韓非子についてのメモ | 気になる映画とドラマノート

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 人間は、己が財と勢力を伸ばそうとする利己心を持つ存在として、「天子(皇帝のこと)、諸侯(豪族・貴族)、大夫(高級官僚)、人民は同じであり、そこに差異はない。

 どの層にも、清廉潔白な人間はいないわけではないというだけであり、天子だから、諸侯だから、野心を行使する可能性が低いわけではない、等価なのだ。

 これが韓非子の考え方。「法」はこの利己心を掣肘するが、完全に撲滅する機能があると思っているわけでもない。

 中国と朝鮮は儒学と韓非子を両方取り入れたが、日本は韓非子をまったくとりいれなかった。

 朝鮮は「東方礼儀の国」という自己像を持っている。これは、日本人がしばしば「和の国」「美しい国(やまとしうるわし)」というがごときものだが、これは、元々、儒教の理念が「礼」によって、秩序を維持するというもので、朝鮮の場合、明国にならって儒教を国教化した後、明国以上に純化して、儒教を取り入れた。それは、後に、儒教が示す「郷校」が、中国ではすたれているのに、韓国では残っているということにも表れたし、儒教に内在する「天子・諸侯・士・大夫・君子・小人・女子」の順番に徳から離れているがゆえに、人間として価値が低いという差別構造が社会に確立した。日本はまた、日本で、「穢れ意識」が差別構造を生んだ。


 朝鮮が明国以上に、熱心に儒教を取り入れたのは、ちょうど日本が、アメリカ以上に「民主主義」「人権主義」に執心する心理と同じ性向が働いたといえるのかもしれない。

 韓非子を無視した日本人にとって、儒教は仏教ほど熱心に取り入れなかったにせよ、中国の思想といえば、ただ論語あるのみと言った具合の理解の仕方をしていた。

 日本人のみが、中国、朝鮮に比べれば、人はだれでも、利己的な行為に走る動機をもつものであり、これは法を持って掣肘するしかなく、しかも、撲滅を期待できるものではない、という意識が薄いこととなった。

 中国・韓国・日本では、日本人が最も、日々のニュースで報じられる凶悪事件、いじめ、などの出来事に真剣に、なんとかならないか、と心を痛め続ける国民と言える。

 ホームレスが一時に極端に増えれば、日本では国民もマスメディアも、政府が対策を採らずに済まされない異常事態と受け取られるが、韓国では、ホームレスや売春の急増は、「憐れむべきこと・困ったこと」ととらえられる。これは、根本に、人間が不道徳なことを伴う境遇に陥るのは、怠惰という不徳を為した先祖と本人の不徳の結果であり、社会が対策しても意味がない、と考えられているからだと思われる。

 比べて、日本は同じ日本人ならばみな善良であり、いたしかたなく、ホームレスや売春の境遇に陥ったろう、という同情心がつねに国民の6割くらいにはある。これは同時に日本人の他者に対する警戒心のなさを意味し、善良な老人の詐欺被害が絶えない。