シン・ダイドウジュクノアト 𝄇 



まったく酒場放浪記関係なかったけど、ここが大当たり、料理というより店主とスタッフの人柄が最高だった。こんな人たちから適当な酒肴など出てくるわけがない。

東京でしょっちゅう出くわし、時に注意したりのデタラメさとは無縁の酒場だった。

まぁ、あんなんでまかり通るのは都内ゆえ、地方だったら通用しない。


ナチュラルボーン博多美紗ちゃん以来のお酌をしてもらう。後々考えたのだが、異性とドライブしたのが、いつ以来なのか忘れるほど過去であった(笑)
3児の母ということは…それが想像出来ない◯◯性があるのは、恐ろしいまでのピュアさゆえなのだと思う。

「◯カップなの?」、◯◯◯画像で「これ知ってる?」、セクシー女優で加工した画像誤送信などセクハラばかり😅
🍣←これも毎度付けてくれて、最早初期メンバーたちより使用頻度が高い(笑)、押忍→♂→お寿司から誕生した。2か月半あっという間に過ぎていた。

4月生まれ、牡牛座のA型…知った瞬間反応、これがこの人と同じだったのもシンクロニシティ



これが結構面白い。著者のヒプノ治療所(?)に二人の男女が通っていたのだが、この二人は前世でも深い繋がりがあったことが分かった。
守秘義務から双方に教えることは出来ない。著者は、二人の予約時間を近づけたりして気づかせようとしてみたものの、一向に繋がる気配もなく、すれ違い続け別々の進路へ向かう。
だが、最後の最後で奇跡が……ここまで(笑)、興味あれば読んでみてほしい。とても偶然とは思えないノンフィクションストーリーとなっている。


ヒプノセラピーとは、輪廻転生実在は前提の退行催眠。信じない人にはギャグだろうが、(大道塾に限らず)現世で繋がりがあった人というのは、前世に於いても関係があり、来世でも会うらしい。

大道塾を退会するのも運命、でもそこを通ることには必ず意味がある。


この視点を持つことはない身近な例が小島一志氏。彼は被害妄想&承認欲求から他者を貶めるという愚行を繰り返している。すべてを理解したかのように語り発信しているという滑稽極まれりの二律背反、これは武道でもスポーツでも言論ですらない。そんなのが中途半端な発信力だけあるのでタチが悪い。


京都三十三間堂の数珠をあげた。
これは、2017年に池袋の自宅を出て62日間旅をした時のものだが、使ってもないのに紐が劣化してたので新品を通して持ってきた。


人生でこんなに雑多なテーマを自然に話せて、深い長い文章を送ってくれる女性に会ったことはない、もし30年前(もっとか?)に会えていたら結果はどうあれ、間違いなく告白してた。そのぐらい圧倒的なナチュラルボーン気狂い、来世は付き合ってくれるらしい(笑)
ダンナも見ているのに、これを書く気狂い…、この後亜紀ちゃん迎えに来た時に初めて会ったのだが、昼から断続的に飲んでて何を喋ったかすら覚えとらん😅、末永くお幸せに!

思えばほぼ無関係な長期間を経ても話せるってのは同じことを同じ心でやっていたから。中川先輩、服部先輩、笹沢、栄治さん、元新宿文化センター&品川支部門下生、慎二先輩、青木先輩、佐久支部、剛先輩…ここまでの流れも全部それ。


ところで、「翌日、生活に支障はないけどダメージはある」という前提ギリギリのつもりで蹴ったのだが、1人はシニア無双してたといっても62歳、もう1人は世界大会代表とはいえ女子であったので、多少痛がってたぐらいで留めていた。




驚いてはくれたのだが…

(^o^)「全然大丈夫でした!」
(^o^)「何ともありませんでした!」





二人を甘く見ていた。流石は試合にて結果を出しただけある。もっと強く蹴るべきだった。コントロールが難しい(笑)
しかも二人とも蹴られて喜んでいる雰囲気すらあり、ドMなのかも知れない😅

だが、丸山さんを説得するには十二分に効果はあったし、スピードは現役の時より全然速い。速い遅い、(筋力が)強い弱い、プロテインは必須…これら当たり前と思っていた常識が、思考含む身体領域のストッパーになっていた。


3人とも実際に空道ルールで優勝したが、試合とは専守防衛においての恐怖を克服するのが最大の意味だと思う。そこは充分やり切ったような気がしていた。
なのに、ラウェイルールをやった時に、(負けたら退会を課していたにせよ)今までに経験したことのない桁違いの恐怖を感じた。試合をやる上でグローブか防具を使用するしかないが、やはり「疑似実戦」の域は出れない。ラウェイにしてもグランド&パウンドが無い部分に関してはまったく恐怖がないわけで、試合形式を捨てている流派の考えは理解できたし、本当はそれが正解だ。

だが、一般人が試合形式(無論、直接打撃ルール)をまったく経ずに、例えば複数のヤカラと実戦なんてやれるのか?←これは絶対に無理があるというのが個人的な結論だ。机上の空論で語る人たちというのは、ほぼ過酷な修行と追い込まれる闘いを経験していない人だらけ、これこそが証左だろう。

そもそもルールを設定、拳頭(薄いとはいえラウェイもバンテージは義務化されてる)か顔に防具を装備…この時点で全然リアルファイトではない。
オープンフィンガーグローブは薄いとはいえ素手には程遠い、対してマスクは、最も克服せねばならぬ最重要の恐怖感が半減する…だが、大道塾レベルのバンテージ&拳サポーターならば素手で殴ることに即時対応出来る。
毎回バンテージなんて巻いてたら、巻いてから戦うという非実戦シミュレーションの稽古になる。
極端な話になるが、実戦にはストレッチやウォームアップすらない。楽しくやっててこんなの出来るか?
(結局、この辺の話で盛り上がらなくなったのがNow)

