「女人天下」は「イサン」と同じく、複数の事件、複数の人物に巡回的にスポットライトをあてて進行して行きます。「大王世宗」も多少そういう形式でしたが、この「女人天下」の場合、ちょっと特別なのは、巡回してスポットライトのあたる人物のキャラがすべて「奇人」「傑物」「激しい情熱の持ち主」だということです。つまり一人一人のキャラクターを丁寧に作りこむ準備がこのドラマ、ちょっと違うのではないか。
ヌングムの師匠、ヌングム、キルサン、メヒャン、メヒャンの母、ひとかどの人物の多さが圧倒的に多作より多い。
中殿の兄の妻にしてからが、普通ではありません。「あなたはわたしにワイロを渡すつもりですか?」と友達に言う堅物だし。
中殿の兄は、ドラマの登場時点では、ただの小物だと思っていたら、どうして只者ではない。
坂本龍馬は、西郷隆盛について、「西郷は釣鐘のような男で、小さく叩けば小さく鳴り、強く叩けば大きな音がする、そういう男だ」といったそうですが、この承候官(中殿の兄)も似たところがあって、並の男ほど、女の言うことなど馬鹿にしてかかって、よく聞かずに自分で判断して墓穴を掘るものですが、この中殿の兄は自分の妹(文定王后)が、なみなみならぬ賢い女であること、言うことがなるほど、確からしいことを察してか、実に、呆れるほど、よく中殿の言うことを聞く。ナンジョンに対してもそのとおりで、あくまでも自分を過信することなく、徹底してナンジョンの言うこと妹、中殿の言うことに従うこの兄の態度はかえってすごいというべきだ。
この兄を単に馬鹿だと思ったら、それは人間を誤解している。並の馬鹿なら、ナンジョンや中殿に従わず、自分で行動するものなのだ。
そうして、その「証拠」というわけでもないが、承候官(中殿の兄)は、宮廷で、重臣たちが言い争うのを見て、「くだらないことで言い争って呆れた連中だ」とつぶやく場面がある。
もうひとつは、ナンジョンがケガをして苦しんでいると、承候官(中殿の兄)は、「かわいそうに、かわいそうに」と、ナンジョンの足に薬を塗る。これはある意味、ものすごく思いやり深く、人間としても男としても立派なことなのだ。(本当を言えば確かにこの兄は大人物ではない。しかし、庶民的な良性の遺伝子を体現していることも間違いない、特異なキャラクターだといえる。
物語が緊迫した言い争いと混迷のムードのなかで、メヒャンやその母親ウナの場面になると、ほっこりとしたやさしい気持ちにこっちまでなってくる。
しかも、メヒャンは、母親ウナが、巴稜君にデレーッとして判断を間違えるときでも、母親に「母さん、おじさんは風流を解するだけではなく、道理がわかる人だから、尊敬できるでしょ」と正論を言う、実にたのもしい、母娘関係なのだ。
メヒャンの母、ウナ
ナンジョンと会うとなれば、ニコニコするメヒャン
ナンジョン、良かったなあ、メヒャンのようなすばらしい友達がいて、といつもそう思わざるをえない。
これがヌングムがそばでナンジョンと関わろうものなら、どうなのだろうか、さっぱりわからない。
ナンジョンもヌングムも体温が40度もあるのではないか、という顔つきではないか。
あまりに激しい態度のヌングムをみているとわけもなく爆笑してしまう。(キム・ジョンウンの怪演だ)
中殿とナンジョンの十重二十重のだまし(コンゲーム)にだまされるキョンビンままさん
パク・チュミは、女優キャリアとして、この役は代表作のひとつになるだろう。
「キムサムスン」「商道」という名作を助演した女優がイ・アヒョンなら、パク・チュミは名作「ホジュン」「女人天下」のパク・チュミということになる。
女人天下名言集
「わたしの頭は勉強には不向きですが、女を見る目は確かです。」承候官(中殿の兄)
あした仕事で、5時起きなのに、面白すぎてやめられない。