ここ最近、You Tubeにはまっていたが、いくつかのできごとがあって、しばらく身を引くことにした。

まず言えることは、何事にもそうなのだが、一口にYoutuber といってもレベルがピンキリだということ。

 

先日のTrump氏銃撃未遂事件のすぐ後に、センセーショナルなうたい文句で「ある国の大統領死亡!」とあった。

それにつられて「どれどれ」とポチったのだが、読み進めてもそんな記事はどこにも出ていない。まったく無関係などうでもいいような内容がただ連ねてあるだけだ。要するにアクセス数稼ぎのためだけに、うその餌をばらまいただけだったということだ。

こちらがこの業界のことは経験不足で知らなかっただけで、そんなのは常套手段らしい。ひどいのは名誉棄損で逮捕されているのもいるらしい。

 

しかし、検索して一瞬でわかることも多々ある。

まず、その提示の仕方、内容、声の調子。品性のあるなし、頭の良しあしなど、それは実際の人物と会った時に感じるものと同じだ。また、テロップの訳がとんでもない誤字だらけというのも本当に興ざめ。世に出す前に、簡単な編集もしないのか。恥ずかしくないのかとあきれるばかりだ。

 

こんなものに貴重な時間を取られるのは泥棒にあうようなものだと痛感。本当に内容の良いものに出会うまで、しばらく静観することにした。

 

 

今回の天皇皇后両陛下の英国訪問について感じたことの中で、最大のものは

「日本人としての誇り」ではなかっただろうか。

 

あれだけの歓待を受けた理由も、勿論これまでの経緯による英王室の好意・寛大さなどはあるにしても、やはり両陛下がそれに値する方々であったという事実ではないか。これが、他の方々だったら果たして彼らと同じように歓待されただろうか。彼らに代わる他の人物を思いつかない。

 

何事にも言えることだが、大切なのは国民として「誇れる人を選ぶ」ということではないだろうか。

特に対外的には、誇れる人を送り出すということは必須だと思う。言い換えれば、日本人として恥ずかしくなるような人物は国内に留めておくべきで、国外に出すべきではないとすら思う。これは政治家にも言えることだ。

 

昨今は女系天皇という話題でももちきりだが、これもポイントは「誇れる人物かどうか」という一言に尽きると思うのだ。男にこだわるのは時代遅れとしか思えない。

天皇皇后両陛下の英国ご訪問が終わり、間もなく帰国される。

 

数年前にエリザベス女王から受けたご招待がコロナなど諸事情で叶わず、女王亡き後、やっと叶ったということだが、このご訪問がいつになく気になった理由がいくつかあるが、その一つがこれがチャールズ国王が代替わりして、真っ先に実現したということ。母君の遺志を継いでということか。ご自身の重病を押して行われたということが、義理堅く、心を打つ。日本語で祝辞を述べるなどサービス精神も満点だ。

もう一つは天皇陛下がご自分のお言葉で、インタヴューに応じられたということ。これは初めてのことではないだろうか。いつもは宮内庁が用意したお仕着せの文言を読み上げるだけで、おもしろくもなんともない。まるで操り人形のようだった。ご自分のお言葉で述べられた陛下は、いたってフツーの人だ。親近感を感じる。

また、至る所で雅子皇后への気遣い(愛と尊敬)を感じられたのも良かった。

また、雅子さまも強度の馬アレルギーにもかかわらず、せっかく準備してくれた馬車でのパレードをお断りにならず、マスクをして臨まれたということだった。

 

その昔、ご婚約の一報が流れた時には、小学校低学年だったチビガキどもが、一斉に「もったいな~い」(彼女は彼にはの意)と叫んでいたのを思い出す。あんな子供に何が分かるのかと可笑しくなったが、私も正直同感だった。

今回彼女が学んだオックスフォードの教授も、婚約の話を聞いて「彼女のキャリアもこれで終わってしまうのか」と落胆したという話を聞いた。

確かに雅子さまはその後、愛子さまのご誕生を除いてはイバラの道を歩かれたようだ。

 

私が今、心より望むのは今回の英国ご訪問が突破口となって、新しい世界が開けることだ。陰湿ないじめなどなく、もっと開かれた、それぞれの持ち味を発揮できる人間らしい愛に満ちた世界が開かれますように。