防衛大学校長猪木正道 1 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

故猪木正道氏は、戦時中は財閥系の三菱経済研究所に属し、戦後は成蹊大学教授、防衛大学校長をしていた。

 


 

 もちろん、戦後隆盛を極めたマルクス主義政治学、経済学者を保守政党が自衛隊幹部を教育する防衛大学につけるわけもなく、猪木正道は与党自民党と保守系政治学者のような顔つきをして交際して、防衛大学の校長の座につき、政府系機関の要職についたという声望を基礎に平和安全保障研究所の会長にもなった。

 


 

 いまあらためて猪木正道氏の著書を読み返してみると、あの教科書裁判で有名な家永三郎が、戦前は天皇賛美教育をして、戦後はてのひらを返して日本軍国主義批判の教科書を執筆して、もとから自由と民主主義の闘士だったというような顔をしていた事例と同じで、猪木正道も嫌な人だったんだなあ、ということがよくわかる。

 


 

 猪木正道は、日本社会党の非武装中立、自衛隊否定論、PKF国連軍参加拒否論を批判して空想的平和論だと批判して、同じ著書の本文では、口をきわめて日本の戦前を罵る。

 


 

 「清国は満州王朝の支配を脱して、中国となったが、自力での近代化に成功しないまま日本によって侵略され、ようやく

 


 


 

 猪木正道はあたまの悪い学者だったのではないだろうか。

 

 「清国は満州王朝の支配を脱して」というが、清国を建国したのが満州人なのだから、支配もなにも、当たり前ではないか。これが、漢民族は満州人の清国を倒して、中国を建国して」というなら、まだ多少事実に近いが、清国が満州王朝に支配されたのではなく、満州人が清国を作ったのである。猪木正道は満州王朝ができる前から清国があったとでも思っているようだ。

 


 

 しかし、どうやら、「清国は満州王朝の支配を脱して」とは、清国の領土は中国の領土と等しい、と言いたいのであるらしい。

 


 

 ところが、実際は孫文が満州人支配を倒したことは、モンゴル、満州、チベット、東トルキスタンなどが統合されず、明国に戻ることを意味する。

 


 

 これを、孫文は、当初自覚していたのに、次第にごまかしていく。ついには、蒋介石、毛沢東になって、完全に、清国の領土は、モンゴル、チベット、満州は元来太古から中国領土という主張に変わっていく。

 


 

 これを猪木正道はすっとぼけて、知るよしもない日本の学生にウソを教えている。どういうメカニズムがあって、こういうウソをつくのかというと、保守派の、とくに政府自民党に近い人間にとって、日米安保条約基礎とする日米関係を是認することが反体制ではなく、保守エスタブリッシュメントとして生きる大前提であり、アメリカの基本姿勢は、日本が軍国主義であったものを、アメリカの民主主義が倒してあげたのだ、と言う歴史認識を日本の与党が認めていることがその前提にある。清国を倒した後の、満州が中国の領土でないと行ってしまうと、日本の侵略性に疑問が生じるので、ここはぜひとも、中国はもともと、満州も内モンゴルもチベットも含む広大な地域だった、といわなければならなくなる。

 


 

 猪木正道は自分がアメリカに睨まれずに、無事防衛大学校長になって、あそこのお父さん、防衛大学の校長を歴任したんだってよ、と言われれば、チベットやウィグルの人々が元来中国の域内の人だと誤解されても、平気なのだ。

 


 

 猪木正道は「近代化に一応成功した段階で、隣国を侵略したり征服しようとしたりぜず、国民生活を充実すれば理想的であるが」・・・人間が業の深い存在なのだと同じように、「大日本帝国は米国・英国・中国等を相手とする自殺戦争に乗り出した」と一見もっともらしく説明する。

 


 

 しかし、それならば朝鮮は「立派に三韓統一」の大業を成し遂げて、両班と奴隷体制をつくりあげ、ろくな裁判もせずに死刑にする国を作ったのではないのか?

