「PLAN B」 | 紫紺の戦士たち

「PLAN B」

はじめまして、本日ブログを担当させていただきます、文学部2回生の朱心怡(しゅしんい)です。


このブログは自分が3回になった時出すつもりですが、マネージャーのあゆに「しんいのブログ早く見たい」を言われたので、スペシャル計画として直前に出します。決めた日はちょうど秋篠さんがブログを担当して、自分のテーピングが褒められたからパンケーキを食べながら爆泣しました。ありがとうございます秋篠さん🥲、でも今度テーピングの時間より試合の方を測ってください。

あゆに文法の間違いを修正するを頼んだけど、しんいらしいの文章が欲しいので、こんな変な文章になりました。読み辛いけどちゃんと伝えてたら嬉しいです。
ちなみにこのブログが出た時私はもう中国に帰りました、退部していません。

あ、そうです、私は中国から参りました。もう4年目ですが、日本語はまだまだ下手です。


もうニ回生になったなのにブログははじめてです、何を書いたらいいのかを何ヶ月前から考えました笑。結局みんなが書いたように読んだら「あ、この人そう思ってるやん」のブログになれないから、今日は勝手に自分のことを話したいと思います。





題名は「PLAN B」です、皆さんはPLAN Bをご存知ですか?普通はある事に対して、PLAN Aが実行できない時PLAN Bを使います。簡単に言うとPLAN Bはサブの意味です。


自分の人生はいつもPLAN Bを選んでました。小学校の時は同時にダンススポーツと陸上のコーチに「才能が持っているから、ぜひ来てください」を言われました。女の子は多分90%ダンスを選びますが、自分はなんどなく陸上を選びました、しかも高校卒業までずっとやってました。


日本に来た時に「大学に入ったら絶対バレー部のマネージャーにする!」と思ったのに、サッカー部のマネトレを募集するインスタを見た瞬間でサッカー部に入ることを決めました。最初にマネージャー希望、毎回体験の時あゆに「ほぼ100%マネージャーやります」を言ったのに、最後はトレーナーになりました。


自分はどんな選択でも後悔していません、時々はもし自分が一回生の時に入ったら、大好きな先輩ともっと過ごせるかなと思ったが、時間は巻き戻せない。








しかし、どんなにPLAN Bを選んでも、自分はやはりPLAN Aになりたいです。


理由は単純に気が強いだけです。陸上はそれほど好きじゃないけど、他人に追いつけられたり、負けたりのは嫌いので10年間頑張りました。
 

自分は入部した何ヶ月後で、テーピングを巻きたいけど誰でも頼まれない時があります、この状況は何ヶ月、何年間続くかもしれんません。まあ、テーピング以外でも自分がPLAN Bになることがたくさんあります。本当に辛いすぎて、何のため一生懸命練習して早めに合格したいのかをずっと考えてました。だからその時は決めました、みんなが怪我した時や悩んだ時に「しんい助けて」を言えるようにして欲しい、別の人がおらんから私を頼むじゃなくて、しんいはPLAN Aやから任したい。


ずっとリハビリーして、せっかく復帰したのにまた怪我した選手は急がなくでもいいと思います。この時ちゃんとリハビリして、怪我したところを柔らかく、復帰した後怪我のリスクも減るし、体も強くなります。
ずっとサブになって、試合に出れへん選手もたくさんおると思いますが、誰も見てない時で頑張れば絶対いつかみんなに驚かせます。
どれぐらい追いつけなくでもプライドは捨てないでね。今は辛いけど、未知の道は綺麗の花が咲いてます。


私たち今はPLAN Bやけど、PLAN Aの人に危機を感じさせないといけないと思います。BからAの距離は遠くないから、気をつけないと私たちに追いつけられちゃうよ。


拙い文章でしたがここまで読んで下さりありがとうございました。