忘れ得ぬ歌ぱーと41「縁切寺」 | 遊遊のブログ

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縁切寺
作詞・作曲:さだまさし

今日鎌倉へ行って来ました
二人で初めて歩いた町へ今日のあの町は人影少なく
想い出に浸るには十分過ぎて
源氏山から北鎌倉へ
あの日と同じ道程で
たどりついたのは 縁切寺
ちょうどこの寺の山門前で
きみは突然に泣き出してお願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら 生きてゆけない
あの日誰かに頼んで撮った
一枚きりの一緒の写真
納めに来ました 縁切寺
君は今頃 幸せでしょうか一度だけ町で 見かけたけれど
紫陽花までは まだ間があるから
こっそりと君の名を 呼ばせてください
人の縁とは 不思議なもので
そんな君から 別れの言葉あれから三年 縁切寺

soon縁切寺」は、1976年1月にグレープがリリースした最後の楽曲で、その後バンバンが1976年8月にカバーしました。

東慶寺は1285年(弘安8年)の創建(臨済宗円覚寺派)
かつては「駆け込み寺」とも「縁切り寺」とも呼ばれる女性を救済するための尼寺で、東慶寺で三年間奉公をすれば離縁できるという「縁切寺法」がありました(五世用堂尼以降は24ヶ月に短縮鎌倉尼五山第二位。
山号は松岡山、寺号は正式名称は東慶総持禅寺と申します。

幼なじみのNちゃんと三浦半島を巡った折りに、二人でこのお寺に行っています。

高校1年の二人が、深い意味を持って参詣したわけではありません。

実を言うと、東慶寺と明月院を間違えてしまったと言うのが真相でして、何やら好奇の目に曝されていたな…と、釧路に帰ってから思い出した位です(苦笑)
当時の北鎌倉は駅も静かで、落ち着いた住宅街だったような気がします。
東慶寺には、1時間もいたでしょうか?
その後横須賀線の電車に乗って東京駅に向かいました。ちょっと奮発してグリーン車に乗ったのですが、Nちゃんとは手をずっと握っていました。

今でもNちゃんと会うと、三浦半島の旅を懐かしそうに話します。

当時の友達がいると、当然冷やかされますね。

青春時代の甘酸っぱい思い出を、テレビの影響とは言え、三浦半島で作れたのは幸せだったような気がするのは、やっぱり年のせいでしょうか(笑)