作詞:岡林信康・大谷あや子
作曲:岡林信康
1…うちがなんぼ早よ 起きても
お父ちゃんはもう 靴トントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん 何処に行ってしもたのん
うちの服を 早よう持ってきてか
前は学校へ そっと逢いにきてくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
誰もお母ちゃん 怒らはらへんで
早よう帰って来てか
スカートがほしいさかいに
チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
2…うちのお父ちゃん 暗いうちから遅うまで
毎日靴を トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつも金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやで お母ちゃん 家を出て行かはった
おじいちゃんに お金の事で
いつも大きな声で 怒られてはったもん
みんな貧乏のせいや
お母ちゃん ちっとも悪うない
チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし

この曲は、知り合いの小学生の女の子(大谷あや子ちゃん)が書いた詩を補作しながらギターで曲をつけたそうです。
さて、この曲の何処が「放送禁止」に引っかかったのか?
一説には「貧乏」と言う言葉が入っているからだと言いますが、実は「手紙」と同じく「披差別部落」を歌ったことから、放送禁止になりました。
お父ちゃんの職業は靴屋さん(靴製造職人)です。靴製造には皮を使います。
皮革工や屠殺業は「披差別部落」の人達の仕事とされていたからです。
しかし部落解放同盟は「手紙」にも「チューリップのアップリケ」にも、赤い鳥の「竹田の子守唄」にも、一切クレームをつけていないのです。
つまり放送側が、過剰に反応して「自粛(放送禁止)」にしたようです。
放送側は、大谷あや子ちゃんの想いを汲み取るより、保身に走ったのでしょうね。
私はこの曲を聴くと、今でも涙がとまりません。