岩波書店「世界」を読む。3 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

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岩波書店「世界」 9月号の内橋克人の憲法対談「日本国憲法は最高のレシピ本」もきわめて興味深い特徴がある。

 


 

憲法対談「日本国憲法は最高のレシピ本」という題名の対談でありながら、冒頭ではなされるのは、

 


 

「原子炉」という言葉は「現政権」のごまかしで、「核分裂反応装置」(ニュークリア・リアクター」が正しい、という主張があり、次に広島の原爆の遺品について話題がおよぶ。

 


 

 いったい、原発批判と日本国憲法となにが関係あるのか、さっぱりわからない。

 


 

 ニュークリアリアクターを「原子炉」と訳したのは、現政権ではないが、「核分裂反応装置」でもいっこうにかまわないのではないか。

 


 

 外国語を直訳しなければいけないという考えは始めて聞いた。

 


 

 内橋とビナードは、歯科で使う医療器具をトンカチといったり、外科のメスを人肌切開刃とでも書いてほしいといっているようにも聞こえる。

 


 

 内橋は、は「従軍慰安婦」が必要だった、という論理は、ピカドンが必要だった(戦争早期終結のために)という論理に通ずる、という。一見もっともらしいが、まず、「慰安婦」はあくまでも、民間風俗の誘致であって、従業員を軍が連れてきたわけではない。従業員を軍が連行するのは、たしかに、ピカドンのように、犯罪だが、そうではない。

 


 

 まさに、私の日ごろの指摘とおり、内橋もまた、「朝日、岩波、毎日、テレ朝、TBS」左翼陣営の型とおり、「反核・護憲・反原発・従軍慰安婦」をワンセットに主張している。

 


 

 まず、「従軍慰安婦」などと言うものはない。「慰安婦」はあった。

 

 それは、民間の性風俗であるから、現在でも、世界中にある性風俗が罪で即時停止するべきだ、という主張をしないことには、戦時慰安婦性風俗を否定できない。

 


 

 原爆と慰安婦を一緒にするのはまったくの暴論である。

 


 

 なぜなら、原爆と慰安婦を同じ問題と一緒にしていい場合とは、現在の性風俗とちがって、慰安婦が拉致監禁性奴隷の場合だけであるが、そうではなく、現在の性風俗と本質的になんら変わりないからだ。

 


 

 「本人が望まない」という意味は、現在の性風俗従事者も、本当は好き好んではいない、という意味と同じでしかない。

 


 

 内橋の対談相手のアーサービナードは、アメリカが本当に早期終戦が目的で原爆を投下したなら、東京に落としたはずだ、という。

 


 

 まるで小学生のような発想ではないか。

 


 

 首都、政府を消滅させたら、交渉ができないから、東京に原爆を落とす選択はありえない。今後も核戦争があるとして、まず、地方に落として、脅迫することがあっても、はじめから政府自体を消滅させることは、マンガや映画の世界だけだ。

 


 

 

 

まさに同じ岩波書店「世界」9月号がフランスのパリ南大学のセルジュ・ラトウーシュに「「豊かな社会」から「簡素な豊かさ」という逆説へ」という小分を掲載して、さらにインタビューしている。

 


 

 これまた、「簡素な豊かさ」すなわち日本の脱原発・反戦反核論者がこれらの問題をワンセットにしていう、「清貧の思想」への価値転換をして、消費欲求の果の侵略をやめよう、という価値感のフランス版というわけだ。

 


 

 しかし、この小論の中で、ラトゥールは、はっきりと、こう言っている。

 


 

 1923年マルクス主義者ゲオルグ・ルカーチが提唱した社会主義経済・・・まさに、脱成長が手を結ぼうとしているのは、この社会主義経済なのです、と。

 


 

 なんのことはない。セルジュ・ラトウールとは、日本で言うならば、日本共産党系の経済学者が与太を飛ばしているのとかわりない。だれが、マルクス主義経済学を信用するだろう。

 


 

 ラトウールは、みずからの主張を補強するためにコルネリウス・カストリアデスの言葉を引用している。

 

 「簡素な生活が必要であり、地球の資源を家庭のよき父のように管理する必要がある」と。

 


 

 また、エピクロスの「わずかなもので満足しない者は何物にも満足しない」

 


 

 ラトウールは引用していないが、「東洋」では、「足るを知る」という考えがある。

 


 

 しかし、こうした「清貧の思想」は個人の自由であって、いったん社会の統治権力が社会全体にあてはめたとたん、私有財産の大幅な没収、制限、職業の規制と平等配分なしには、達成できない。また、産業はトータルな国営化を必要とする。

 


 

 ラトウールは日本の欺瞞的な左翼とちがって正直に見解を開陳しているだけ、筋がいい。彼ははっきり言っている。

 

 「家財と耐久消費財の精算縮小を立案し、現実的で意思的な明細帳によって、材の持続性とエコ発想を組織することが重要になります。」

 


 

