日本映画 「謝罪の王様」 | 気になる映画とドラマノート

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いやー、ひさびさにおもしろく、映画の作り方も「かなりくふうしてるなあ」感のあるいい映画でした。意外性も十分。

 こどもが、三歳の子が、おとうさんに対して何度も繰り返してふざけた格好をするので、怒ったおとうさんが、こどもに手をあげてしまい、それから、ずっとお父さんは娘にもうしわけなかった、という気持ちを持ちつづける。娘のほうは、もう、それを忘れているのだが・・・

 そして、じつは、三歳の娘がしていた、ふざけた格好は、じつは、ふざけていたのではなかったことが20年後にわかる。

 それにしても、この謝罪というもの、あの佐村河内の事件でも、テレビの「謝罪コンサルタント」なるものが出て解説していたように、日本では、謝罪はすでに文化になりつつある。

 わたしは、まえから、韓国と日本ほど似ている国は無いと思っているが、その似ている点が、やたらに「謝罪」にこだわる国民性だ。

 韓国のドラマを観ていると、現代ドラマでも、時代劇でも、とにかく、「謝る場面、謝ることを要求する場面」が多い。 日本の場合は、ドラマの中ではあまり謝罪に関わる場面はないものの、実社会では、非常に謝罪をしている社会人は毎日のように実在しているのではないだろうか。

アメリカ人は、ちょっと、からだがふれても即座にスキューズミーと口から出るのが普通だが、日本人も韓国人もちょっとしたことではけっして、「すぐには」謝らない。しかし、謝罪をする、されるを延々と自宅訪問なり、手がも、電話なりで行うことは、きわめて多いのではないだろうか。

 そして、日本は商行為について、それが多く、韓国は家庭と外交の問題で、謝罪が問題になるようだ。東海大学の金慶珠が、日本で暮らすのと韓国で暮らすのとでは、日本のほうが、堅苦しい、と言ったのは、このような意味で、わたしには、理解できる。

 日本人は、あいきらかに、なぜか、「ビジネスマナー」にきわめてきびしいマインドを持ち、韓国人は、親兄弟夫婦の家族倫理にこだわっていることは間違いないと思う。