作詞:寺山修司
作曲:田中未知
時には母のない子のように
だまって海を みつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に 出てみたいだけど心は すぐかわる
母のない子に なったならだれにも愛を 話せない
時には母のない子のように
長い手紙を 書いてみたい時には母のない子のように
大きな声で 叫んでみたいだけど心は すぐかわる
母のない子に なったならだれにも愛を 話せない
「時には母のない子のように」は、1969年(昭和44年)2月の発売で、カルメン・マキさんが17歳のときの曲です。波の音とハーモニカのイントロ。
歌い方は、ひと言ひと言噛み締める様な感じ。
当時小学校2年生だった私にも、涙を流させる曲でした。
その二年前に、京都から北海道に、養子として移って来た身でしたから、尚更だったのでしょう。
時代は、70年安保闘争で騒がしい時代でした。
ゲバ棒
ノンポリ
代々木派と反代々木派
全学連に全共闘
赤旗とインターナショナル
こんな言葉が、7才児の耳にも、否応なしに入ってきました。
大人達にとって暗い時代に流れた暗い歌。
そして何時までも消えず、心に刻まれた歌…
子供達と言うと、翌年に開催される「大阪万博」を楽しみに、「世界の国からこんにちは」を、未だ見ぬ大都会を想像しながら歌っていました。
1968年から1970年の3年間は、なんとも奇妙な時代だったような気がします。