日本の戦争 3 | 気になる映画とドラマノート

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なぜ日露戦争に英国、アメリカが資金を提供したかと言えば、ロシアの地勢上の、ヨーロッパ側では、ロシアと英国は勢力争いをしていたために、世界覇権上、A級大国の英国に対して、同レベルA級大国ロシアが出現するよりも、ロシア、日本がそうほうとも、B級二国でいてくれたほうがよい。もちろん、B級ロシアがC級日本に勝利すれば、A級ロシアとC級日本に変化する・・・だから、英国は日本を応援したのである。いかに、平和そのものが目的ではないか、わかろう。

 


 

 日本による朝鮮併合も、世界は、ならず者国家が他国を併呑したが、当たらず触らずに遠巻きに見ていた、というのとはちがって、むしろ歓迎していた。というのは、当時の朝鮮は、キリスト教の宣教師が虐殺されたり、貿易交渉しようにも、商慣習の基盤が成立しておらず、理解を絶する風習で物事が動くとりつくしまのない地域だった。これが日本の手により近代化されれば、予測可能性のある、商取引に法的裏付けのある安定性が確保されるからで、欧米にとっては、強圧で、欧米の言うことを飲ませるよりも、半島全体が近代化して、話の通る社会になったほうが、安定した交易が見込めるからだった。


 もちろん、反面そこには、朝鮮の人々の民族的プライドはまったく考慮されていないことは、欧米人がインド、インドネシア半島、アフリカ、南米の人々に対して、まったく尊重の気持ちが欠けていたことと同じ側面があった。



 それに比べれば、まだしも、日本のほうが、半島の人々に親近感情を抱いていたのだが、現代では、その欧米の後進国蔑視意識の凄まじさと日本支配における日本人の朝鮮の人々に対する態度の程度の遠近感が失われて、韓国においては、完全に「日本は世界にも例のない極悪民族」ということになっている。しかし、まぎれもない事実は、「先進国と後進国」という関係で見れば、スペインが南米にしたこと、フランスがインドシナ半島、アフリカにしたこと、イギリスがインドにしたこと等を見るとき、そこに、「親愛意識」のかけらもなく、日本には、「上位国の傲慢から、篤実で誠実な、隣国の人があらたに日本人になったことへの、愛情と、彼の地域の人々の福利発展への使命があったことが、ちょうどピンからキリのように、」あったことが、歴史の事実なのだが、


姜尚中のような学者にかかると、まったく、日本人の傲慢と強奪の所行一色になってしまう。

 

 戦後の日本の学者たちは、当初、いっせいに、社会主義ソ連の発展性を信じたために、歴史をロシアマルクス主義のレーニンの学説により、解釈したために、日本は、意識における近代化の遅れと資本主義の最終段階である帝国主義状態というモデルで日本を把握したため、上記なような日本の立場の特殊性が視野に入らなかった。

 


 

 日本のマルクス主義論文から多大な影響を受けた韓国朝鮮の学者たちも、当然日本は「意識における近代化の遅れと資本主義の最終段階である帝国主義」という捉え方をしたし、現在でも、この見方が韓国の主流になっている。

 


 

 これは、日本の朝日新聞岩波書店、辻本清美、福島瑞穂、姜 尚中、朴 一、なども同じで、「意識における近代化の遅れと資本主義の最終段階である帝国主義」という捉え方をするからこそ、皇室や靖国神社、国旗国歌、領土ナショナリズムが、日本人「意識における近代化の遅れ」の表現のひとつと捉えられているので、つねに、「天皇の戦争責任」と靖国問題が蒸し返される。アメリカには無いのに、という意識が常に、ある。そして、社会主義の理論からすれば、意識における近代化が達成され、なおかつ、生産力も十分に発達したとき、資本主義は帝国主義を経て、経済不況の中で、市民が立ち上がって、「ホンモノの社会主義革命が起きるはず」なのだが、これを阻止するのが、「秘密保護法案」や「改憲」だというわけなのだ。

 


 

 ただし、彼らがこれを自覚していれば、まだいいほうで、もはや、革命という本来の目的も忘れて、「永遠に「革新」という商売」をすれば、大学の学長になれ、国会議員になれる、というビジネスモデルの必勝パターンになっているフシもあるのだが。

 


 

 日本の明治維新は薩摩と長州という最大功労者出身地域が縁故関係によって、明治の政府指導層に独占することになった。

 


 

 これは、事実この地域に日本の中でも他に先んじて世界状勢を学んだ人士がいたという側面が功を奏した面はあったけれども、次第に要職の薩摩長州に偏った人事が、他の地方出身者がたとえ英才でも、要職につけないという矛盾にいたり、世代交代とともに地方の俊英が中堅指導層に着く頃になると、「実力のある中年」と「実力はないが、気位だけは旺盛な老人」の各組織局長、という構図が出来上がる時が、大正時代だった。

 


 

