作詞 北山修
作曲 端田宣彦
花嫁は夜汽車に乗って嫁いで行くの
あの人の写真を胸に海辺の町へ
命かけて燃えた
恋が結ばれる
帰れない何があっても
心に誓うの
小さなカバンに詰めた花嫁衣裳は
故郷の丘に咲いてた野菊の花束
命かけて燃えた
恋が結ばれる
何もかもすてた花嫁
夜汽車に乗って
夜汽車に乗って
➡️1971(昭和46)年1月10日にリリースされた、はしだのりひことクライマックスの大ヒット曲で、B面曲は「この道」
ギターのイントロから始まる、70年代フォークソングを代表する楽曲で、一時期結婚式の定番曲のひとつでもありました。
しかし、駆け落ちの曲なんですけどね…
ヴォーカルは、藤沢ミエさん。
長い黒髪の美人さんで、でもはしださんとは真逆の低い声が印象的でしたが、暗いイメージのある駆け落ちを明るく前向きにうたっています。
シングル盤のジャケット内側にはメンバーのプロフィールが記載されているが、かなりふざけた内容になっていまして、例えばはしだのりひこの身長が「1ミクロ」体重が「0.5mmg」などです。
まぁ、はしださんは、あの「フォークル」のメンバーでしたから、このくらいのおふざけはするでしょう。
当時小学3年生(リリース時は2年生)だった私は「あの素晴らしい愛をもう一度」と共に大好きな曲でして、従姉と一緒に歌っていました。
従姉がエミさんのパートで、わたしがのりちゃんのパート。
ただ変声期になりますと、エミさんの声が出るようになったのはビックリでした。
この「花嫁」歌詞は北山修さんが書いたものとは別にもうひとつあったらしく、レコーディング時にはしださんから突然知らされた北山さんは驚いたが、こっちでも歌入れさせてくれと懇願され、歌入れ後どちらの詩を選ぶかもめていたところ、たまたま遊びに来ていた岡林信康さんが北山修版を気に入ったことから決まったという経緯があります。
このことがきっかけで、北山修さんとはしだのりひこさんは30年近く仲違いしていましたが、はしだのりひこさんが入院時に、この件について北山修さんに詫びたことで和解することになったと、2019(平成31)年3月9号の週刊現代「週現『熱討スタジアム』」で北山さんが告白していました。
それを読んだ私は、花嫁以降、北山はしだコンビが何故解消されたのかを知り、涙が止まらなかったのを覚えています。
これについて詳しく書いておられるKouさんと言う方が「名曲『花嫁』創作の秘密 ~はしだのりひことクライマックス~ 大ヒットの陰の意外な舞台裏」と言うタイトルでアメブロにアップしていますので、ご覧になってください。
ちなみに私ですが、この曲は、日に一度以上鼻歌で歌っています。
奥さんのNちゃんも、呆れて何も言いません。