「挫折」/ 山中亮弥 | 全員サッカーへの、挑戦

全員サッカーへの、挑戦

関西大学サッカー部は
「全員サッカーで日本一」になるために
熱い毎日を送っています。

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どうもこんばんは


文学部4回生の山中亮弥です




もう気づけば大学生活最後のブログを書くことになり、充実している日々は本当に一瞬だなと寂しさを感じています。


さっそく本題に入っていきたいと思います。




みなさんは、挫折経験はありますか?






私は最近、小さい頃から目指してきたプロサッカー選手という夢を諦めました。







なぜ諦めたのかを書くまえに




自分のサッカー人生について振り返りたいと思う。



私の父がサッカーをしていたこともあり、その影響でサッカースクールに通い、初めてボールを蹴った。


そこで教えてくださったコーチに「本気でサッカーをしたいなら育成チームに来ない?」と誘われ、自分は笑顔でうなずいたことを今でも覚えている。



そして滋賀県のアミティエスポーツクラブ草津というチームで、私のサッカー人生が始まった。


このチームでは、監督やコーチの方々がサッカーを本気で楽しんでおり、さまざまなテクニックを教えてもらったり、試合中には「パスなしでドリブルするたびに絶対一回はヒールリフトをする」という縛りなど、難しいことにもチャレンジしやすい環境を与えてくれた。


そのおかげでサッカーの楽しさや、自分だけでなく見ている人も楽しませることの大切さを学んだ。



そこで自分は、プロサッカー選手になり、周りを楽しませる選手になりたいという夢ができた。


この16年間のサッカー人生に彩りを与えてくれたと感謝している。



小学生の頃には、小学5年生の時に京都サンガFC(Jr.ユース)から声がかかったり、ナショナル関西選抜に選ばれ、西日本トレセンのセレクションも受けた。



そして京都サンガFC(Jr.ユース)に入団。1年生では怪我もあって試合に絡むことが少なかったが、復帰後の2年生時には上級生チームでスタメンで出た時期もあった。3年生ではスタメンとして主力で戦った。






高校では滋賀県の近江高校に進学。


強化部2年目という歴史の浅い高校だったが、監督が元プロサッカー選手だったこともあり、「この高校の歴史を自分が作り上げたい」と思って進学を決めた。 


1年生時には、自分と下村の2人だけがAチームに上がり、お互いに刺激を受けながら練習に励んだ。時には2人で坊主にしたことも思い出。

また個人としては滋賀国体選抜にも選ばれた。

2年生時にはインターハイの全国大会でキャプテンマークをつけ、3年生時にはコロナの影響でインターハイは開催されなかったものの、選手権には出場。その選手権で初めて全国大会に出場し、2回戦の神村学園に敗れてベスト16という結果で終わった。

自分にとっては「歴史を作る」という目標を達成できたと思う。




そして大学。




もともと大学でサッカーをすることは考えておらず、高校からプロを目指していたため、どこの大学が強いとか何も知らなかった。




そんな時、高校の監督に関西大学のスポーツ推薦のセレクションを勧められ、言われるがまま受けた。



そこで、かなりパフォーマンスがよく、普段しないえぐいヘディングを決め、スポーツ推薦を勝ち取った。


そして関西大学に入学した。


入学前のスポーツ推薦者だけの練習があり、そこで最初に自己紹介した相手が龍大だったが、「そうなんや」の一言で終わった。いや、「そっちも自己紹介してや」と思ったけど、怖すぎて何も言えんかった笑




そこから始まった大学サッカー。







1年生時はBチームからのスタート。トップチームに入れないことに不満を感じ、不貞腐れ、サッカーに本気で取り組むことができず、ピッチ内外を適当に過ごしてしまった。周りにも相当迷惑かけていたなと後悔している。

