アメリカ映画をたくさん観てわかる多文化共生社会の本質 | 気になる映画とドラマノート

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 私はこのブログでは、多くの韓国ドラマについて書いていますが、韓国と日本の歴史的関係について強い関心を持ってきました。そして、現実の世界では、新聞、インターネットで、「フジテレビの韓流ゴリ押し」批判や「竹島問題」がまぎれもなく、争点となっていますし、昨日の新聞では、韓国の日本大使館の前に、韓国の市民団体が、「従軍慰安婦記念碑」を築造することがほぼ決定的だと報じられていました。内心、それぞれに感想はないわけではありません。

 ただ、本来アメリカ映画をだいぶたくさん観てきた私として、「多文化共生社会」とはどういうものなのかを、述べたいと思います。

 クリント・イーストウッド監督のアカデミー賞受賞作品「ミリオンダラーベイビー」で、クリント・イーストウッドが演じたボクシングジムのオーナーであり、名トレーナーの老人と主人公の女性ボクサー、この二人が実はポーランド人だということは、はっきり映画の中で明示していませんが、わかる人にはわかるように描かれています。それは、たとえば老トレーナーが、主人公の女性にプレゼントするガウンの背中に記された紋章に示されていることは有名です。

 クリント・イーストウッドは、実はもう一度ポーランド系アメリカ人をそれとはっきりいわずに登場させて、自分が演じています。「グラン・トリノ」でです。主人公は自動車製造の機械工を退職した老人でしたが、アメリカ社会では、(たとえば日本ならばパチンコ産業の経営者一族に在日の人々が多いように)自動車産業の労働組合は、ポーランド系アメリカ人が非常に多数を占めていることは有名です。このアメリカでの、一般常識を背景にして、「グラン・トリノ」でイーストウッドが自動車の機械工の退職者を演ずる場合、それはとりもなおさず、ポーランド系アメリカ人であることを、あえて言わずとも示唆しています。では、なぜ、ポーランド系でなければならないのでしょうか。

 「グラン・トリノ」の中で、主人公の退職した元自動車製造工員は、道具を大切にしています。

 そして、「ミリオンダラーベィビー」では、老ボクシングトレーナーが、若く、貧しく、そして孤独に生きる若い女性主人公に、「貯金するんだぞ、少しずつでもな」(だれもこの社会では助けてくれないから、自分で自分をまもらなければ)と助言します。

 ここに、イーストウッドのポーランド魂、実直な精神、社会の中での負けじ魂の、エスニックな主張があったにちがいないのです。

 アカデミー賞作品をいくつも作った監督で有名な監督にミロシュ・フォァマンがいます。この監督は、「カッコーの巣の上で」(モーツアルトを扱った)「アマデウス」などが特に有名ですが、「存在の耐えられない軽さ」を監督しています。この「存在の耐えられない軽さ」は、観た人はわかると思いますが、チェコスロバキアの社会主義抑圧社会での、人間の精神を描いています。ミロシュ・フォァマンは、チェコスロバキア系アメリカ人なのです。

 スティーブン・スピルバーグは、「シンドラーのリスト」と「ミュンヘン」でユダヤ人の歴史を描くことに取り組みました。もちろん監督自身がユダヤ系アメリカ人なのは有名です。

 フランシス・フォード・コッポラ、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロはイタリア系アメリカ人であり、彼らは、イタリア系移民のアメリカでの生き方を描く「ゴッドファーザー三部作」を完成させています。そして、これらの映画には、民族的な価値観、習俗、精神性を投入する努力が払われていたでしょう。

 アメリカは、こんなふうに、国籍自体はアメリカでも、けっして民族性が風化してしまったわけではなく、これがわがイタリアの精神だ、これがわがポーランドの精神だと指し示す手がかりを残しています。これらは、こうした多くの民族出身監督たちの意思が把握し、提示した民族性です。

 ここまで書いてい、私が言いたいのは、国籍は民族性をその国籍に向けて「同化」させたり、「風化」させたりすることはできない。もし、国籍を替える事情があったからといって、民族精神を自他に向けて把握、提示できなくなるとすれば、それは「同化政策」のゆえではなく、本人の思想の弱さだということです。

 ここにあげた偉大なアメリカの監督たちは、そのことを証明しています。

 いまや日本で知らない人も少ない有名な東京大学教授、姜 尚中教授は(話す時は温厚な紳士ですが)文章では、激烈な日本社会の批判者であり、姜 尚中教授は在日の人々に、あえて帰化しないままで、参政権を求めるもっとも強力な説明者です。その理由は、日本が多元的価値多文化共生社会になることに、「在日韓国人が外国人のままで参政権を得ること」が試金石になるからだと言います。

 一方、同じ在日の大学教授でも、鄭 大均東京都立大学教授は、在日二世三世、四世にすでに韓国籍や朝鮮籍を維持する根拠はなく、参政権そのほかの権利を主張するならば、日本国籍を取得していらざるコンフリクトを解消するべきである、という見方をしています。そして、鄭 大均さんは、まさしく、韓国系日本人になったからといって、それは民族性の喪失、同化を意味しないと主張します。