最近ネットで出会ったフランス映画「沈黙の海」(2004年)"Le silence de la mer" にはまっている。

何度見ても飽きることなく、毎日何回でも見てしまう。

ドイツのナチ占領下のフランスでの、ナチの青年キャプテンとフランスの少女の純粋な恋愛を描いているのだが、

二人の間に会話はない。あるのはドイツ軍人のモノローグのみ。そしてそれをガン無視する少女とその祖父。少女の両親は二人とも戦争で亡くなっている。背景にはバッハのプレリュードが流れていて、この曲が全編を通して運命的な役割を演じている。

二人の感情の強い動きはすべて顔の表情から読み取るのみ。相思相愛なのにそれを表すこともできない苦悩。感情があふれることはあっても触れることもできない。というか、必死でそれを抑えている。特にドイツ人役俳優(実際はスイス人)の演技は見事だ。

少女も愛国心(ガン無視はその表れ)と純粋な愛との間で苦悩する。しかし、クライマックスでは彼女は音楽の力で彼の命を救う。それが祖国愛を貫いたまま、彼女がなしうる全てだったのだ。

悲しいのは、彼女が発した最初の言葉が「さようなら」で、それがそのまま最後の言葉になった。

他の国でもこの映画は広く愛されているらしく、ロシア人の「戦争を憎む」というコメントが印象的だった。

ほかの安っぽい恋愛映画など足元にも及ばない、深く悲しい映画だ。

 

あるYoutubeで「人が死ぬ間際に本当に後悔すること」というテーマを取り上げてあって、心に深く感じるものがあった。

ある老人ホームで絶大の人気を誇る老人がいた。現役時代は学校の校長を務め、人格者で誰からも慕われていた。訪問客も絶えず、その人の周りはいつも人であふれていていた。さぞかし幸福な晩年を過ごしていると思われていたのだが、ある晩見回りのスタッフがその人の部屋の前を通ったら、泣き声がするので、驚いて訪ねたら、彼は誰も彼の悩みや心配を分かってくれないというのだ。つまり、誰もが彼はいい人で、 皆に好かれており、悩みなどないと決めつけているため、彼の本心を理解しようとはしないというのだ。彼は常に人に囲まれているものの、実は天涯孤独だったのだ。

逆に多少わがままで、そこそこトラブルなども起こしている人が、唯一訪ねて来る娘だけには本心をさらけ出すことができ、最期には自分は幸せだったと言い切って、亡くなった人を対照的な生き方として取り上げてあった。

 

これは本当に考えさせられるポイントだ。自分も含めて、人はとかく表面的な側面だけで判断しがちだが、その人が心の奥深く何を考え、感じているのかを理解するのは難しい。幸せそうにしているから幸せとは限らないのだ。逆に(適度に)文句たらたらのほうが正直でより人間的ということか。私も大いに参考にさせてもらおうっと。

久しぶりにブログを書きたくなった。

その間にも書きたいことはいくつかあったのだが、政治的なことは差しさわりがあるし、ボツにされる可能性があるということであきらめた。

 

ここ数年自分も含めて皆年を取り、世代交代を実感させられる出来事が続いた。

面白いのはあまり親しくはなかった従兄妹たちとの、久方ぶりの接触だ。

そのうちの二人を例に挙げるが、二人とも幼いころに休暇で両親の実家に遊びに行ったときに出会っただけで、その後付き合いはほぼなかった。

再びコンタクトを取り合うことになったきっかけは、それぞれの両親の死だ。

そうでもなければ、今でも触れ合うことはなかったと思う。

 

二人に共通して言えるのは、それぞれの父親が人格者だったこと。特に母方の伯父は大好きだった。実直で、ユーモアのセンスもあって、曲がったことが大嫌い。私の留学時、結婚時に親戚中で唯一祝い金(支援金)を送ってくれた人でもある。その娘である従妹は、親しみはなかったものの、大人になってから母に頻繁に接触して来ることもあって、何かあの大好きな伯父と重ねてみていた。ある日、母が急遽老人ホームに入ることになり、私は気になりながらも、遠く離れたところにいたため、駆け付けることができなかった。そんな中、その従妹が入居の前日にわざわざ母を訪ねてきてくれていたことを知り、そんなにまで母のことを気にかけてくれていたのか、そして私の代わりに名残を惜しんでくれたのかと思い、感謝の思いでいっぱいになった。それから間もなく、今度は私にコンタクトしてきて、自宅で採れた野菜(彼女の家は半農だった)と交換に、私が着なくなった古着を送ってくれないかと言う。私はもちろん快諾した。

それから数年たって母を訪ねた時に、母が「従妹がホーム入居前日にやってきて私の服を全部持ち去ってしまったので、着るものが一つもなくて困った」と泣きを入れていた。私は予想外のことにびっくりした。初めて真実が明かされたのだ。母の持っていた服は高価なものはなかったが、ほとんどが手作りでそれなりにセンスのいいものだった。そして数少ない既製品は大半が私からのプレゼントだった。あの当時、ささやかながら、私の働いたお金で贈ったものだ。

そうだったのか。。。必要なものまで言うなりに略奪された母もお人よしだが、そうとも知らず美談としてとらえていた私もまぬけだ。そして、今度はシャーシャーと次の獲物である私に接触してきたというわけだ。

 

もう一人は父方の叔父の息子だ。ある時、祖父名義の土地の売買をめぐって、法的な手続きを踏む必要が生じ、兄とその従兄と二人で動くこととなった。専門知識のある従兄が中心となって動いたらしかった。売買取引が成立したとき、私たち妹弟とにも売上金が一部分けられた。ある時、その従兄にお礼かたがた電話をし、ついでに売上金がいくらだったのか聞いてみた。すると即座に。。。万円との答え。そうすると、私たち妹弟への分け分が微妙に合わない(半額ほどしかない)。そのことを指摘すると、「多分、後に先方の弁護士から訴訟を起こされた時のためにプールしているんじゃないか」と言う。へー、そうなんだと思い、電話を切った。するとすぐに「へへへ。。。これで妹とけんか、けんか!」という声がした。うっかり、まだ電話がつながっていたらしい。のちに、従兄の情報はでたらめだということが発覚した。

なんのために、そんなことをするのか。邪悪な心の持ち主だとしか思えない。彼の父親はあれほど善意の人だったのに。。。

 

これらの経験から得た結論。

トビがタカ、というのもあるが、逆もあり得るということ。隔世遺伝で、どっかの遠い祖先の負の素質をしっかりと受け継いできたのだろう。あるいは独自に開拓した邪悪な素質なのかも。