昨今、考古学の世界では様々な遺物が各地で発見され、一部の好事家達は其れ等から…多くは石に刻まれた文字に起因する様ですが…、其の文字が日本の神代文字と非常に類似している点に鑑みて、日本の歴史は通説より遥かに国家として古くから存在していたとか、日本人が太古に既に、文字通り世界に影響を及ぼしていたのでは無いか…とYouTube辺りで盛んに噂し合っている様ですね。

其の手の話しと言うのは、往々にして噂に尾鰭がドンドンと付いて、仕舞いには"そうなら面白いぞ"的にしてフェイクの塊と成り易いものですが、実は戦後日本で密かに開かれる事と成った『斎場』に降られた御神霊は既に今日有る様な事を既に語られていました。


其れは、通説では偽書として普通の考古学界に於いては否定されている『竹内古文献』なのですが、何せ御神霊は其の原本とも言うべき…まぁ、"書物"とは言えない訳ですが、五千年前に石に刻まれたものですので…天界には其の原本が保存されている訳なので、後世の人達に因って書写されて行く内に、悪気は無くても、色々と改竄され、或いは時代に合う形で書き加えられて行った事は容易に想像出来る訳ですが、御神霊が話されるのは書き加えられ形を変えて仕舞ったものでは無いと言う事は明らかです。

だからこそ、真実の話しとして語られる訳です。


其れに拠れば、其れは現在では茨城県の磯原と言う場所に在る訳ですが、元は《皇祖皇大神宮》と言って越中に其れを守る家柄として、竹内宿禰の家柄が在ったと言います。

もう少し詳しく場所を特定すると、山田川と神通川の合流する場所に在った"神明村"と言う処に皇祖皇大神宮が置かれて居ました。

当時の神明村は呉羽山一帯迄も神明村と言ったそうですから中々広い村だった様です。

此の皇祖皇大神宮と言うのは、伊勢に天照大御神様の御魂が移される迄、越中の其処に置かれていた訳ですが、其処には所謂『白龍満堂』と言うのが在って、其処には歴史に登場する内外の預言者や武将、高僧達が学び、修行する為に訪れたと言われています。


竹内家は竹内宿禰から始まる訳ですが、竹内宿禰の墓は高岡の《二上山(ふたがみやま)》に在るのです。

竹内家の二代目である平群木菟宿禰(へぐりきつづのすくね)の墓は《二塚(ふたつか)》に在ります。

竹内家の三代目は眞鳥宿禰(まとりのすくね)と言い、此の方は《三度奏上して武烈天皇を皇位に就けた功労者》として、武烈天皇に手討ちに遭われた方として歴史に残っています。どう言う事かと言うと、此の時代の掟に拠れば、"一度奏上して受け入れられなければ、二度と奏上すると言う事は、臣たるの道に於いて許されなかった"のですね、其れを三度奏上した事から、折角自分が祀り上げた武烈天皇から手討ちに遭う事に成ったのです。


実は、此の時に武烈天皇は手討ちにした…と見せ掛けて、眞鳥に「越中に密かに渡り、皇祖皇大神宮の神宝を守れよ」と、命じたのです。

其れで眞鳥宿禰と成って、三代目を継ぐ事と成った訳です。

此の方の墓が呉羽山から西北に当たる《大塚》と言う場所に在ります。


此の皇祖皇大神宮が神通川の氾濫の為に山田川から少々離れた所に在る《御皇城山(おみじんやま)》と言う山へと言わば疎開した訳です。

《御皇城山》とは現在の富山市の呉羽山の事です。神社は其の東山麓に在ります。現在も呉羽山を単に"城山"と呼んだりしている様です。


さて、竹内古文献には現在ではとても信じ難い類の逸話が多いのですが、御神霊は事実なりと語られます…例えば、今から五千年前にモーゼが日本へと遣って来た事に成って居るのです。

宝達の港から上陸したモーゼは、皇祖皇大神宮に五千年前に参拝をして呉羽の大平と言う処に行き、最後には宝達の山に於いて亡くなった事に成っています。

『宝達の三つ子塚』と言うのは《モーゼとローマン姫とマオの三人の墓》と言われます。

更に、キリストも日本へ遣って来たと言います。

キリストの生い立ちに関して、どんなに探しても杳として行方が掴めない期間が有ると言います。

要するに、世間で間違い無いとされる歴史上では行方が解らないと言う期間です…其れは十六歳から三十三歳迄の言わば青年期の歴史が杳として分からないのです。

実は、其の期間はキリストは日本に来ていたと言うのです。西洋の歴史書に載っている道理が無い訳です。


然も、十字架に架けられたのは、イエス·キリスト本人では無かったと書かれているのですから、キリスト教の立場上も偽書として葬る以外に手は無い事に成ると言う事も理屈です。

