フランスに対しては、他国にはない、なにかカリスマ的なイメージを持っている人も多いかと思うが、私も強烈ではなくても、なにかしらフランスにしかない魅力のようなものを感じていた。それゆえ、セーヌ川を背景に繰り広げられるオリンピックの開会式はことのほか楽しみにしていた。

 

あいにくの大雨の中、繰り広げられたセレモニーはテロによる妨害もなく(ただし、前日に数か所で起こったTGVの運行妨害を除いては)成功裏に終わった。ここで面白いのは、パリ市民へのインタヴューでは絶賛(自画自賛!)の嵐だったのに対して、その他の人々の意見は「史上最悪」など結構否定的なものが多かったことだ。

 

「パリにしかできない」という意味では着想は良かったとは思う。しかし、提示の仕方は大いに難ありだったようだ。

歴史的な重みを強調するためなのか、ギロチンの生首をかざしてみたり、最後の晩餐をパロデイー風にしたりと、フランスの主流であるキリスト教徒からは強烈な非難を受けた。しかし、それこそがフランス(政府かどうかしらないが)の意図だったのだろう。これが他の宗教、とりわけイスラム教などに対してはそんなことをしようものなら流血の惨事になっただろう。ここで、「フランス人は宗教差別なんかしませんよ。これこの通り、ちゃんとキリスト教を馬鹿にしているじゃありませんか」ということを示しておく。もちろん、キリスト教徒なら、たとえ怒っても、そこまで過激なことはすまいということは織り込み済みだ。

また、聖火リレーの最終ランナーを二人の黒人にしたというのも、人種差別の裏返しのように感じてならなかった。少し前のフランス議会の予備選では超右翼が第一党になったこともあり、とにかくフランスが抱えている諸問題を無難にかわしたいという魂胆見え見えに感じて仕方がなかった。そうすればするほど、あの国が抱えている問題の根の深さが浮き彫りになってくる。

ただ一つ、心を明るく照らしてくれたのは、大雨にもかかわらず、途中消えもせず無事点火できたあのトーチはmade in Japanだったということ。しっかり、日本の株を上げてくれてありがとう!