 一般に、現代の日本人がかつての「軍国主義戦前」は、息苦しい「組織絶対主義で、上官の命令を部下が疑問を呈したり、逆に説得にかかったりすることは決してなく、命令は絶対服従だったのだろう、また軍国主義であり、非民主的社会とはそういうものだろう」と思いがちだ。

 


 

 ところが、事実は、日本の場合、下士官と一兵卒の関係は確かに、上下関係絶対だったが、上層リーダーと最上層リーダーの関係は、まったく秩序が混乱していた。ある意味では、それははなはだ、民主的だと言えた。そして、むしろ、このことが、戦争に突入したあらゆる過程の遠因になったとも言える。

 


 

 現代の日本人は日本の軍国主義がアメリカによって倒されてはじめて、日本は民主主義国家になったのだから、敗けてよかったという意見もあるが、明確に、間違いである。韓国が軍事独裁政権から民主化に以降したように、日本も、戦争に突入せず、多くの人命を失い、多数の人々が貧困のどん底に落ち込むことはないままで、軍人の地位が文民にコントロールされる方向に進むほうがよかった。

 


 

 それは、現在のイギリスとインドの関係のように、半島の独立につながったかもしれないし、あるいは、アメリカのハワイのように、おだやかに、朝鮮が日本人に同化するかもしれなかったが、どちらの場合でも、現在のように、韓国人が日本を永久に責めるということにはならず、インドのイギリスに対する態度と似たものになったはずだ。

 


 

 では、なぜ、日本は戦争になってしまったのか。

 


 

 それは、イギリスが日本とロシアをともに、B級国に押さえておく戦略をとった時、もちろんこの時、ロシアは、日本がC級、英国とロシアがA級となることを望んだことは言うまでもない。同じことをアメリカで考えれば、アメリカは、この時、英国を抜いて特A級国になっており、Aが英国、他はすべてB級という状態だった。かんじんなのは、この時、英国と米国が日露戦争で、ロシアの牽制目的で、日本を支援したところ、アメリカにとっては思いがけないことに、日本は満州の日米共同開発を拒否した。これは何を意味するかというと、ロシアは満州の北、英国は中国の香港、マカオ、及び東南アジア一帯に権益を持つのに、アメリカは日本によって、東北アジア進出を拒否されたことを意味する。

 


 

 これがために、アメリカの方針は、英国とちがって、「特Aのアメリカ、A級英国B級ロシア、B級日本」を否定して、「C級中国D級日本」に世界の構図を変更しようとした。そのために、アメリカは、日本に対して、(アメリカが入るために、日本をそこを去れ、というように、満州から出て行け)と主張し、それを日本が拒絶すると、日本への石油輸出停止にしたのだった。これは、そののちに、かつての米国南北戦争で何十万という人命が失う戦争になることも、辞さないアメリカの冷徹な戦略だった。ただし、民衆は日本というならずもの国家の制圧をアメリカがやむおえず行うのだ、と信じなければならない、これがアメリカの太平洋戦争の真実の意図であった。

 


 

 このアメリカの思惑に対して、日本はあくまでも戦争を回避して、年月をかけて民主化して行くべきだったが、なぜ、アメリカに貿易停止により追い込まれてそのまま戦争に突入してアメリカの思惑通り、B級国からD級国に転落して、侵略国家、軍国主義国家という汚名を着せられ、日本のマスコミもいまだにそのアメリカの宣伝を信じているか、というと・・・・

 


 

 日本の国内の指導層内部に秩序崩壊が起こっていたからである。

 


 

 それは、ドイツヒトラーのファシズムの統率、団結とまったく異なる、中堅上層と最高意思決定機関の命令上下関係の混乱だった。

 


 

 日本は江戸時代に藩主と上層武士の関係は、絶対的上下関係にあり、殿様の上意に逆らうことは許されず、殿様をたしなめる場合には、死を持って示す以外になく、話し合い、説得の余地などなかった。維新以後は、これが、維新の重臣の決定は、中堅官僚が覆す余地のない重いものだった。

 


 

 ドイツヒトラーであろうと、スターリン、ルーズベルトであろうと、世界の先進国は、政府、軍隊すべて、上部機関の決定は、下部機関が口出しすることが許されない。上部機関が手続きと議論を経て決定した事項をいちいち中上層部が突き返していたのでは、近代組織が正常に動くわけがない。これが行き過ぎて、一糸乱れぬ統制国家になるとファシズムということになる。

 


 

 ところが、これが日本に現実に起きたのは、天皇制ファシズムでもなんでない、統制のタガのゆるみにゆるみ切ったがゆえの、上意下達の連絡不全状態になっていた。つまり、現代でも盛んに言う「決められない政治」だったのであって、郡主導の断行政治でもなければ、遠大なアジア制覇をして国際市場の独占を図る侵略構想を最高指導層が抱いていたわけでもない。

 


 

 その証拠・・・

 

 まず、東京裁判で、満州事変からしての、「戦争共同謀議」があったことになっているが、真実は、

 

 1.昭和10年7月

 

 陸軍中佐が軍隊内人事に不満を抱いて、人事権のあった上官を殺害

 

