蜂の寓話のマンデヴィル | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

マンデヴィルは、1670年オランダのロッテルダムで洗礼を受けた。 


日本では徳川家綱、朝鮮は、チャン・ヒビンで有名な粛宗の前の代、顕宗、中原地域は、清国の時代。


 この時代すでに、オランダにはエラスムス学校があり、ライデン大学があるという具合で、マンデヴィルは、両校に学び、哲学を学んだあと、後に医学博士になり、ロンドンに移住して、英語を学んで、ロンドンで医師として開業するかたわら、社会風刺の書を発表した。


 1705年に「ぶんぶんうなる蜂の巣」という散文詩を発表し、その後もこの着想をあたたためて、9年後の1714年に「蜂の寓話」を発表した。


 「ぶんぶんうなる」というのは、悪徳の横行に対する、宗教界、良識人の非難、嘆きのことを風刺した表現である。現代日本で言えば、新聞の読者投稿やテレビのワイドショーのコメンテーターを連想するとわかりやすい。


 当初この本はまったく世間の話題にならなかったが、さらに10年後、1724年に増補発表されると、ミドルセックス州大陪審院が告発したり、「ロンドン・ジャーナル」にこの書が反社会的である旨の評論が掲載されて、マンデヴィルは弁明をつけて再版した。


 マンデヴィルに対する非難反発はあとをたたなかったが、彼はめげずに、下巻を出版したり、あらたに、1732年「名誉の起源」という本を出版して、真意説明を試みている。


 「名誉の起源」は、「恥の文化」「罪の文化」と言われるように、一般にヨーロッパでは、人間の行動様式が、神への恐れによって、悪徳が抑制されていると信じられているところを、マンデヴィルは、いや、そうではなく、人間は実は、神よりも他者に対する恥辱の感覚のほうが強い、と主張し、これが名誉の起源だと言った。


 為政者がこの心理を利用して、巧みに、教育することによって、人間は個人レベルでは大真面目に決闘をし、おおまじめに、国のために、死をもいとわず、戦地に赴くこともありうるのだ、と言った。


 マンデヴィルに言わせれば、名誉ある戦死は、兵士が為政者の狡知にだまされた結果ではあるのだが、そうした、立派でもない真相も、結果的には、国家の勢力増強にはプラスだと皮肉っている。


 マンデヴィルのこうした考え方は、宗教と道徳を茶化すものと受け取られたらしく、神学者から、非難された。


 マンデヴィルの思想を一言で集約した「私悪すなわち公益」の「私悪」とは、欲得、ぜいたく、私益、うぬぼれ、というほどの意味であって、犯罪でさえも、という意味まではない。


 結局マンデヴィルは何が言いたいのかというと、美徳が良く、悪徳は撲滅すべきもの、という理念をおおまじめに実行するならば、国は滅びますよ、公益は、むしろそこなわれますよ。一般に撲滅すべきもの、とされている悪徳こそが、公益を増進している有益なものなのですよ、という真実を説得したいということだった。


 当然、宗教界にとっては、悪徳は百害あって一利無しなのであるから、マンデヴィルの主張は許しがたいものだった。


 マンデヴィルのこのような考えは、当人が、ラ・ロシュフコー、エラスムス、ホッブズ、モンテーニュなどに、啓発されて、発想し、その後、ヒューム、スミス、ベンサム、ミルなどに引き継がれていく。