西表島3 | blog:kudoh

西表島3


祖納に来ました。

祖納集落は500年以上ずっと西表島にある最古の集落で、歴史と伝統がいっぱいな所です。
古見集落も同じ頃からあった最古の集落ですが、古見集落は明和の大津波で1度壊滅し、その後に黒島や竹富島からの人達で入植された集落らしいです。(たぶん)
西表島に現存する殆どの集落は戦後形成されたんだって。


子午線モニュメントがありました。
ここ祖納集落と、ここから南へ行った白浜集落には東経123度45分6.789秒の子午線が通っているんですって。
すぐ近くに子午線ふれあい館があるのですが、営業中の幟に、
氷って貼ってある、、、

間違いなく竹富町 子午線ふれあい館なのですが、
入口にはお食事のメニューがあります。
工藤が思う子午線ふれあい館となんか違いますが、中に入ると
Welcome、おーりとーり、ようこそ、めっちゃ感激されている感じ。
しかし館内(店内?)に人は居らず、奥半分は子午線cafeです。
ひとつだけ、展示があるけどハンガー掛かってるし。
床にも展示されていたパネルが2枚置いてありました。
お土産?これ、Tシャツを販売しているんですよね?
(Tシャツ可愛い)
奥に太陽光発電のがあるけど見えない、、、。
この画像の左下にちょこっと写っているのは床に置かれた芝刈機です。
読めるものだけ読んで子午線ふれあい館を出ました。
でも入ってみて良かったです。
子午線の事やメートルの事、時間の事、ここ祖納に子午線モニュメント、白浜に日時計モニュメントがある事がわかりました。

西表小中学校。
西表小学校は、西表島の小学校で1番長い歴史があって、なんと今年で創立129年です!
学校のシンボルのセンダンは植栽されて100年以上なんだそうです。

西表島郵便局の窓に、
イリオモテヤマネコたんとカンムリワシちゃん(╹◡╹)


前泊浜は美しいだけではなく、とても不思議な感じがします。
前泊浜を眺める自分がいない感じ?幸せなで穏やかな感じ?
あっ!わかった!まだ胎児でお腹の中にいた時みたいな感じ!!

前泊浜の前には五穀豊穣の神様を祀る前泊御嶽と、500年以上の伝統がある祭事、節祭(シィチィ、シチィ)が重要無形民族文化財に指定されたのを記念した文化財指定記念碑がありました。


こちらは沖縄県指定有形文化財の古民家、新盛家住宅。

築140から150年と云われている、沖縄県最古の現存する木造茅葺き民家です。

釘、金具などを使わず、くさびで締めた貫木屋(ヌキジャー)と云う造りなんだって。
右側の遺構は、オーシと云う豚小屋とお手洗いだったと考えられているそうです。
お家の中の向き(方角)がなんか違う?

キッチンは昭和な感じw
茅葺も定期的に改装しているそうです。

お家を囲う石垣にはテーブルサンゴが使われていて、石垣島や竹富島で見掛ける石垣と違いますね。
ここから見える前泊浜も素敵です。
脳みそがふわふわ、いや、ふあふあしてきます、気持ち良い。

迷い迷って上村(ウイムラ、ウィームラ)にある大竹祖納堂儀佐屋敷跡に行きました。

(上村は以前祖納集落のあった場所です)

祖納の祖と云われている(村立ての中心となった)大竹祖納堂儀佐(おおたけそないどうぎさ、おおたけそないどうぎざ)は、15世紀頃に中国大陸から鉄を持ち込み鍛冶をして、農具を作ったんだって。
そのお陰で農業で祖納の人々の生活が豊かになったんだそうです。
大竹祖納堂儀佐は身長が6尺以上もあり、一晩で船を漕いで与那国島まで行って来たり、交易のあった与那国島を支配下に置いたりしたんですって。(サンアイイソバが与那国島をおさめたのは15世紀末からです)

屋敷跡はとても静かでした。
屋敷内に石積みで遠見台を作って、西を眺めていた時に与那国島を見つけたとか。
ここから与那国島が見えるんですね⁈

屋敷跡の少し先、大竹御嶽の境内ではご神木のタブの老木が見られます。
竹富町指定天然記念物で推定樹齢は240年らしいです。
タブの老木の奥には拝所があるそうです。(拝所は大切で神聖な場所ですので行きませんでした)

大竹祖納堂儀佐が活躍した時代からちょっと後には、外離島で生まれた慶来慶田城用緒が祖納に移住して来ました。
慶来慶田城用緒(ケライケダグスクヨウチョ)は、石垣島平久保の豪族だった加那按司(カナアジ)を討伐したり、石垣島南部の豪族で波照間島出身の長田大主(ナータフーズ、ナアタウフシュ、ナータウフシュ)と義兄弟の契りを交わしたり、オヤケアカハチの乱で活躍して西表首里大屋子の官職を首里王府から与えられたり、南蛮船と交易したり、祖納に西表村番所を作って西表島の中心にして一時代を築いた英雄です。

その慶来慶田城用緒のお屋敷のあった所に来ました。

慶来慶田城翁屋敷跡には今は何もありませんでした。

慶来慶田城翁屋敷跡から新盛家住宅の方へ歩いて行き、新盛家住宅のちょっと先、道を挟んで反対側に慶来慶田城翁大宗の碑(慶来慶田城用緒之墓)があります。


1917年に慶来慶田城用緒の遺徳と功績を称え、慶来慶田城翁之墓として建てられました。
その後、1951年に1度改修されましたが、基礎部分が劣化してきたので2013年に再び改修され、慶来慶田城翁大宗の碑となりました。

上村にあった祖納集落がお水に不自由していたので、慶来慶田城用が掘ったと云われているピサダカーこと大平井戸(ウヒラカー、ウーヒラカー)。

竹富町指定の有形民俗文化財になっています。

祖納の人々の飲料水として生活を支えてきた大平井戸は、節祭で水恩感謝の儀式(ウヒラカーの儀式)と奉納芸能が行われる場所です。

今でも澄んだ綺麗な水が湛えられています。

慶来慶田城翁屋敷跡と大平井戸を結ぶ古道ピサダ道。

竹富町指定史跡になっています。
現在も下村から上村に行く時にはこの道を使うそうです。
石畳の坂道が美しいですね。と思ったら、

あれ?途中から石段。
元々は石段だったのを旧日本軍が砲台を配置し、大砲を引き上げる為に平らにしたんだって。


祖納集落をお散歩していると、一見、普通の赤瓦、石垣のお家ですが、
こどもあそび場でした。

ブランコ、鉄棒、のぼり棒。
手造り遊具に集落の温かさが滲み出ています。

こちらの広場もゲートボール場でした。
人と人の繋がりが見える様な気がしました。
歩いているだけで、素敵な集落に心が洗われます。

祖納のランドマーク、まるまぼんさん岩に来ました。
まるま盆山節のまるまぼんさん岩は、海鳥が沢山いる小島です。
岩だけど島。
前泊浜にあります。
節祭ではハーリーでまるまぼんさんをぐるりと一周するんですって。

このまあるさが何とも可愛らしく、バスの中から一目見て惹かれ、折り返してやって来ました。
まるまぼんさん岩が祖納に来たきっかけです。
何をするでもなく、ここでのんびり過ごして、澄んだ美しい遠浅の海とまるまぼんさんに癒され、パワーをいっぱい貰いました。

続く。