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 2017年10月20日(金)

北九州へ旅立つ前、12日連続飲み会での一夜
自分が寮生の頃、指導に行っていた新宿文化センターの方々と飲みました。
今、書いていて驚いたのですが、最後に会ったのはおそらく1999年ですから、実に18年ぶりの再会でした。
(この店の記述は5年前のもので、現在は人から料理、メニューまでまったく違う店になってます。)
それでも、当時とまったく変わらず飲めたのも、大○塾だったから…それは同じ○道(当時は格闘○手)をやっていたからです。

まだまだ24歳の若造で、愛国心など欠片もない頃、その新宿文化センターの塾生に言われたことを思い出しました。その詳細と何についての返しだったかは忘れてしまいましたが「30過ぎたらまた考えも変わってきますよ」確かに、30過ぎたらその通りでしたが、これは40、50、60、70それぞれの世代が、それぞれに同じようなやり取りを、それこそ日本中でやっているのでしょう。

そして、その結果(ああ、本当だな)ってのも、同じなんじゃないでしょうか?
ジェネレーションギャップってのは、埋めようのない観念だと思いました。だって、こちら(おっさん)から見たら、若者なんて経験値もないくせに意気がってると映るし、逆に若者は「チンタラやってんじゃねーよ」なんて思うこともあるでしょう。

それはお互い、現時点でのリアルな身体状態は分からないのだから無理もありません。
ただ、おっさん側は、若者の体験した場所を通ってはいるから、その心情も知ってる部分はあり、それが(健全な)「年功序列」として生きていたのだと思います。

時は流れ、そんな「年長者しか知り得ない」こともネットで分かったり、その結果、「昭和なんて低レベル」と決めつけられる世がやってきました。


書きなぐってるうちにグチャグチャになってしまいましたが、この時代は年齢差あっても、時に親子ほど離れてても、ずっと飲んでいられましたし、電車が無くなったら躊躇なく泊めてくれる人までいました。

ここで改めて森直樹支部長、高松猛支部長、稲垣拓一先輩、佐野教明先輩、ビジネスマンクラスの宮さん、浅田さん、酒井先輩あの時は泊めて頂きありがとうございました。
(順不同、思い出せたのはこれだけでしたが、まだまだあった筈です。)

その理由は「格闘○手大○塾」という旗の元、同じ意識で同じ方向へ向かっていたからです。その根本の話には年齢差の壁はありません。

今は一部除きあまり語れなくなりました。あと時のビジネスマンクラス側として若手と飲んでみたい。


その年上ばかりの新宿文化センターの塾生との会話で、今も忘れていないのが、剣豪と侍最強は誰なのか?というテーマ、そこで出たのは
宮本武蔵VS本多忠勝
文化の塾生は宮本武蔵最強派が圧倒的でしたが、自分はこの24歳時で懐疑的でした。

「武蔵なんて、本多忠勝が馬と槍で突っ込んできたら一撃っすよ(笑)」
信者というわけではなかったのですが、宮本武蔵を止めうる男として、パッと浮かんだのが本多忠勝でした。最強武将ランキング系で上位常連である本多忠勝とは?

「家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八」
歴史好きならもちろん、そうでなくとも結構有名なこれは、本多忠勝と戦った武田の武将の言葉。真田幸村の最後の戦い大坂夏の陣もですが、あまりに壮絶な戦いぶりは敵までもが賞賛します。
(これは世界と比べても高い日本人の気質)

豊臣秀吉が、妹朝日姫と家康の婚儀において、本多忠勝を指名したり、徳川家康も「花実兼備の勇士」との賛辞を送っています。
そして、本多忠勝の象徴といえば「蜻蛉切」蜻蛉が刃先にとまっただけで二つに切れてしま…

本多忠勝ではなく、本題へ

ブログを再開したのを知った方から連絡いただいたのですが、そのうちの一人が新宿文化センターの元塾生の方でした。

2018年3月27日(火)

この日、酒井先輩、真言先輩と同じくらいの長い時を経て再会した石田圭市代表師範と岡見ブラザーズでしたが、今までとまったく同様に長い時間会話し、酒を飲めた。まさか寮生出身の先輩が飲めなかったとは…23年目の真実(笑)

しかも、この時点では他流派となっていたのに、ご自宅に泊めていただき、朝食までご馳走になり、「着払いでお願いします」とお願いした忘れ物を「かまわん就職祝いや」と元払いで送ってくださった石田先輩。これも同じことを、同じ心でやっていたから…



1997年全日本無差別級、初戦の相手が棄権したことで、初出場初試合で石田先輩と戦えることになりました。

かつて憧れだった方が、何故か短期間復帰していた時期、その数えるほどしかなかった試合の中で対戦できた…これは2003年体力別で二代目塾長と対戦したのとほぼ同じシチュエーションでした。

(この翌年1998年、出場権は既にあり本来は予選に一切出ない稲垣拓一先輩が調整としてたまたま登場、これもその時たった一度の機会で、最初で最後の戦いができました。)


この3戦実現は、その道のりからして本当に奇跡的で、心から好きで真剣にやっていたから機会がやってきたのだと確信してます。


これはシンクロニシティと同じく実在するのが分かった事実、これが世間でいう「引き寄せの法則」だとするなら、やはり「ある」と言わざるを得ないです。

「オカルトw」と決めつけている人の中で、こんな体験をした人は一人もいないでしょう。

それは、実は何も知らない、やってみてもいないのに語っているだけの根拠なきただの空論だと思います。


では、この人たちが体験できる時は来るのか?

一生無いです。思っても願ってもいない=顕在意識にすらないもの、その状態で潜在意識なんて変わりようがないからです。


90年代、加藤清尚先輩の言った今も記憶に残る言葉

(意訳です。実際の言葉は忘れてしまいましたので)

「人は想像した場所までしか行けない」


2005年

最強ロシア選手団の印象に対して、稲垣拓一先輩が世界大会代表に向かって言った

「超えられない壁ではない、超えられぬ壁はない」


これらも、無意識で(引き寄せの法則=あくまで世間での名称)潜在意識をも使用してた人の言葉だったのだと思ってます。

そうでなければ、医者すら諦める様な脚切断寸前の大事故から復帰して、再び全日本で優勝し、体重差20kg近くもある伝説のヒットマンと殴り合い。東西ロシアチャンピオンの脚をローで潰し、金的蹴りで悶絶させ2連破した挙げ句に余裕綽々のリザーバーのロシア人と真正面から殴り合うなんて不可能です。



ここで思い出したのですが…



通称・熊パンチ(先輩特有の拳頭部分でも裏拳でもない指の部分でのフック)由来と共に教わるの忘れてた!


また、いつか行かねばなりません(笑)





新宿文化所属だった福田さんが、昨年、脳梗塞で倒れたことを聞かされました。仕事には復帰できてはいるものの、障害が残ってしまったそうです。


もう少し回復したら、いつか道場に遊びに来てください、約束しました。


福田さんへ

上記、シンクロニシティや引き寄せの法則と呼ばれる概念は決してオカルトなどでなく、本多忠勝なら宮本武蔵を倒しかねない、心身共に元格闘○手の福田さんならすべて伝わるでしょう。


こんな重篤な症状に対し、何も言えませんが、決して諦めず回復へ向かってください。そして必ず死ぬまでに、もう一度基本稽古やりましょう。


自分は長野県での、過酷でしんどい稽古中、あえて笑うという端から見たらキチガイのようなこともやってました。


これはオカルトでもなんでもなく科学的に、表情は心情と連動(シンクロ)するらしいです。


【TRUTH(トゥルース)T-SQUARE 1987年】