大道塾は元より禅道会も寝技に相当比重が移り、完全に着衣MMAとなっている。

これも繰り返しだが、一般人の専守防衛に、一対一もグランドもほぼあり得ない。故に自ら引き込む技術と大半の寝技技術などまったく必要ない。更に誰かを守る為なら使用する可能性自体がなくなる。
これは路上想定なら当たり前のことで、是非を論じる必要すらない。

格闘空手のグランドはあくまで補助的要素

⬆この大前提が狂ったのは、グレイシー柔術〜総合格闘技(MMA)という流れの影響であり、リングでの総合格闘技が目標ではないのだから、時代が変わろうが変化する必要がない。ここが変わってしまったから禅道会でも格闘空手ヲタは結構辞めてると思う。
結局、金と名声ありきの世界…各種アマ格闘競技も思考自体は似てきている。

大道塾と空道の分離はオリンピックを目指すなら仕方ないが、空道&空手に「着衣MMA」という文言は避けるべきと思う。令和の塾生と現役選手がどう考えているかは知らないが、本来は単に
格闘空手=空道
なのであり、空道&空手は断じてMMA(マジムリオールウェイズ)ではない。専守防衛対応の概念自体が完全に消滅しているこの新しい空道というのは、和多志の知らない競技である。
辞めた理由にはまったく無関係だが、スポーツ格闘技「新空道」を過半数で広めようとするなら、どっちにしろその道は歩けなかった。

頭突きも掴みも金的もない、裸の総合格闘技、RIZIN、UFC、そしてオリンピック…興行格闘競技に毒されすぎやろ。
空道は唯一無二の競技、路上で戦えることを至上としてたんじゃなかったんか? 初期は当たり前だがケンカで勝とうとしていた。それを「今は違う」とは…

これらの画像も最後😆


部外者が2ヶ月にも渡って、長々とゴチャゴチャ申し訳なかった。これにてすべて終了するm(_ _)m

全集中トークいつものパターンで、食べたものがイマイチ記憶に残らない。だから撮っておくと面白いのだが、「えーっ、もっと味わえば良かった」なんてこともある(笑)。

21:00
約束の時間なので、ロックに行ってみたが、居なかったのでキレ気味にラインを送ると、キレ返してきた(笑)

酔っ払ってて気づかなかったのだが、2時間前に遅れるというラインが来ていた。まぁ、こちらが悪いのかも知れんが、当日2時間前だし、キレるほどのことだったのか? しかも時間的に中込には居たのでは? 別に会えたのでは?


魚魚やに戻った。

何を食べたかも記憶がない😅
これならワンカップとさきイカで良いのではないか?
いつも思うのであった。

しかし、退会前後の2か月で最期に会った人たち含め、本当に素晴らしい出会いだったと思う。ここは本当に感謝しかない。プロでないけどプロともやれる、反社&闇権力なし、そのまま専守防衛に対応できる総合打撃。すべて考えたら(あの時点では)やはり最良の選択だった。ここだけは一貫して変わらない。

復活から4ヶ月、ほぼ大道塾ブログと化していたけど、もう一記事だけ少し大道塾被るものの、それで最後となる(マジで長かった。)…が、例のストーリーだけは終わらせたい、いつになるやら😅




3児の母にして、大道塾世界大会代表にして、禅道会指導員にして、インストラクター…ハッキリ言って説教できるような人ではないのだ。子育てしながら世界大会という恐ろしい気狂い😅


禅道会常磐城道場の稽古場所が、六文銭が旗印、真田幸村の上田城跡体育館というのもシンクロニシティ。



そして結局、閉店まで(笑)。積もる話は終わらない。

亜紀ちゃんは、会場予約に突然押しかけてきた気狂いを運んでくれて、お土産まで頂いた。

レバ刺しこんにゃく?
これがメチャクチャ美味かった。なんと7キロカロリー!0カロリー理論、サンドウィッチマン伊達ちゃんも驚くだろう。

多賀城市立図書館に置いてあったので、何年ぶりかで空道入門を読んだ。
(これが1997年、阿江先輩の言ってた「どこで?そこにあったんだよね。」ということだと思う。)

長野県から週末土曜日、高速バスで池袋の総本部へ行き、翌日は行徳支部で加藤清尚先輩の指導を受けて帰る。
そんなある日、初代塾長に「撮影あるから」と言われて受けをやることになった。
てっきり雑誌の1部での技術マニュアル的なものかと思ったら様々なパターンが延々と続く😅、勿論お約束の素手による直接打撃も何度かあった(笑)、後にこれが出た時「この相手に選んでくれたのか!」と驚愕…

奇しくも母親の死んだ2005年6月に発行、第2回世界大会目の前という、総本部へ指導員として戻るあの夏寸前の出来事だった。

全日本試合結果の最後の1ページ、まさに第1回世界大会から第2回世界大会代表選考体力別までがまとめられている。(公式ですら闇に葬られ続けていた2002最優秀勝利者が!ここだけ残ればOK。)

振り返ってみれば、亜紀ちゃんは、中川支部長、笹沢スグル、退会してしまったハットリくん、川口先輩と共にまったく同時期に戦っていた。
しかも、入門時には会えていたのに、ずっとすれ違ったまま終わってしまった。

決して大道塾がイヤになり辞めたのではない、寧ろ並の塾生より遥かに矜持を持っていた。
それでも、こうして20年の時を経て基本稽古をやれたのは奇跡、まさにシンクロニシティだった。

来世でまた会いましょう。その時は、退会も移籍も無い道での同じ空手?、そして同じ道場で…

新たな道、はじまりのとき