つかこうへいさんが亡くなった時、ペンネームのつかこうへいが「いつかこうへい」に由来するという説があるという記事読んで、本当かなあ、と眉につばをつけていたのだが、 辛淑玉(シン・スゴ)さんがその文章の中ではっきり「いつかこうへい」が由来だと書いていた。
たしかに「つかこうへい」というペンネームは、いかにもこの説にぴったりのネームではある。
それでも、私にはこれが信じられない。
というのは、文学者というものは、人間社会なり、人間個々人なりが本当に重要で目的とすべきものが「公平性」だとか「差別なき社会」を目指すことだとかということはちょっと考えられないのである。
それは、政治家の発想であって、文学と思想の発想ではありえない。
わかりやすくいうならば、日本の中の被差別地域の住民でもなく、在日中国、在日朝鮮、在日韓国人でもない日本人が、その夫が交通事故や病気で突然死んだとしよう。また、夫が不倫して、子どもがいたとしよう。この場合の日本の女性には、「社会的公平」という問題はない。
もっといえば姜尚中氏や辛淑玉さんのように、日本社会の在日外国人の権利獲得に熱心な人々の政治的営為は政治運動としてご随意であろうけれども、人間というのは、辛淑玉さんの望みとおりに、「参政権問題」等々すべての問題が解決したとしても、それで幸せになり満足になるものではない。私にはつかこうへいの残した作品群は、「公平」を希求して書かれたものというよりも、その先にある人間の業を考えてきたものと思われる。そんなつかさんが「公平」こそ、大問題で、だから「いつかこうへい」とペンネームの思いをこめたとは信じられない。
名家の娘ソヒ12話