 


 

 英国は「近代化に一応成功したあと、インド、中東を支配し、アメリカ人はアフリカやアジアよりも先に発展して力をもったがゆえに、「人間の業のために」インディアンを征服し、太平洋全域を征服したのではないのか?

 


 

 どうして猪木正道がこうした点に言及しないのかといえば、日米安保条約を肯定しなければ、自民党の御用学者でいられず、アメリカの民主主義が日本の軍国主義を倒したという歴史認識を肯定しなければ、アメリカから自民党に抗議がきて、防衛大学校長でいられるはずもないからだ。

 


 

 そこで、猪木正道の説明する戦争過程では、蒋介石国民党には、アメリカが資金と軍事援助をし、ソ連は毛沢東の中国共産党を資金援助して、軍事衝突を長引かせたことには、かけらも説明しない。およそ、中国へのアメリカとソ連の影のいっさいはふせられて、まるで中国が単独で日本と戦争したように説明する。

 


 

 しかも奇妙なことに、猪木は「1860年代日本は人口の大半は農民としてしばりつけられていた」と書く。農業社会であることが、「土地にしばりつけられる」という解釈になる猪木氏の考えがわからない。

 


 

 明治維新後の近代化の過程で大都市の工場で労働する地方の農家の次男三男が増加したことを、猪木氏は「農地から解放された農家の三男次男」と言っている。

 

 奴隷でもあるまいし、猪木氏の考え方では、農業よりも、都市労働のほうが、いいと決まっているのである。どうしてこういう奇妙な事をいうのか、理解できない。

 


 

 猪木正道はほかにも奇妙奇天烈なことを言っている。「日本人が今日独自の文化として誇れるものは明治より前の時代の江戸時代、室町時代、鎌倉時代、平安時代、奈良時代の文化ばかりであって、維新後のものはほとんどない。」

 


 

 どういうつもりでこういうのか、さっぱりわからない。

 

 こういうことを言いだしたら現代のどの国でも、「今日独自の文化として誇れるもの」は、あるようでもあり、ないようでもあるような変な話なのではないか。

 

 伊勢神宮、出雲大社、の儀式の継承、各地の民謡、短歌、俳句、将棋等々が独自の文化ではないというなら、現代文明は「日本、ドイツ、アメリカ、イギリスの四はじめとする先進国の学問と技術開発の交流の結果であって、どこの国が誇りを持つというものでもあるまい」

 


 

 猪木正道はとにかく明治維新以後がはじめから軍国一色だったと強調したくてしかたがないのである。

 


 

 しかし、考えてみればおかしなことだと思う。猪木正道は社会党の自衛隊否定論を空想的平和主義と断じ、自民党の国連PKF参加に共鳴しており、日本人の愛国心を堂々たるものにしたいと言っている。・・・ところが、猪木氏自身の愛国心は、「日本人が今日独自の文化として誇れるものは、維新後のものはほとんどない。」と言いたがる愛国心なのだ。これが「集団的自衛権」を肯定して、防衛体制を確立したいという自民党員にも似たりよったりの正体なのだとしたら、この日本には、集団的自衛権を認める人間から護憲派まで、ほとんど大多数の人間が、明治維新以後、日本はろくなものではなかったと思いたくてしかたのない人間だらけということになる疑いはないか。

 


 

 それにしても、日本映画の小津も、溝口も、三遊亭円生も、日本文学も、猪木正道はなにか奇妙な理屈をつけて、映画は日本が発明したものではないとか、川端康成の小説も結局は西欧の真似だと言いたいのか。何人ものノーベル賞学者から北里柴三郎の研究まで、とにかく、なんらかの理由をつけて、否定したい情熱はなんなのだろう。そんなことを言いだしたらアメリカ文化の担い手は移民出身者であり、英国の文化はギリシャ・ローマ文化なしには語れず、キリストは少なくとも、西欧発祥の文化ではない。

