「COLOR OF PERSON」/ 菊地孔明 | 全員サッカーへの、挑戦

全員サッカーへの、挑戦

関西大学サッカー部は
「全員サッカーで日本一」になるために
熱い毎日を送っています。


 

 

どーも。荷物が少ないことで有名な菊地です。

どうすれば最小限の荷物でいけるか毎晩考えて次の日を迎えます。そこでみなさんに荷物が超絶コンパクトに抑えられる且つ、見た目はお洒落お財布に優しいおすすめアイテムを伝授いたします。

 

・無印良品の「ポリエステルダブルファスナーケース Mサイズ 税込590円」

・おすすめの色は、オレンジ・紺色。

・Sサイズは小物入れ、Mサイズは着替え、Lサイズはパソコン、書類入れ。

 

また、ポリエステルダブルファスナーケースMサイズにSHIRO・ESOP・IL Bisonte・ヘッドホンを入れ、片手にスタバを持てば、壊滅的に私服がダサい石井飛雄馬くんでも一瞬オシャレに見えます。

ぜひ、みなさんお試しあれ、、、

 

 

前置きはこれくらいにして本題に入ります。

 

 

 

 何をやっても中途半端。

 

 

大学4年生になって気づいた。いや、これまで薄々気づいていたのかもしれない。

 

サッカーを始めたのは3歳の頃。地元の町クラブの監督をしている父の影響でいつの間にかボールを蹴っていた。いや、家の中や外でただボール蹴っていただけか。

 

     ほら、始まりが中途半端

 

小学校5、6年生の頃、県のトレセンに呼ばれた。ビブスの色で評価の基準がわかる。上から、ピンク・黄色・グレー・黒色。

最初から最後まで、黒色。

 

     はい、中途半端

 

中学生の頃、中学サッカー部創部以来、初めての全国大会に出場できたが、武田英寿擁する青森山田に0−6で敗れ、全国2回戦敗退。

 

     あ〜あ、中途半端

 

高校生の頃、1年生での国体には呼ばれず、2年ではインターハイ全国1回戦敗退、選手権全国2回戦敗退。3年ではインターハイ全国3回戦敗退、選手権全国1回戦敗退。

 

     中途半端3連続

 

関西大学体育会サッカー部に入部するも、1年目は怒られてばっかり。2年目、3年目はサッカーが嫌いになったり。4年目でやっと花が多少咲いたかな。

 

     中途半端極まりない

 

サッカー人生、約19年。振り返ると、良さそうで悪い。

 

     そう。

   中途半端だったなぁ〜

 

 

 

同期・後輩・地元のお世話になった人達からは、プロ行かないんですか?

その言葉、自分に期待して言ってくれた。 ありがとう。

 

正直行きたかった。いや余裕で行けると思ってた。J2とか余裕で。運が良かったらJ1も。

甘かった。そりゃ行けるわけない。

 

 

 でも、こんな生き方も経歴も中途半端な自分でも

 

大学4年・学生リーグ1年目   4ゴール・7アシスト

 

まぁまぁやれたほうじゃないかな

 

でも、「孔明らしく頑張れ」

 

そう思わせてくれた自分に大きな影響を与えてくれた人が3人いた。この3人が居たからこそ中途半端なサッカー人生でもやってこれた。

 

 

1人目。彼は中学・高校サッカー部でのチームメイト。中学の全国大会中に脳腫瘍があることがわかり、そこから抗がん剤治療。もちろんサッカーはできるはずがない。学校は行けない、普通に当たり前のようにみんなができていた青春を彼は病室で過ごしていた。

最後のブログだからこそ伝えようと思う。中学の際、彼を中心にチームメイトから自分と当時のチームキャプテンは多少省かれてたと思う。包み隠さず言うと嫌われてた。

これは家族はもちろん当時のチームメイトは全く気にしてなかったんじゃないかな。今では笑い話だが。そんな彼が病気になって当時は何も思わなかった。でも次第に、チームメイトだから心の片隅に小さな穴が空いたかのような気持ちになっていた。

 

 辛かった。でも彼はもっと辛かった。

 

だから高校3年間はプロになることは大前提。でも彼のために結果を残すことにも頑張り続け、結果は自分達の代で全国へ連れて行くことができた。

今も彼は病気と戦っている。彼の存在が、自分がサッカーからそう簡単に離れてはいけないと思わせてくれた。逆に彼が頑張っているからこそ自分も頑張ることで彼の頑張る活力になればいいなと思わせてくれた。

 

「ありがとう」

 

 

2人目は、母親。

 

