この映画は1983年6月に公開された。
2006年に書かれたレビューに、「この映画は戦艦三笠記念館で一部を常時上映しているという。一文がある。
この映画をゴリゴリの愛国主義プラス戦争もいつでもこいや、的な人が題名にひかれて見ると、とんでもないことになる。脚本家笠原和夫の悪意というべきか、強い信念というべきか、いかにも、「日本国ばんざい」式の題名をつけておきながら、実際には、おそるべき反戦の映画をこしらえている。
実際、TUTAYAのサイトに書かれた感想に、こんなのがある。
「映画の大半を占めるチャラチャラした、出来の悪い青春物の逸話は要らない。大いに時間を損した気分。」
そりゃそうだろう。この感想を書いた人は、「出来の悪い青春物の逸話」というが、まったく、作者は確信して書いている場面だ。
バルチック艦隊と戦闘する予定の戦艦三笠の乗員が、出征する前に恋人と会う。
男が「天皇陛下のために戦ってくるから」というのに対して、女は、「私のために足の指を切って、そうすりゃ戦争にいかなくてすむと聞いたことがある」と言う。
男(沖田浩之)が「国を守るためにいかなきゃならん」というのに対して、女(三原順子)は重ねてこういう。
「くにくにって、お国があたしたちに何をしてくれたんだ、はばかりながら、あたいが育った下谷の万年町(今の東京上野の近く)じゃねぇ、五つ六つのガキん頃から自分のおまんまは自分でかせがなきゃ生きてこれなかったんだよ。お国に返さなきゃいけないような義理みたいなものはこれっぽっちもありゃしないよ。
聞き入れない男に女は最後にぼそっとこういう。
「まあ、いいや。お国のためだかなんだか知らないけど、立派に死んで魚のえさにでもなっておいで」
これがどうして、(チャラチャラした、出来の悪い青春物の逸話)であろう。この女の言い分がすべて真実ではないとしても、一面の真実だと認めないわけにはいかないのが当たり前の考えだと思う。
そのほかにも、海戦で死ぬのがこわくて首吊りする新兵の逸話などがもりこまれている。だから、戦争映画に、勇猛果敢で崇高な犠牲精神だけを見たがる態度には、これほど嫌な映画はない。
もうだいぶ前に、(とは言ってもいまでも大問題だが)いじめの問題が大きくクローズアップされたとき、テレビの青春ドラマやまんがの世界では、友情やおもいやりの心情を描いたドラマや他人を傷つけたり傷つけられたりすることよりもわが道をゆく、孤高の主人公がが熱狂的に人気なのに、なんだっていじめはこうもなくならないのだろう、あれはあれ、これはこれ、ということなのか、と首をひねったことがある。(いまでもその疑問は残るが)つまり、この「日本海大海戦海ゆかば」を見ても、チャラチャラした、出来の悪い青春物の逸話、という感想もあるということは、どんな渾身の脚本も、蛙のつらに水ということなのかもしれない。
明治38年時点で海軍の高級将校は、昼食(朝食?)にパンとバターとスープの食事だったことが紹介されている。
食事をしながらの作戦会議
艦船三笠は石炭動力だった。
この映画は日本海海戦の大勝利のかげで惨憺たる思いで死んでゆく若者たちの姿を描いて終わっている。
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