思い出ではなく日常 | 全員サッカーへの、挑戦

全員サッカーへの、挑戦

関西大学サッカー部は
「全員サッカーで日本一」になるために
熱い毎日を送っています。

こんばんは。



先週の最終節で22歳の誕生日を迎えました、
人間健康学部4回生の勢古亜実です。

ついに私たちにも引退が近づいてきました。
実感が湧きません。
こんな最高の仲間と出会えるなんて思ってもなかったし、
特に同期は4年の仲とは思えない家族みたいな存在。


思い描いてた4年間とは全く違っていたけど、
間違いなく人生を作り上げてくれた4年間でした。

私のプレーヤーとしてのサッカー人生は
おそらくこの関西大学体育会サッカー部で幕を閉じます。

最後のブログは、
サッカー人生を振り返り、本音を綴ります。
誰かの心に残ればいいなと思います。





早速本題に入ります。





サッカーと横並びの人生は、
長いようであっという間で
私にとってかけがえのない時間だった。


小1でサッカーを始め、地元のクラブチームに所属した。
女子1人の中で中学卒業まで突き進んだ。

高校は女子サッカー部に入部して
最高の仲間と恩師に出会った。


中高大と進学する時、サッカーする以外に選択肢なかった。
サッカーが大好きという気持ちと
自分ってサッカー上手いんちゃう?てゆう過信で
何気なく続けてた。
中学では関トレ参加して高校では国体で決勝点決めて
インハイ出たこともないのに、大学で自分の実力示したんねんとか考えて
根拠のない自信で溢れてた。



そして大学は関西大学体育会サッカー部に入部した。

入部当初は関大最高!って感じで
1番に行って鍵開けて、
芝生でできる喜びで午後もボール蹴って
先輩と沢山話して、
毎週応援も行って。

でもリーグの出場機会はなかった。
この辺で、あれ?って思った。

最終節なんて試合途中で別会場の副審に行った。
移動中の車で泣きながらなうを見てた。

同期がどんどん試合出る中、試合出る事を諦めてセットプレー練習で必死に点取りに行った。
悔しかった。

最後の関関戦で初スタメンを掴んだ。
努力が報われた気がして本当に嬉しかったし、
こっからや!って思った。




2回生、今思えば辛いことの連続だった。

最初に述べておきます。
こんな思いをする後輩を二度と作りたくない。

2年目は紫紺のユニフォームを着て試合に出る
と意気込んだにも関わらず、
気がつけば着ていたのはGPユニで
勝てなくて2部降格した。

責任抱え込んで泣きながら練習して。

チームのため、チームのためって
自分の気持ちを押し殺すことが正義やと思ってた。

キーパーやめたくて仕方なかった時期もあって、
毎日何してるんやろ。ってやりたい事を犠牲にしているのが苦しかった。


「つぐみのせいじゃない」
そう言われるたびに胸が張り裂けそうになった。

キーパーにならなかったらこんな思いすることなかったのに。
ピッチに立つのが怖くなって、
練習行きたくないって初めて思った。


でも母の反対を振り切ってまでキーパーになる判断をした自分に、
キーパーをやめる選択肢なんてなかった。

だから振り返りたくない試合動画を何回もみて、
GPグループの皆んなに沢山質問した。

GPグループのみんな
快くTRに混ぜてくれたり、
アドバイスくれたり、
試合動画みてくれたり、
みんなの優しさが自分をここまで成長させてくれました。
本当にありがとう。

GPは思っていたより孤独で
本当にみんなを尊敬した。



3回生もキーパーをした。
副将にもなり責任はもっと増えた。

2部で勝ててたのもあって楽しかった。

でも少しでもポゼッション練習に加わると
強制されるキーパー練習。
自分の気持ちを尊重してくれないこの組織が許せなかった。

サッカーを楽しんでいる偽りの自分を演じてた時期もあると思う。

いつでも気持ちに寄り添ってくれた人、
離れて練習する時に声をかけてくれた人、
みんなが仲間って示してくれることに救われ続けた。
そして同期や先輩はいつも自由な選択を与えてくれた。
それがどんなに居心地良かったか。