 ※この事件の処分を被告が、軍隊内有力派閥の一員だったことから、処断を躊躇

 

 2.ニ・ニ六事件

 

 陸軍省の命令なく、勝手に軍隊を主導させた事件

 

これも、中堅将校が最高上層部の決定に反しても、結果的に心情が理解されるはずという思い込みが生じる状況にあった、と言える。

 


 

 この時、天皇は、意訳すると、「わたしの命令によらずして、勝手にわたしの軍隊を動かした者どもの軍隊はわたしの軍隊とは言えない」から、速やかに捕縛せよ、と言っている。

 


 

 この「わたしの命令」とは、実際は、「軍の最高決定機関が協議の上決定したことを天皇が聞いて、了承したこと」という意味であって、結局は、軍の最高決定機関の決定事項と関係なしに、軍隊を出動させたということであって、これはアメリカであれば、国務省の決定事項とまったく違う行動をテキサスの軍司令官が部下に命令するようなもの。天皇の軍隊だろうと、どこの軍隊だろうと、上部と関係なしに、動く軍隊など異常極まりない。戦争を起す以前に日本の軍隊組織は強力な組織だったのではなく、統制の取れない脆弱な組織だったことになる。

 


 

 2.この軍隊内秩序崩壊はのちのちにも、続き、広田弘毅内閣の次の総理になった宇垣一成は組閣に失敗して、その時のことを、日記に次のように書き記す。

 


 

 陸軍当局の力量、統制力については、多年の接触によりあまり大きな期待はしていなかったが、想像以上に無力無能であったことは、意外なほどだった」と。

 


 

 つまり、最高上層部が、こうしようと、号令しても、中堅幹部が言うことをきかないのだ。この時総理大臣宇垣一成が、陸軍省最高上層部に依頼しても、事態が一向に進まなかったのである。

 


 

 3.丸山真男は日本は天皇制ファシズムであり、軍国主義だった、規定し、これが戦後のマスコミの固定観念になっているが、ファシズムというのは、強力な独裁政権下で、異論は強力に弾圧され、最高指導部の決定事項を覆すことは許されないが、日本では、総理祭神が陸軍省上層部に依頼しても、中上層部が「違うとなれば」まったく動かない状態だった。これではファシズムも、帝国主義も軍国主義も強力に機能しない。

 


 

 4.そして、ほんとうは日本の政府、軍指導部は戦争回避を方針としていたにもかかわらず、中堅層がこの方針を打ち消すほうに行動して、後始末に追われた。

 


 

 5、海軍は英米重視、陸軍はロシア重視、というように、国家としての統一方針に陸海軍両軍が服するのではなく、最後までふたつの見方が併存し続けた。

 


 

 6.陸軍内部では、陸軍省と中央参謀本部が意見対立が続いて、大臣、参謀長の順位つけの下、組織が最高上意決定に従うということがなく、つねにぎくしゃくとした動きをしていた。

 


 

 7.外地派遣軍内部では、司令官が決断を示しても、部下の参謀が午前3時まででも、議論をふっかけて翻意を促すことがあった。

 


 

 8.参謀本部の決定通り動かない外地派遣軍に対して、わざわざお目付け役の将校が視察に行っても、現地の大尉が参謀本部の少将と激論することさえあった。

 


 

 9.外地派遣軍の独断計画を止めようと参謀本部が高級将校を派遣すると、料亭に足止めして、独断計画を実行して、規制事実を作ってしまう場合もあった。

 


 

 10。関東軍の司令官に天皇が、「満州事変は、関東軍の謀略の疑いがある、といううわさがあると聞いているが、どうなのか」と質問すると、関東軍司令官(本庄)は、「いえ、そのような噂は知っていますが、そのようなことは知りません」と天皇にさえ、真っ赤な嘘をつくほどだった。

 


 

 11.また、関東軍は上部組織である参謀本部に対して、満州事変の報告に際して、(意訳)乱暴な支那軍の攻撃を受けて、やむを得ず応戦しました」と嘘の報告をした。

 


 

 つまり、これが逆で、日本政府および、軍最高指導部が遠大な侵略計画を持っていて、この国家意思に中堅官僚、軍人たちが、従わずに平和に導いたというなら、なんぼかよかったろうが、事実は逆で、日本の最高指導グループは、陸軍省、参謀本部、総理大臣ともに、戦争回避で一致していたのにもかかわらず、現場の司令官を夜通し寝かせず説得して、主導命令を出させて、軍事行動を起こし、その軍事行動が国際的非難の口実になり、日本政府の政策変更にしばりをかけていった。

 


 

 これが、あたかも、現在では、日本は帝国主義・軍国主義国家であるがゆえに、遠大な侵略構想のもとに突き進んだ世界史に特筆すべき罪悪をなした国だったということになっている。そういう強力な権力国家ではなかった。

 


 

 天皇は嘘をつかれる。参謀本部のいうことをきかない。参謀長の許可なく、軍隊が国内でも、国外でもある、そういう国だったのだから、「天皇制ファシズム」でも、「軍事強権国家」でもなかった。