沖縄米軍基地がある本当の理由 | 気になる映画とドラマノート

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西南戦争で、西郷軍討伐を指揮した山県有朋らは、アメリカが南北戦争で内戦と国家分裂の危機に瀕し、その過程で60万人の犠牲者が出ていた事もよく知っていた。

 


 

 なんらかの対策なしには、将来も西郷軍と政府軍、幕府軍と官軍のような内戦は日本に何度でも、起きる。そこで、山県有朋らは、ドイツのメッケルが、ドイツ軍の指揮権を行政官僚から独立させて、軍の能力を強化した方式を応用して、作り変えて、日本の軍隊の指揮権を政府から切り離して天皇に直属させることによって、次のような効果を図った。

 


 

 仮に日本のどこかの地方軍が政府および政府軍に対抗するクーデターを起こした時、内閣に指揮権がある場合には、状況はいわば、錦の御旗の無い新政府軍と幕府軍の戦いと同じ構図になって、内戦は果てがなく悪化する可能性がある。それが南北戦争60万人の死だった。また、後に、朝鮮戦争という内戦がついには、分断を固定化することになる。

 


 

 そこで、軍の指揮権は天皇にあるという理念を掲げておけば、反乱軍を説得するにあたって、天皇が、朕の意思にあらず、ひきあげよ、と言えば、引き上げざるを得なくなる。

 


 

 すくなくとも反乱軍に対する大きな制止材料になる。

 


 

 この構想は、内戦を抑止するには、非常に優れた対策だった。なぜなら、国内の地方軍こそ、内戦を激化させる敵で、民衆の叛乱は結局のところ、近代的兵器を持たないために、鎮圧が可能だからだ。

 


 

 ただし、この構想には、ひとつだけ欠陥があった。内戦の抑止には効果があるのだが、軍の参謀本部以外の地方の参謀が確信犯的に、外に向かって進軍した場合、指揮権は政府にないのだから、処罰の権限は内閣にない。

 


 

 ところが、天皇の代理としての参謀本部に反逆した場合とちがって、外への進軍という形で命令違反が行われた場合には、仲間内の不祥事として、処罰が甘くなり、命令違反の進軍を追認する場合が出てくる。

 


 

 そして、この地方軍の先走った進軍が、アメリカによって、経済制裁の口実として使われ、ひいては追い詰められ、戦争に引きずり込まれる元になったのである。

 


 

 アメリカは戦争をせずにはいられなかった。なぜなら、戦争をしないことには、第一次大戦後の国際関係は固定化したままで、すなわち、東南アジアおよび中国は、英国、フランス、オランダがアメリカよりも先にすでに植民地化を完成しており、アメリカはかろうじて、スペインからフィリピンを奪っているのみで、戦争をして、日本を追い出さぬ事には、中国進出の正当性をつかめなかった。

 


 

 日本の石原莞爾は、満洲までは確保したかったが、万里の長城の中まで日本が入り込んだのでは、当然、アメリカが介入してくるので、アメリカのような大国が援助する中国と戦うのは非常な消耗になるので、満洲を確保するための事変は起こしたものの、それ以上の拡大には、反対した。だが、満洲もまた、わが中国のものとする蒋介石と、中国進出を狙うアメリカ、日本を弱体化させようとするソ連という三者三様の思惑により、戦線は悪化し、日本は引き際を探しあぐねる状態になっていく。

 


 

 経済制裁を強化して、日本を追い詰め、是が非でも、先に日本に口火を切らせて、日本を完全壊滅させて、戦後の中国におけるアメリカの権益を獲得したいアメリカ政府。

 


 

 日本はアメリカを壊滅させられるはずもなく、最初から、日露戦争に類似の途中講和を求めての日米戦争だったが、アメリカ、英国の戦争目的は、日本の完全壊滅とアメリカの属国化、そして、中国、東南アジアの経済権益確保だった。

 


 

 東南アジアの権益確保には、南シナ海周辺の海と空の軍事プレゼンスが重要になる。

 

 フィリピン、台湾、沖縄が、ハワイ、グアムをたどって、東南アジアに入って行きたいアメリカには重要なのだ。

 


 

 日米戦争の末期、日本に潤沢な戦力があれば、日本は沖縄にその戦力を集中したとすると、アメリカは、沖縄以外の四国あたりから上陸したことになる。いずれにせよ、手薄な場所が壊滅され、日本の降伏後、沖縄には米軍基地が置かれることになる。

 


 

 最初の上陸地点に選ばれたのは、占領後は基地を恒久的に置きたかったからだ。

 

 

 

 このことは、中国がアメリカと対立した場合には、アメリカを排除するためには、沖縄と台湾、フィリピンを中国が確保して、ハワイ、グァム方面から東南アジアに入ってくるアメリカを阻止したいということになる。

 


 

 つまり、沖縄県民は、アメリカの基地を排除すれば、「基地の無い沖縄」になると思っているのだが、沖縄とは、中国が、アメリカを東南アジア周辺から排除するために、是が非でも、そこに基地を置きたくてたまらない土地、沖縄なのである。

 


 

 日本を守るために沖縄に基地があるわけではない。そう思うから、沖縄の基地を日本の他のどこかに移転して済むと思ってしまう。これがいかにおかしいかといえば、南シナ海制圧という目的のために、四国に基地を置いてもなんの意味もないからだ。

 

 アメリカからすれば、中国を抑えたい、中国からすれば、アメリカを排除するために、沖縄に基地を起きたいのである。

 


 

だからこそ、アメリカは、沖縄に基地を置いた状態で、日本に返還しようとしなかった。

 

 これこそ、沖縄の基地は、中国を抑える目的だという理由である。

 

 そして、現在、その目的が許容されるのは、中国の一党独裁政権が東南アジアを制覇すれば、日米、東南アジア諸国すべてにとって不利益だからだ。

 


 

 なにも、日本本土が攻撃された場合の迎撃基地として沖縄があるわけではない。

 

沖縄に基地があるのは、沖縄の周辺地勢ゆえなので、空き地があるからなのではない。だから、県外に代替地を探すなど無意味なのだ。


 

 沖縄に基地があるのは、最初は、アメリカが日本に邪魔されずに、グアム、フィリピン、台湾という東シナから南シナ周辺の制海権制空権を確保するための目的なのだから、本土防衛の目的で沖縄が負担しているのではなく、沖縄の地勢そのものが基地が置かれる理由で、アメリカ対中国という構図としてだけでも、基地が置かれてしまうのである。

 


 

 はっきりしていることは、基地反対運動の住民をアメリカは殺しはしないが、中国は基地反対運動の住民を容赦なく、殺し、強制退去させ、土地代を払うなどいっさいせず、強制収用することは確実だということだ。

 


 

 ある意味、米軍は、沖縄県民を中国から守っていると言ってもよい。

 

 なにしろ、日本は憲法により、あまり効果的な防衛はできない国なのだから。