栄光のジェイン 18話 罪と謝罪 おまえのかあちゃんでべそ | 気になる映画とドラマノート

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 わたしの子供時代に「おまえのかあちゃんでべそ」というけなし言葉があった。これくらいの言葉を言っている分には、いじめにはならないが、今のこどもも、こういう言葉を言うことは、はたしてあるのだろうか。

 AKB48の主要メンバーのうちの一人の母親が逮捕されたあと、youtubeに、「○○の母は犯罪者だ」という動画が複数掲載された。

 この、「ある人間の親が罪を犯した時、子供もつるしあげてもいい」という発想が何を起源とするかは、なかなかわかりがたい。

 しかし、事実、韓国でも、イ・ジアという女優の祖祖父が親日だったという言い方がなされる。

 この韓国の場合も、マスコミが言ったわけではなく、庶民が発した意見と言う意味では、日本と同じだ。

 これは、「おまえのかあちゃんでべそ」という非難が一理あると考える子供の幼い理路と同じなのかどうかもよくわからない。

 ただなぜか、「わら人形に釘を打てば相手も死ぬ」ということが因果としておかしいのに、信じられるように、親の行為がこどもの罪やとがめと関係つけられているのである。

 これが気のせいでないことは、「栄光のジェイン」18話のセリフにも、示されている。

 ヨンガンの父親とソ・イヌの父親は、ジェインを児童養護施設にむりやり入れるのだが、ヨンガンとソ・イヌは、「おまえもおれも同じ罪を負っている」というのだ。この発想が正しいなら、AKBの「親が罪を犯した娘」も罪を償わなければならないことになる。明らかにおかしいのだが、まさに、迷信とか偏見、固定観念のようなものによって、「おまえのかあちゃんのでべそ」が「おまえの傷」であるかのように、人間は考えてしまっているのである。

 これを拡張すると、「日本の朝鮮植民地時代について、一般の日本のサラリーマンが謝罪する」ということになる。

 このサラリーマンの祖先が、「地方の片田舎で、新聞もなく、ひたすら生涯百姓をして暮らし、政治動向など、知らなかった」場合。「戦争中、南方戦線で餓えしに死にした」場合でも、このサラリーマンは親の死に様を知らずに韓国人に謝罪することになる。これもまたおかしいことである。

 また、事実朝鮮や中国で、植民地や戦地で非道なことをした人のこどもは、謝罪すべきなのだろうか。

 これは、なかなか、はっきり言い切れないが、謝罪したいという人がありそうだ。

 しかし、これも変だろう。行為した人間が謝罪するべきで、こどもが謝罪しても意味がない。

 ところが、事実「栄光のジェイン」では、死んだ夫が生前犯した罪について、被害を受けた女性に土下座して号泣するという場面が実際にある。

 こんなふうに、罪と謝罪の意識は、日本と韓国は「共通の固着観念」を抱いていると言ってよい。

 ドラマ「大王世宗」でも、世宗は父親の「他国侵略の罪」を糾弾して、「謝罪と補償をすべきです」と叫んでいる。

 これは、こどもが、父親の罪について、率先して始末をつけるべきだという発想で、やはり、個人倫理と国家行動を重ね合わせているのである。もちろん、このセリフは、日本国に対する、皮肉であり、日本人には、世宗のような道義はないのか、と言っているわけだ。

 そして、まさしく、「栄光のジェイン」で、「おれは父親を裏切って告発する覚悟がある」というのである。

 これは、親が罪を犯した場合、親を糾弾してこそ、その人間の道義が成り立つ、と言っていることになる。

 つまり、そうなると、現在韓国のおこなっている「親日派糾弾」はやらねばならない行為になるだろう。

 AKBのメンバーも、親を社会的に責めてはじめて、まっとうということになるのか。

 どれも、根本的に間違っているのだが。