 


 

 106ページに猪木正道は天皇についてこう書いている。

 

「明治憲法の天皇は、君臨するが統治しない英国型の立憲君主ではなく、統治もしなければならなかった。」と。まさに猪木正道の鵺ぬえのような奇妙な立場が現れいる。これで防衛大学の校長で日本社会党の自衛隊否定が空想的平和論だというのだから、呆れる。

 


 

 明治天皇がピョートル大帝とかフリードリヒ大王と比較されて、世界から高く評価された、と書いてあたかも、明治天皇が絶対権力をふるった権力者であったかのような印象操作をしている。

 


 

 猪木正道は、「明治天皇はブルンチュリの「国法汎論」の進講を受け、立憲君主としての修養に努めている。」と書いたぞの何行かあとには「「統治もしなければならなかった。」と書いている。統治もする「立憲君主」などはない。

 


 

 猪木正道は、戦前軍国主義があり、軍国主義の元凶は天皇制だから、日本の「立憲君主」は建前で、統治もしたにちがいない、という思い込みで書いているだけで、「立憲君主」とは言えないような具体例を一切かいていない。

 


 

 現代の政治評論家にもよくいるのだが、明治憲法の字面に「統帥権」と書いてあり、神聖にして不可侵と書いてあれば、絶対権力があり、神がかった迷信を教えていた証拠ときめつけるが、ヨーロッパの立憲君主でも、大権だとか神聖だとか書いてあって、実質は形式的な権威にとどまる例はいくらでもある。

 


 

 「天孫降臨の神話を歴史的事実として教え込み」と書いているが、天皇の祖先は降臨したのだという「神話」なのだ。ギリシア神話を教育して、いちいち「これは本当ではないよ、神なんかいないんだからね、と念を押さなくたって、普通は作り話だと思うだろう。それを、猪木正道はおおまじめに、(ウソだよ、といわなかったからといって、「歴史的事実として教え込み」という。金日成が抗日の英雄だという歴史なら、信じ込むかもしれないが、天から降りてきたなど、明治になって聞いて信じるほうがおかしい。

 


 

 136ページに関東大震災についての簡単な説明がある。

 

「住民が自警団を組織し、刀剣や竹槍などで武装して、朝鮮人を虐殺したのである。・・・・殺された朝鮮人は6000人に達する、」と書いている。

 


 

 多くの場合、この朝鮮人虐殺事件は、消防の使用する火消し、「がれき始末用のトビくちや棒を武器にした」と記載されているが、猪木正道はバカなのか、わざとなのか、「刀剣と竹槍」にしている。これでは消防団ではなくて、ヤクザの出入りではないか。刀剣とか、竹槍を予想外の地震に襲われた町内会の人々が用意できると思っているのだろうか。普通の暮らしをしていた自警団がいきなり人間を刀で切りつける度胸があって、バッサバッサと6000人も切ったり、刺したりできると思っているのだろうか。刀や竹槍はひとりで平均3人もきりまくれるほど、丈夫だとおもっているのだろうか。ひとりで、1、5人殺害しても、戦争でもないのに、人を殺す事のできる人間が4000人もいたことになる。ありえない。

 


 

共産党員は警察に留置さていたので、かえって幸いして、殺されずに済んだ」と書いているが、自警団が、どうやって、共産党だとか朝鮮と名札をつけているわけでもないのに、ばっさばっさと斬れるのか。

 


 

 わたしなら、猪木正道のこういう説明をウソだと思うが、猪木正道は防衛大学校長の立場で、自衛隊員にこういうウソを信じなさい、と教えている。

 


 