ついに4回生。
わかってたけどまじで早い。

今シーズンは毎日全力でキーパー練習をすると覚悟を決めた。
まあでもキーパーで自分のサッカー人生終わるんかなとかそんなことも考えながら。


最上回生で副将の自分がこんなんでいいんかとか、
威厳なさすぎるやろとか、

主将のみはねと比べたり
去年の4回生と比べたり

チーム引っ張っていけるんかなって不安になって。

でもなぜか今まで以上に毎日が楽しくて、
みんなといる時間が幸せで仕方なかった。

後輩には毎日ちょっかいかけた。
すれ違うだけでお尻叩いた。
キッズ達かわいくて仕方ないねん。ごめんなもうちょっとだけ付き合ってな。

ピッチ内で仲間が削り合ってる瞬間、言い合ってる瞬間でさえずっと続けばいいのにって思った。


でも楽しいだけで勝てなかった。
楽しい空間でさえ苦しくなることもあった。


インカレ、本気でいけると思った。

やり残したことや悔いは何ひとつない。
何が足らなかったかなんて分からない。


どれだけ大敗しても、
後輩のみんなが
'勝ちたい'と言ったり行動していることが、
常に私の原動力となった。


だから後輩のみんなに伝えたい。

この4年間、誰に何を言われ、
誰から信用され、誰からの信用を失うか。

そんなのは誰にも分からない。

でもみんなの'勝ちたい'って気持ちは
みんなが思っている以上に大きい。

とにかく自分と横にいる仲間を信じて欲しい。

力を過信はしてはいけない。
毎日コツコツ積み上げているその努力を信じて行動に移してしてほしい。

みんなならできる。


インカレ出場、日本一

これを達成させるために
基準は自分でも横にいる仲間でもない。

常に上を目指し続け、周りを巻き込み、
それが多数派となり、集団となる。
それが日本一を目指せるチームなんだと。

サッカーや部活と向き合う時間が去年より増えた、例えそう感じていたとしてもその基準はあくまで自分。


疲労溜まってるから自主練は明日しよう。
じゃなくて、疲労が溜まる前に何ができたか。

眠いなぁ。
そんな言動を許さない組織に。

誰もがチームメイトからも信頼され、
周囲の人から応援される集団になっていってほしい。

入替戦までの2週間、まだまだ共に成長しましょう。





えっと。なんかここまでみると、暗くて苦しい4年間ですよね。
でも今だから心の底から言えます。




関大でよかった。



例えキーパーがいなくても、
授業で早退しなきゃいけなくても、
タスクに追われるくらいやる事が多すぎても、



本当に関大に来て良かった。




全勝で決めた2部優勝。
高槻の大応援の中の勝利。
セーブした後の歓声。
こんな最高な瞬間が待っていたからどんな苦しみも乗り越えることができた。


この関西大学体育会サッカー部でしかできなかった経験、出会い。
この関西大学体育会サッカー部でしか育まれなかった感情、人間力。

本当に価値のあるものでした。



家族のみんな、
サッカーを始めさせてくれて、
関大に進学させてくれてありがとう。
毎週応援に来てくれてありがとう。



同期のみんな、
自分たちは今シーズン、
努力が報われたかって言われると
そうじゃない苦しい年だったと思う。

そんなの感じさせないくらい、
チームのために必死になって、
何かを残そうと、全力で悩んで行動して。

'ついてくる奴だけついてきたらええねん'
'うちらの代やねんから胸張ろ'
何度もみんなの言葉や姿勢に救われた。

そんな同期に出会えたこと。
高め合えたこと。
いっぱい泣いて、言い合いもしたこと。

それが私がここに来てサッカーをした意味となり、
人生の財産となりました。


みんむ、しおり、みはね、さや、しほ

本当にありがとう。
残り少し、最後までやり切ろう。


サッカーという素晴らしいスポーツで、
沢山の仲間と出会い、喜怒哀楽を覚えました。
サッカーを通して覚えた感情が、
今後どのように自分の人生を明るくしてくれるのか楽しみで仕方ないです!


女子チームのみんな、
サッカー部のみんな、
マネトレのみんな、
スタッフのみなさん、
OBOGの方々、

整骨院の方々、
シラスの店長(バイト先)、
くりこさん夫妻(大家さん)、

地元で応援してくれてるみんな、
大学で出会った友達、
家族のみんな、


本当にありがとう!!



P.S.

'思い出ではなく「日常」'

最近で1番心に残った映画、
秒速5センチメートルのセリフです。


手放せない記憶、人、場所。
これらは思い出ではなく日常。
切り離された過去ではなく、今日の話。

過去の出来事が今の自分を作っているのに、
それらを思い出という言葉で片付けてしまうのはもったいない。

大学生活の全ての経験は
今の私を形成している「日常」です。

今を大切に、
そして出会いを大切にしたいと思える
素敵な映画です。

ぜひ観てください。
(番宣か。)





関大ありがとう!!