おすすめ本 2010年刊行 クォン・ヨンソク「韓流」と「日流」 | 気になる映画とドラマノート

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 東京都立大学教授 鄭 大均氏は「在日の終焉」の中で、日本で生まれ、日本で育った在日二世、三世、四世の人々と1980年以降、韓国から自分の意思で来日した在日とは区別して考えるべきだと言っている。後者をあえて
名づけるならば、と「ニューカマー」と氏は言う。

 その本を読み進めていくと、その区別の必然性がわかる。それは次のようなことだ。

 私たちが多くの韓国ドラマを観てわかるように、まず、韓国がいまに残して伝えている四字熟語、ことわざは、日本人が残して伝えているものとは、選択がかなりちがっている。

 また、お葬式の儀式などは、日本人日本国内でそれぞれ異なる宗派の家にお悔やみに行って、みようみまねで参列する場合の、相違の比ではなく、まったく違うしきたりを持っている。

 また、韓国人は日本よりも、分断国家の事情があるために、つねに民族意識を自覚せざるを得ない。そのため、韓国人を自称する者が、日本なまりの韓国語をしゃべったり、文化的しきたりにおいてずれたことをすると、かなり強い違和感を持つことになるのだという。逆に日本人自身は「平和ぼけ」「民族自覚ぼけ」というところがあるのは、間違いないのであり、実はそうした「国際感覚ぼけ」の日本に生まれ育った三世、四世の在日のひとたちは、まぎれもなく日本人の心をもって生きている。

 さて、上にあげた特徴をニューカマーの在日は、あきらかに持っていない。日本なまりのない、ネイティブの韓国語を話し、思考の内部に韓国伝統のことわざ、四字熟語、歴史記憶をもっており、韓国テレビ映画文学史の流れを知っている。そして、韓国人の習俗と心情を心底知っている。これが、ニューカマーの在日とうまれながらの在日を区別するゆえんということになる。

 「韓流」と「日流」の著者クォン・ヨンソクさんは、上の説明でいう「ニューカマー」の在日韓国人なのである。

 1970年ソウル生まれ。一ツ橋大学准教授である。

 クォン・ヨンソクさんの基本的なスタンスは私のかんがえに近い。つまり、ときどきわたしがこのブログで書くように、日本からは、「鬼畜米英」、アメリカからは「イエローモンキー」と言い合ったことに象徴される時代、カート・ボナガットが言うように、「原爆、空爆」はさほど胸が痛んでしかのないというものではありえなかった。

 しかし、文化侵略とか、洗脳とかという否定的意見がありながらも、結果的には、まぎれもなく、いま日本で災害、が起きれば、胸を痛める人々が世界中にいるのは、日本文化のなかの日本の心を知っているからということが大きい、とわたしは考えているが、クオン・ヨンソクさんも、ある程度はそうした見方に立っていることがわかる。

 この本はいちサラリーマンであるわたしが、なんとなくそうなのかな、というイメージで抱いてきた現在の韓流と日流の文化状況の配置がとても整理されて書かれてある。

 韓国人にとっての日流とは、ではどんなものだろうか。

 文学 村上春樹 よしもとばなな 宮部みゆき 江国香織 辻仁成 東野圭吾などを韓国の学生が読むことはめずらしくないという。これが、本当ならば、日本の学生はただの一人も、韓国人作家の名前をあげられないだろうし、アメリカの作家でさえ、現代作家は、一人たりともあげられないだろう、と思うとかなり特別な意味がありそうだ。

 映画では、「のだめカンタービレ」「「スワロウテイル」「「ジョゼと虎と魚たち」が韓国の学生たちを夢中にさせたと書いてある。

 韓国人に好まれる日本の俳優は、木村拓哉、オダギリジョー。玉木ひろし、宮崎あおい、蒼井 優などがあげられている。(実際わたしも、KPOPの少女時代のヒョヨンが蒼井優が好きだ、と言っているのをみたことがある。