 1928年の8月27日のパリ不戦条約 を、日本は「画期的意義について深く考える人は少なく」というのも、猪木正道のもっともらしい批判で、翌年の1929年10月のロンドン会議では、アメリカは、日本に対して対米比較60%以内に海軍の軍事力を抑えよ、と要求する。日本の海軍軍令部長は「アメリカ政府の方針は、去年の不戦条約の目的にはんするのではないか、お互いに牽制しあってこそ、抑止力になって、戦争を防ぐことができるのではないか」と不満をもらす。そして、いっそ、決裂すれば、アメリカ国民の中の平和主義者が、日本の戦争を起こさないためには、相互の差がなくなり、相互に抑止するほうがいいという真意をわかってくれるのではないか、と仲間の手紙にさえ書くが、猪木正道は、軍国主義者がいけ図々しいとでもいうように、アメリカの言い分を支持する。

 


 


 

 猪木正道は日本海軍の言い分、対米七割なら戦えるという言い分を「戦いたい」と取り違えている。ほんとうは戦争が起きないためには、勝つか負けるかわからないから、お互いにやめて置こう、というのが、抑止力なのである。

 


 

 日本が、アメリカの七割なら戦えると思うということは、アメリカ側から言えば、七割日本が持つと、戦争をした場合、アメリカの戦争による被害も甚大ではないから、戦争自体を回避しようというインセンティブになる。

 


 

 だが、アメリカが勝つに十分な差がある場合は、仮に戦争になっても、楽に勝てるのだから、思う存分、経済制裁できる。・・・・このメカニズムが理解できない猪木正道は、日本海軍の「七割なら戦える」を「七割になったら、戦争する」と逆さまに解釈する。「戦える」とは、相手に嫌な予測を与えて、戦争を控えて無理強いな外交交渉を控えて、妥協を選択する状況をつくるに必要だという意味なのだ。

 


 

結局、アメリカの強硬姿勢に、折れた日本はアメリカの60%以内に海軍力を抑えることに同意する。猪木正道は、「これは国民の声だった」というが、これは、実は、中国が靖国問題を軍国主義の象徴だといえば、「靖国にいくのはやめろ」といい、哨戒機を配備すれば、中国がいやがるから、やめようといい、韓国が旭日旗を使うな、といえば、気持ちはわかります、と言って、あれは大漁旗でも国の救助船でも使うので、侵略とは関係ないとも言わずに、なんでも仕立てに出ればわかってくれると思う習性が表れている。

 


 

 軍事力に差がある場合、軍事力の大きな側は、相手をそれとなく追い詰めれば、先に開戦したという口実で相手を壊滅させることができるのだ。だが、拮抗していれば、お互いに妥協するしかなく、結局は、民衆が生命を失う事態は避けられる。

 


 

軍事国家がある状態での、一方のい側の際限ない譲歩と武力放棄は、ちょうどイジメの暴力がどんどんエスカレートするように、唯々諾々といじめられる側が従うとエスカレートする。子供の場合は親や教師、警察が止めるが、国家の場合は、弱いがわには、死に物狂いで挑んで、潰されるか、相手のいいなりになるかの選択枝しかない。国際関係を善意に見る者、イジメはない、と思い込む者だけが子供に柔道も護身術も教えなくていいと思い込む。

 


 

逆説的に現実的に紛争の激化を生むことになる。

 

これを軍事競争でエスカレートするという人は、そもそも、6割とか7割ということ自体が約束の存在を前提にしていることを忘れている。はじめから約束を守らない気ならば、6割でも一向に構わないのだ。実際には、それ以上作ればいいのだから。なぜ、7割にこだわるかというと、お互いにそれ以上は、つくらず、守りましょう、そうすれば相互抑止になるから、ということなのだ。

 


 

 エスカレートするくらいなら、最初から協議する必要がない。

 

そして、現実におきたのが、英米の日本への妥協無き交渉姿勢と経済制裁(戦争上等、いつでも来いというアメリカの態度)が日本のぎりぎりの開戦決意を生んだのである。

 


 

 現代日本も、あまりに、中国に対して子犬のように腹をみせていると、かわいそうだから、仲良くしようとはせず、どうなっても、勝てるという思惑の元、無理難題をしかけてくることになる。