鉄道に就職し、昭和34年2月5日ソ連引揚第17次船(樺太再開第六次)白山丸で日本に帰って来ました。
祖父は樺太を愛しており、ソ連を憎んでいました。
出来ることなら、樺太にまた住みたいと言っていたらしいですが、その夢も叶わず、40年前になくなりました。
昨日、奥さんのNちゃんと共に、稚内へ片道400kmの距離を車を走らせました。
祖父の写真と、I,Kちゃん、C.Kちゃん、N,Kちゃんの写真を持って宗谷岬に行ったのですが、あいにくの天気で、樺太は見えません。
天気が良ければ、ハッキリと樺太が見えるのに…です。
その夜は、民宿で銚子を一本祖父の写真に供え、疲れた身体を横たえましたが、波の音が耳について、なかなか眠れません。
今朝は二人とも寝不足でしたが、何時の日か絶対に樺太に行こうと誓い合い、稚内を離れました。
釧路に到着し、やっと落ち着いた今、疲れたのでしょうか、Nちゃんはベッドで寝息を。
私も間もなく休みます。