まだ覚えている。小学5年生の夏。母親が倒れた。頭が真っ白になった。

何かの間違いだろう。何かの間違いであってくれ。ただの熱中症であってくれ。

家に帰ると人生を共にするパートナーが倒れたのに、「大丈夫」と言う空元気な父親がいた。自分の子供が悲しまないように頑張ってくれていた。姉たちは自分を悲しみと恐怖から守ってくれていた。

そこから母親は病気と一生過ごさないと行けなくなった。ストレスが溜まると発作が起き、お風呂もお湯にはつかれず、シャワー生活。運転はしては行けない。

唯一病気が良い方向に向かうためには、母親自身の気持ちの「喜び」「嬉しさ」が必要だった。

 

母親の「喜び」?

 

母親の代わりに家事をすること?家族のお弁当を作ること?仕事をすること?

 

違う。自分がサッカーで上に行けば行くほど母親は喜んでくれた。いや、サッカーだけじゃくて学校での話。たわいのないバカな話、失恋した話、逆に恋した話。これらを全力ですることで母親は喜んで話を聞いてくれた。でも1番の近道はやっぱりサッカーだった。

今では全く輝かない経歴の自分でも当時の大分では、一応有名な人の部類に入ってた。

そう。死ぬ気で頑張ったから。

プロになることはもちろん。1人目の彼のためにも。母親が元気になっていく姿を見たいから頑張れた。

 

全国へのトーナメント、リーグ戦、ちっぽけな練習試合、全国大会。全部の試合母親がビデオを撮ってくれた。全然ダメだった試合を映像で振り返り、父親に大分弁でボロボロに怒られた時、学校の宿題で毎日の日記を書くのがめんどくさすぎて、自分で書いた字が読めないぐらい汚い字でテキトーに15行ぐらいあるページを2行ぐらいで書いていることが父親にバレて深夜2時ぐらいまで書き直しの罰を喰らいながら大分弁でボロボロに怒られても、慰めてくれていた母親。

どんなことでも優しく味方してくれた母親。母親自身、辛くて悲しかったであろうに笑顔で「頑張れ」と常に言ってくれた。そんな母親の存在。めちゃくちゃ大きかった。

 

「ありがとう」

 

3人目は、父親。

サッカーを始めたのも、ガンプラが好きになったのも、ゲームが好きになったのも、顔が濃くなったのも父の影響。自分の人生の半分以上が父の影響を及ぼしていると言っても過言ではない。

 

そんな父から常に掛けられた言葉がある。

 

「1ゴール1アシスト」

 

サッカーの試合の時は必ず言われた。でも今考えると、これが日常生活でも大切なことであると気づいた。試合では、ただ単に点を決めてチームメイトのゴールを手助けすればいい。

ただそう思っていたが、生活に置き換えると結構難しかった。

 

自分も輝いて、友人も輝かせる。

 

未だに答えは出ていない。でもこれは周りからの自分に対する関わり方に答えがあると思う。いつの間にか人が集まってきている。友人といると笑顔が増えた。好きな人ができた。なんでもいい。

 

ただこれが大事だと気づかせてくれた父親。最初はそんな深い意味で言ったわけではないかもしれない。でもそう気づかせてくれるまで成長させてくれた。

 

なぜか最近父は、JFA日本サッカー協会公認のウェアオフィサージェネラルというものに就任していた。このウェアオフィサージェネラルという仕事は、JFAが主催する公式戦に帯同して、差別や暴力を排除するように試合を見届けるという仕事。いつか自分の父親が、浦和サポーターなどの暴走などを止めているのかなと思うと楽しみというか面白いかも。

 

こういったなんでも怖がらずにチャレンジする姿。

たくさん迷惑を掛けたはずなのに未だにサポート、応援してくれる姿。

真摯に相談に乗ってくれる姿。

 

ただただ尊敬します。

 

「ありがとう」

 

 

そろそろ長くなってみんなも読むのしんどくなってきているか。

もうちょっとだけ我慢してください。

 

サッカーを通じて様々なプレイヤー・関係者・チームメイト・スタッフに出会ってきたが、自信を持っていえる。

 

「関大サッカー部でよかった」

 

1年目では、後藤さんにほんまに嫌われているんちゃうかぐらいキレられて、まさ坊には集合5分前に4回生とゲラゲラ笑いながら何も仕事せーへんけど、1でいうと100で返ってくるから文句一つも言えへんし、中瀬古は「財布と相談するから」って言って遊び断られるし、黒田・長澤と3人でモブキャラやし、1年目の百田のことはあんま覚えてないし、芝山は女好きやし。

 