この一年間は本当にもったいなかった。

そんな時、自分に向き合ってくれた松さんには本当に申し訳ないことをしたと今でも感じており、謝っても謝りきれない。




2年生時も変わらずFCだったが、新人戦では1、2年生チームの公式戦でメンバーに選ばれた。サブだったものの、この新人戦が自分を変えるきっかけとなった。

きっかけは、札幌大学との試合



後半30分。



0-0で勝たないといけない状況で、




名前を呼ばれ、途中交代出場。



そして



ワンタッチ目でボレーシュートゴール。




その点で勝利を掴みグループステージ突破。




このゴールは大学生活で一番気持ちよかった瞬間。



久しぶりに叫ぶほど嬉しかった。





サッカーのたのしさを改めて実感した。


自分が決めたゴールでチームが決勝トーナメントに進出できたことが、何よりも嬉しかった。


この試合をきっかけに、今までは自分のことだけを考えてサッカーをしていたが、ここで「チームのために」という気持ちが芽生えた。



新人戦後、数週間トップチームに参加することになった。






だが、ここで自分の弱さが出た。



走れない、


戦えない。



そういった理由ですぐにFCに戻された。




そして気づけば3年生に。



「ほんまになにしてんねんやろ」




そんな言葉が頭の中に常に浮かんでいた。



FCに戻ったあと、悔しくて、モチベーションが下がりそうになったが、


この頃のBチームの4回生から



「りょうやがおったらFCは助かる」



という風に声をかけてくれて



そこで前を向けれた。


入学して3年間、FCを共にしていた4回生が多く、仲もよく人情がある人達ばかりで、この人たちのためにもやらないといけないと、そう思った。


だからこそ、ここでメンタルを下げてる暇はなく、サッカーに向き合った。


3年生ではスタメンで出ることが多くなり結果も残せた。


また、ピッチ外のところで自分の生活よりチームの事を優先している、あきらやけんすけをみて、自分も何かチームのためにやるべきだと思い、応援をやろうと決めた。



1年の頃に比べてチームのためにお金を使って、応援しに行くなんて考えられなかったが、本当にここは成長したと感じる。



ピッチ内外の部分の意識が変わってきて、4年生では、トップチームに上がれると思っていた。






けれど甘かった。




4年生時には、FCから年下の同じポジションの選手が次々トップチームに上がり、自分だけがFCに残された。




「なんであげてくれへんの?」





本当にその気持ちでいっぱいだった。







トップチームに上がれない理由を考えても何がダメで上げてくれないのか、わからなくなって

もう上がるのは無理だと思いかけていた。




そんな中、温泉を一緒に行った、けんすけ、けんた、げんと、あきらが不満や悩みを聞いてくれた。

そこでけんすけが「最後はトップチームいこや」って言ってくれて、まだ諦めずに頑張ろうと思えた。





そして最後のインカレ。







FCから3人トップチーム参加に呼ばれた。

自分、なかじん、けんすけ

残り3枠をまだ登録されていないトップチームのメンバーと争うことになった。





 


絶対登録されたい








その思いで取り組んでいた。











自分の最後は、紫紺のユニフォームをきてピッチにたった姿を仲間や、親、友人、恩師いろんな人に見てもらいたい











そして、インカレで結果を残し、まだサッカーを続けたい。そう思っていた。













そして、インカレ前の最後の練習試合があった。それが最終の選考だった。そして試合終わりに監督に呼ばれた。



















結果は、登録漏れ。

















その瞬間、悔しさというか、今まで感じたことのない虚無感に襲われ








自分の中で何かが切れた気がした。








これが、夢を諦めた瞬間だったと思う。



小さい頃から今まで、目標にしていた夢は容易く終わりを迎えるんだと。




心の中のやりきれない自分もいるけど





自分がやってきた事が今の現状





何も言い訳できない。 







だからこそ自分は






後輩たちに「今なりたい姿は何なのか」を改めて考えてほしい





本当に叶えたいものがあるなら






この大学生活でゆっくりしている暇はない。






4年間は長いようで短い。






気づいたら目指していたものが達成できない




そんなことが起きないように。




一日一日を大切に。









次回は、付き合いでミラコスタに12万も使うあの人です。