真夜中の太陽
作詞・作曲:谷山浩子
寒い夜 暗い部屋 ひとりぼっちでも
凍える指を暖める人がいなくても
燃えろ 私の太陽 燃えろ その火を絶やすな
燃えろ 私の命 赤く 暗闇を照らして
信じてた人が去り 心に血が流れても
私はいつも変わらずに 私なのだから
燃えろ 私の太陽 燃えろ その火を絶やすな
燃えろ 私の命 赤く 悲しみをとかして
泣きながら胸をはれ 静かに朝を待て
木枯らしの丘にひとり立つ 孤独な樹のように
燃えろ 私の太陽 燃えろ その火を絶やすな
燃えろ 私の命 やがて世界が
光に満ちる 朝まで

今日までこの曲が、シングルカットされていたと思っていたのですが、違ってたみたいです。
この曲がリリースされた後になりますが、小山田いくさんが連載していた「ぶるうぴーたー」のタイトルにも使用されていたので、題名だけなら、谷山浩子ファン以外でも、知っている人が多かった様な気がします。
昭和56年と言えば、私は大学生の19才でした。
貧乏学生には、世の中の動きが判らない(実はテレビが無かった…)ので、うろ覚えですが、
マリンスタイル
ウールコート
ブルゾンが流行し、
レッグウォーマーが、人気を集めていました。
更にはこの年「ロリコンブーム」で、一般書店にも、8~16才位の少女ヌード写真集と、ロリコン関連本が沢山売られていました。
ロリコンブームと同じくして「なめネコ」(セーラー服やガクランを着た猫の写真やポスターが流行)が、物凄い勢いで流行しました。
「横浜銀蝿」の影響もあったかも知れません。
当時既に車の免許と、自動二輪の免許を持っていたとは言え、乗るものがないので、Nちゃんとのデートは、いつも繁華街を歩くか、公園でボードに乗るか位でした。
あの頃Nちゃんと、色々話し合ったものですが、彼女は私の太陽だったのは、間違いありません。
今に至るも太陽なのですが、私は昨日から、今年2度目のインフルエンザに罹患し、寝室を別にしています。
先程、アイスノンを変えてくれましたが、彼女に移らないことを願うだけです。
今は私の身体が、太陽なみに熱い…