 韓国の女性にとっての日本の化粧品といえば、あこがれの対象であり、具体的には、資生堂、SKⅡが代表的とされる。

 ちなみに、いま円高で日本女性が韓国で買う化粧品は、この本によると、ETUDE、BBクリームだという。

 クオン・ヨンソクさんは、小学校の頃、父親の仕事の都合で日本の学校にいたことがある。

 その時、日本の小学校の運動会で、万国旗がはためくと、なぜか韓国の国旗がないことに違和感を覚えたが、いまはある。それは文化交流が根付いてきたからだろう、という。(本当のところ、1970年半ば、日本は左翼思想が強く、国会、地方自治ともに、社会党がかなりの存在を持っていた。そして、在日社会もまた、韓国は非民主的で、北朝鮮は平等を目指す立派な国というイメージがあったと思われる。それが、韓国の旗が日本社会に違和感泣くひるがえらなかった真相だろう)

 次にこの本に書かれている、まさに、「ニューカマー」つまり韓国のネイティブならではの細かい韓国事情をメモってみる。

 1983年中曽根総理が韓国に40億ドルの借款供与をした時、韓国政府は「独島はわが領土」を禁止歌にしたという。(この両国の動きは対北朝鮮協同政策の機運が高まったtということだ)

 この本の中で、もっとも違和感をもった部分ともっとも共感した部分をひとつずつ紹介してみる。

 おや、と思ったのは、「マンガ嫌韓流」についてのクォン・ヨンソクさんの感想だ。「太陽政策によって北朝鮮と韓国が統一するのではなかという危機感が、「マンガ嫌韓流」を書かせたのではないか、と書いているのだ。

 クォン・ヨンソクさんは、当然ながら、こういういやな話題をそうそう頻繁には、日本人と話すわけもなく、嫌韓流に共鳴する人々の考えを誤解していると思われる。私には日本人が韓国に偏見を持とうと持つまいと、統一が近いと本気で考える人はいないと思える。ところが、多くの在日の大学教授の出す本の中には、しばしば、日本は南北統一を嫌がっている。なぜなら、となりに大きな文化経済大国が出現するこを恐れているから、といのだ。(まず、これだけは日本人の本音にいっさいない考えだろう。)

 最後にもっとも、共鳴した見方。2PM、2AMや少女時代とは、何かということだ。
「彼ら、(彼女らに)の明るさ、元気さ、軽快さに「ルサンチマン」などということばは似合わない。(前世代が)われわれにも出来るんだ」という自己暗示をかけながらも、肝心なところで一歩とどかなかったひとつ前の世代とは明らかにちがう。」
この認識は重要だ。実は、日本の学生が学生運動をいっさいしなくなった時、日本の学生のなかに、社会の(左翼的心情からみた憤り、心の傷が自分の出生、児童時の社会経験からする社会の矛盾、憤り、傷が終焉した時点は本当は重なっている。以後、学生は環境リサイクル、地球温暖化問題に関心を向けていき、歴史問題にはまったく関心を示さなくなっていく。(現在ならば、原発というエネルギー制御と社会的位置つけ、政治利権の欺瞞性の問題に関心が集中している。そこには、かつての、貧しい社会特有の心情的傷はない。現在のKPOPにも、この心性(傷の喪失)の兆候がある。だから、「少女時代」が「独島はわが領土」を歌ったと言って、鬼の首でも取ったように言い立てる連中は韓国の文化変容を理解できていない。

もうひとつだけ。韓国人が「日本のアニメと知らずに」観てきた日本アニメ

「キャンディ・キャンディ」「「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「鉄腕アトム」「「マジンガーZ]等々だが、日本ではないとからといって韓国が作ったとも、思っていなかったという。つまり、ヨーロッパが舞台だから、ヨーロッパのアニメだろう、と思っていたらしい。

 「ドラえもん」は「トッチャモン」 「ガッチャマン」は、「鷲五兄弟」といったのだそうだ。

 「ドラゴンボール」「北斗の拳」「銀河鉄道999」そして、ジブリ作品が韓国人に、日本人がけっして軍国主義一色ではないと確信させるきっかけになったアニメだという。