名家の娘ソヒ 19話 感想 | 気になる映画とドラマノート

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 フジテレビやNHKの韓国ドラマへの韓国ドラマへの過剰ともいえる肩入れを批判する人たちは、明らかに、韓国ドラマを官民あげての「良いイメージ戦略、洗脳」だからダメなんだと考えているようです。

 しかし、多くの韓国ドラマを実際に見ている人ならばすぐにわかることですが、韓国ドラマに描かれているのは、「不倫、裏切り、陰謀、仲間割れ、裏に回ってのいじわる、あるいはあぜんとするような罵倒、ビンタ、嫁姑の喧嘩、家門にこだわっての家族の不和、母のエゴと親思いの息子の悩み、めかけの息子の苦悩、貧乏人と企業オーナーの息子、娘との格差を示す設定の繰り返し。自国を捨てて外国に移住したがる行動様式、賄賂にまみれた権力者」が時代劇から現代劇まで、繰り返してこれでもかとでもいうように、韓国人の自己認識が反復して表現されています。こういうモチーフを、韓国人が日本人に見せたがっているとは、到底信じられません。

 「名家の娘」ソヒでは、激しいビンタで叩かれる場面がなんと、1話に3組、三場面あります。まことに異様な脚本だと私は思います。韓国ドラマは、そういう異様な側面も持っています。あっちで、ビンタ、こっちでビンタ、またこっちでビンタ。

 そもそも、ゴリ押ししてまで見せるような内容ではないんですよね。たとえば、両班が下働きの女性を手篭めにしたり、足で蹴ったり、それを妻が嫉妬して拷問したり、あきれ返る内容のドラマをなんで、「ゴリ押し」するんですか。

 これでどうして、日本人が韓国に洗脳されるといえるでしょうか。実際、韓国ドラマが日本人洗脳の戦略と考える人たちの無知とちがって、いまだに韓国ドラマは、呆れかえるというマイナスの感情と、日本人もこういう嫌なところがあるのに、日本のドラマが怠慢で描かないだけだな、という苦い感情の二重性を持ちながら見ていることになります。

 「名家の娘ソヒ」では、どこが「反日」かと疑う場面があります。

 このドラマは、李氏朝鮮が大韓帝国になる、ちょうどその時点を描いているのですが、そこで庶民は、嘆く両班の姿を、「やはり両班はちがうねえ」と呆れて眺めるのだし、逆賊は自決もできない朝鮮の大臣たちであって、日本に対する恨みはここではたいして描かれません。

 こんなところにも、「済衆院」と「名家の娘ソヒ」は作者が違うのであり、作る人間が違えば、当然視点も違うことがわかります。

 そういえば、2011年の「ミスリプリー」では日本人のホステスの女性が、韓国人のミリに、「ミリちゃん、幸せになってね」と福岡の鉄道のホームで見送る場面がありました。