十字架に死んだのは双子の弟イスキリであったと言うのですから、"イエスは十字架に死んで三日目に復活して世間に姿を示された"と言うのも、大いに納得出来る訳です。イエス·キリストは死んで居なかっただけの事ですから…。


こうして、難を逃れたキリストは再度日本へと遣って来たのですが、今度は八戸の松ヶ崎と言う所へ上陸しました。三十七歳であったと記録されています。

後に《十和利山(とわりやま)》に於いて修行をして、皇祖皇大神宮に参拝をしたとの事も竹内古文献には載っているのです。

そして、百十八歳にて昇天したと伝えているのです。

イスキリの方は遺品が石切神社に祀られていると言います

現実として、青森県戸来村(現在の新郷村)には《戸来塚》と言う墓迄在ります。


余談として、釈迦の御魂は青森県南津軽郡大釈迦の大杉村と言う所の《梵珠山》に来たと言われています。其処の神社に参拝した砌、確かに御釈迦様が姿を示されました。

顔に髭を長く伸ばし、髪を肩辺り迄伸ばし、やや痩せては居ましたが、しっかりした体躯の修行中そのものの御姿だったと言います。

御釈迦様と言い、キリスト様と言う方達は我々の前に御姿を現される時は、決まってボロボロと言って過言では無い様な、修行中の御姿で現れ成されるものの様です。

決して大成した御姿で偉そうに御姿を現される事等有りません。

イエス様が威風堂々と如何にも神の御子の如く燦然とした光に包まれて御姿を示されたのは、エホバの大神の神霊団の代表として出て来られた時でしょうか…。然し、普段は質素な身なりをしておられるのが、イエス様であり、御釈迦様であるのですね。


さて、白龍満堂…此処には親鸞聖人、日蓮上人、弘法大師、伝教大師なんかも間違い無く参堂して修行成されていると御神霊は語られております。

源義経公も皇祖皇大神宮を訪れ、「我、金が國の王たらん事を望む」と言う起請文を捧げています。


さて、『竹内古文献』に記されていた中でも全人類に関わる記述としては、矢張り《五色人》に関するものが一つには挙げられるかと思います。

人の世の神様の二代目の神様であった《造化気万男身光大神(つくりぬしきよろずおみひかりのおおかみ)》と申し上げる神様の十六人の王子様が世界中に派遣されたと言います。

此れを『五色人(ごしきびと)』と言って、世界の人種が五つの色に分かれる事に成ったと言います。

即ち、赤人·青人·黄人·白人·黒人と五種類に成ったのです。

此の事を今に伝えているのが、神社に在る五色の幟布なのです。現在では何やらこじつけめいた意味付けを成されている様ですが、真実は単純な意味なのです。人間の肌の色に因んで大昔から用いられていただけなのです。

"こじつけ"と言えば、《鳥居》と言うのも、後世に成って霊界が見えなく成って、苦し紛れに様々な解釈をされていますが、視えれば実に単純な訳で、"鳥居は神の使いの鳥が居る所"だから鳥居なだけと直ぐ理解出来る筈です。


どうも人は見えなく成ると、却って頭でクチャクチャと思う事が多く成り過ぎて、寧ろ真実から遠退いて仕舞う様ですね。知的遊戯に耽り過ぎるかも知れません…。


此の《造化万男身光大神》と言う、所謂、万国の根本と成り給うた神様が、実は《トトの山》から昇天し給うたと言います。

《トトの山》とは《立山》の事です。

以前のカタカナの説明で述べた通り、"タ·チ·ツ·テ·ト"のタ行は全部《父》を表しているのです。

タタ様チチ様ツツ様テテ様トト様…皆《父様》なのです。


三代目の神様は《天日豊本黄人皇主(あめひのとよもときびとのすめらぎぬし)》と言い、此処で初めて『天皇』と言う名が付くのです。

即ち、此れが"天皇様の起こり"とでも言える訳ですね。

因みに、此の天皇様が昇天召されたのは《薬師岳》でした。

そして四代目の神様であり天皇様が《天之御中主天皇(あめのみなかぬしのてんのう)》と申し上げるのです。そして《立山》から昇天召されたのです。

此の様にして、四百九十九代目の天皇が、実は神武天皇と言う事に成る訳です。

『竹内古文献』は本当の日本の地上に於ける歴史も遥かに続いて来た事を教えてくれています。