ヨーロッパの戦争を考える3 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

ヒトラーは、イギリスと対峙している最中だったが、参謀本部の反対を押し切って、ソ連への攻撃に出る決意をlする。バルバロッサ作戦だった。

 しかし、その前に、ユーゴスラビアが、ドイツの支配から独立するため、蜂起したため、ヒトラーは、ユーゴスラビア、ギリシャをねじふせるために、バルバロッサ作戦の約一箇月延期を強いられる。これは、ソ連の戦争準備に有利に影響した。

 ドイツ、イギリス、ソ連の思惑動きは、戦後日本国憲法の、「諸国民の信義と公正」というものが、まったくの架空の観念であることを証拠たてている。

 ソ連外務省は、ドイツのユーゴスラビア、ギリシャ侵攻にいっさい口出しせず、友好を装って、秘密裏に、国境地帯に、ソ連軍を集結させていた。

 ドイツ軍のソ連侵攻は、三ヶ月でソ連を降伏させる予定だった。

 最初、ドイツ軍は、破竹の勢いで、ソ連軍兵力を破壊した。
 航空機、2000機を飛び立つ前に破壊したくらいだった。また、ソ連の6000の戦車を破壊した。

 半月後の戦死者は、60万人となった。

 これは、じつは、スターリンが、自国の民衆を何人死なせてもかまわないという冷酷な人間観を持っていたことを意味する。ドイツ側の将校でさえ驚愕しながら攻撃した。

 三ヶ月目までには、ソ連の戦死者は、300万人に達した。

 ドイツ軍は、次第に、あせりはじめ。ソ連軍は、象にむらがって、食い殺すアリの大群だと思うようになった。

 また、ドイツにとって、脅威は、モスクワ攻略までに、冬がきては不利になるということだった。

 10月はじめ、モスクワまで、300キロにドイツが迫った。

 ソ連軍兵70万人を捕虜にした時、11月になった。ここで、雪が降り、ドイツ軍はきびしい寒さと雪のぬかるみに悪戦苦闘した。

 ドイツ軍の将兵は、夏着に近い装備のままで、雪のモスクワ60キロまでせまりながらも、寒さに苦悶した。

 モスクワ市民もまた、さしせまるドイツによる占領の恐怖にふるえあがった。

 この時、日本に入り込んだソ連のスパイ、尾崎秀実とゾルゲからの「日本は、ソ連攻撃をしない」という情報が到着して、ソ連は、急遽、シベリアの軍団をモスクワに向けて出発させた。

 この時、モスクワ周辺の気温は、零下40度まで下がり、、ドイツ兵は、防寒着を不足と不慣れな雪道に地獄を味わうことになった。故国から2000キロも離れた地でドイツ軍は凍死者が続出、戦車は動く事ができなくなる中、寒さになれて、防寒の用意のあるソ連が一気に形勢逆転した。

 ソ連がドイツに対して、反抗に転じると、ドイツの残虐行為が明るみになるが、実はスターリンが自国民が何人死のうと降伏しなかった冷酷性の結果でもあった。

 こうして、ドイツの戦況に暗雲が立ちこめるなか、日本は、1941年12月8日、日本は真珠湾奇襲作戦を決行した。