秘史ジョン・マックロイの終戦構想 | 気になる映画とドラマノート

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1947年に世界銀行総裁であり、60年代には、ケネディ大統領の軍縮顧問を務めたジョン・マックロイは、終戦間際、50歳であり、陸軍参謀総長の右腕的存在の陸軍次官補だった。

マックロイはホワイトハウスにおけるトップレベルでの議論に呼ばれ、意見を求められ、次のような驚くべき提案をした。

 日本に、原爆の存在と威力を知らせて、その上で、皇室の存続も保証するべきです。

 日本の現状は、この条件をアメリカが提示するかぎり、日本の早期終結派に有利となって、結果的に終戦を早めることができます」と。

 このマックロイの提案は居並ぶ将軍、国務長官を驚愕させた。

 まず、一介の次官補が、まだ実験の成功していない原爆に言及することが異例であり、こちら側の新兵器を敵国に教える事自体が異例だった。そして、勝利国が開いての望むことをあえて勝利国側からいうべきことなのかどうかも疑問とされた。

 日本がそれでも、降伏しなかったら?と質問した者がいたが、マックロイの答えは、事前に通告しての攻撃ならば、アメリカの名誉は高まるでしょう、と答えた。

 降伏しないのなら、その新型の強力な爆弾を使用せざるをえない、と皇室存続を認めつつ、降伏を促すのです、と言った。

 国務長官のバーンズは、「事前に爆弾の存在を通告することは、アメリカの譲歩行為であるから、そうはしない」また、「天皇の地位について、尊属を認めるとか認めないというように、取引の材料にするつもりはない」と否定した。

 この時のやりとりを、マックロイは、晩年に回想して、「いまでも、わたしの考えの通りに実行したならば、日本に原爆を落とさなくても、立憲君主制という形で、日本を民主主義国家に変えたという目的は達成できたにちがいないと思うし、ずっとそう信じてきた、」と言った。

 「戦争が終わったあと、日本の指導層の人々と話し合ってますますその感は強まった。

 アメリカは核を使用することなく、目的を達成する機会を失ったのだ」と老マックロイは言った。

 グルー国務長官代理もまた、マックロイとほぼ同じ意見の持ち主だった。

 問題は、ルーズベルトの在職中の死後、急遽、副大統領から大統領になったトルーマンとグルーはあまりにも信頼関係の醸成が不足していた。

 グルーの作成した「皇室存続を明記した」ポツダム宣言は、バーンズ国務長官の意向を反映して、削除された。

 戦後特に終戦後30年近く、、日本では、民主主義国家と皇室は相容れないものと信じ込まれ、アメリカは皇室制度を憎んでやまないものという前提のもとに立って物事を考えたがった。

 じつは、アメリカ国民の世論調査自体は、天皇廃止が妥当と考えていた。

 国民全体の7割のみが、皇室存続を容認していた。

 もちろん、戦局、外交を広く洞察して判断を下すのは、政治家の役目であり、個々の職業を持って、日々忙しく暮らす人々の判断を多数ゆえに尊重するというのは、妄想である。

 だからこそ、マックロイやグルーのように、原爆の提示と皇室存続を先に提示したほうが、実際には、無辜の人々を原爆の惨禍から救ったことがありえたことになる。しかし、残念ながら、そうはならなかった。

 アメリカは「真珠湾攻撃の卑怯」を強調して、アメリカ国民を奮い立たせ、ついには、奮い立ったアメリカ国民の日本への憎悪の視点に立脚して、原爆を回避して終戦させる方法を失った。


 この戦争終結の遅れは、ひいては、ソ連参戦に伴う日本人の60万人のシベリヤ抑留、満洲居留民の悲劇につながり、朝鮮半島分断から、朝鮮戦争の惨禍へと繋がっていく。

 もちろん、日本の本土決戦派も悪かったろう。しかし、戦争というものは、まさに、一人でやるものではない、とはこのことではないだろうか。