2年目は、あんだけサッカー好きな武が嫌いになるほど強く言って、チームの雰囲気悪くするまさ坊やし、ふーまは一生あの顔で文句言ってるし、長澤は毛濃いし、石井は後輩からいじられて怒るし、武はバリサッカー下手やし、打越はぶちぶち肉離れ起こすし、中瀬古はちょっとTOP参加しただけなのにそこからずっとTOPにいますって言ってたし、ふけちゃんは真顔で足裏スライディングかましてくるし、芝山は女好きやし。

 

3年目は、TOPスタートでなおやは尖ってるし、まさしは真面目インキャでおもんなかったし、ふーまとそういちは付き合ってた。でもTOPじゃ試合絡めなくてFCに落としてくださいって監督に言ってFCに行くと、たいちはリーグ実行委員でサポート完璧やったし、りんは声低すぎて何言ってるかわからんし、のぶは分析おじさんやし、しゅうせいはただイケメンなだけやし、とらは肉離れ起こして足遅くなったし、宮武は人のもの勝手に盗んで使うし、たけしは全国の試合中相手選手ぶっ飛ばしたったってダサいストーリーあげてるし、ひかるはたまにゴラッソ決めるけど平気な顔してたし、こうだいは膝裏黒いし、黒田は言うこと言う事そんな深い言葉じゃないけど、話のタイミングと間だけで話上手いやつみたいな印象操作するし、えいとは手でかいし。

 

4年目は、J1内定のなおや様とサッカーすると緊張するし、まさしは痙攣するし、ふーまとそういちは付き合って2年目やし、たけしは急にサッカー上手くなるし、石井は口からよだれがゲリラ豪雨やし、ともよは指短くて男運悪いし、まさきは試合中股しか狙ってなくて全部パス引っ掛けるし、百田は男好きで芝山は女好きやし。

 

他にも、たつきは腹出てるし、りょうせいは年上なのに影薄いし、たくみはうるさいし、しょうたろうは世界中の男の中で一番ちっさいし、じょうからは坊主のイメージ抜けへんし、てつやは漏らすし、おちは性格悪いし、大地は永久脱毛効果ないし、ともやは顔でかいし、けいたは国語の先生やし、ゆうやは足短いけどかっこいいし、けいはマグワイヤやし、松オジはおじさんやし、村上もちずきトレーナーおるし、女子5人は仲悪いし、あゆみは5分前おばさんやし。

 

コロナのせいで面白くない大学生活だと感じてたけど、なんやかんや自分はみんなと関わって濃かったなって綴りながら思う。結局関大サッカー部の2020年に入部した同期が最高だった。

同期がいたから頑張れた。家族がいたから頑張れた。小中高のチームメイトがいたから頑張れた。

自分は「○○が居たから」で支えられて生きてきた。

こんなに感情的になったことはない。

 

「みんなありがとう」

 

 

最後に、冒頭に中途半端だったと綴った。でもそれはサッカーでの結果の話。

 

後輩たち。現状、「大学選び間違えた」とか「サッカー辞めたい」とか思っている友達いたらこのブログを見せてほしい。サッカーは結果だけじゃないぞって伝えたい。

もちろんTOPチームで試合出たい。結果出してプロ行きたい。色々な思いがあると思う。

でも、試合にも絡めない、サッカー辞めたくなる、大学選び間違えたなど人並み以上に色々と思い、色々な状況を経験した自分だからこそ言えると思う。

辛い時期もあると思う。なんなら今が辛い時期の人もいるかもしれない。

大丈夫。周りを見れば関大サッカー部のみんながいるはず。自分も4年目で気づけた。これが関大の魅力。今悩んでいる人はまだ気づけていないだけ。もっと周りを見て、自分を、みんなを、関大を愛し愛されればいい。

 

「答えは相手」

岩さん。この言葉自分は結構好きです。サッカー中だけとは限らないから。

相手によって自分の行動が変わる。

皆さんもこの言葉について色々と考えてみてください。結構面白いです。

 

本当に最後の最後。ここまで読んでくれた方ありがとうございました。

今、自分の周りには、沢山の人の色で溢れかえった。自分に大きな影響を与えてくれた人たちの色。同期達それぞれの色。さまざまな人たちの色がある。この色達のおかげで自分の人生は鮮やかに彩ってきた。

でも、まだ自分の中には1色足りない。今あるどんな色より濃い色。

最後のインカレでみんなで染めよう!

 

紫紺の色で!

 

 

次は、一見強面だが掘りに掘ってみると深すぎるギャップにみんなをメロメロにしてしまうあの方です。