 ・・・まさに、これは、「足りてる、足りてない」ではなく、「家財と耐久消費財の精算縮小を立案し、現実的で意思的な明細帳によって、材の持続性とエコ発想を組織・・・して、安定確実に、脱原発し、同時に環境破壊するような自然エネルギー消費はやめよう、ということなのだ。

 


 

 それは、ロウソクや禁欲に帰ることではなく、「尊厳ある生活」を営むことだ、という。昔のよき生活では、「質のよい衣類を大切に使い古されるまで着こなしたものだ」と。

 


 

 こういうラトウールの主張に魅力を感じる人にお尋ねしたい。

 


 

 たしかに、そうした生活は実直で魅力あるかもしれませんが、これを全員が実行したとたん、街の衣料品店からスーパーの衣料品置き場まで閑古鳥が泣き、閉鎖され、人はちょっとした買い物をするにも、遠方まで時間をかけて買いにいかなければいけなくなります。

 


 

 また、パソコンは次から次に作られて、ゴミも増えますが、それを辞めれば、薄利多売が不可能になり、低所得者は実際はパソコンを持つことができなくなります。ラトウールも、彼をもっともらしく紹介する「岩波書店」「世界」の編集者たちも、歴史になにも学ばず、ただ、ソ連、中国、北朝鮮が失敗しても、フランスや日本の左翼は違う、とがんばっている。

 


 

 この「世界」9月号では、アムネスティ通信と題して、アムネスティインターナショナル代表山下明子が言うところによると、国連の台50会期の社会権規約委員会、拷問禁止条約委員会において、山下明子らアムネスティインターナショナル日本は、日本が拷問行為者の訴追を怠っている、と主張したという。

 


 

 山下明子の見解では、「慰安婦」という言葉は「自主的行為」を連想する、というが、そんなことはない、と私は思う。というのは、私の体験では、青年時代に「慰安婦」という言葉を聞いた時、「性風俗を連想したが、同時に日本軍を、私は憎んだ」ところが、なぜ、その時、私が「日本軍に悪印象を持ったかというと、その後、おとなになって、世の中には性風俗が溢れていること、アメリカ映画「キャッチ21」ギリシャ映画「旅芸人の記録」などをはじめとして、アメリカもまた、軍隊と性風俗は消して消しきれない現実だと知ったからである。そして、その頃から、「自主的とは思ったことはない。なぜかというと、およそ、心底自主的な性風俗もなく、できることなら、世の中からなくなるほうがいいことだからだ。」

 


 

 ところが、山下明子の場合は、「自主的でないから」「SEXslave]性奴隷だという。

 


 

 「本人の意思に反して」が「奴隷」だというなら、世の中の職業も相当の部分、奴隷だ、強制連行だと言い張ることは可能ではないのか。

 


 

 ましてや、山下明子は、拷問行為の実行者の訴追を終わっていないという。

 

 ある意味、ソープランドのお客は、お金をだしても、拷問行為で訴追されなければ、なるまい。雰囲気的に逃げられない場所なのだから。

 


 

 山下明子は、日本軍が、民間性風俗業者を軍に招致して、慰安婦、慰安所と呼んで営業させた、その目的を次のように説明している。

 


 


 

 「兵隊の慰安、性病とスパイの防止」

 


 

 これは、故意か無知かによる間違いである。

 


 

 第一、「性病」と書くこと自体、山下明子が「知っているのに知らないふり」をしている事を暴露している。「性病」の心配があるというのは、軍施設周辺に性病管理のおろそかな性風俗があってはじめて存在しうる問題であり、軍に「性病防止意識があったとすれば、「性病防止が目的で慰安所を招致したのではなく、招致した慰安所に性病防止対策を指導したということだ。

 


 

 これがもし、「レイプ」なら、むしろ、「性病」は蔓延するに決まっており、「防止」が目的で「レイプ」するわけがない。「防止」もひとつの目的だからこs、レイプを防止したのだ。まさに、山下明子が「知らないフリ」をしている証拠だ。

 


 

 山下明子は故意に書いていないのだろうが、日本軍が慰安所を招致した意図は、「他国の民間女性に被害が及ぶ事を防止すること」が銘菓うで主要な目的だった。

 


 

 事実、中国、朝鮮では、朝鮮戦争、ベトナム戦争、日米戦争、日中戦争でも、日本の民間人引き上げ者がソ連兵の被害にあったり、半島では、中国、朝鮮の兵による民間女性の被害が多発した。ベトナム戦争でもそうである。

 


 

 日本は、異例の制度、風俗業者を誘致するという方法をととったために、実質的に民間人が性犯罪の被害を受けることは極めて少なかった。

 


 

 したがって今でも、レイプによる遺児というのは、日本に関してはほとんどないと言っていいほどだが、ベトナム戦争時の韓国の性犯罪による捨て子はベトナムに2万人以上いると言われる。

 


 

 山下明子は卑怯極まりない事に、このことには少しも触れない。