人間には"持ち分·取り分"と言うものが、残念乍ら、確かに有ります。霊界に於いても、そう言うものは厳然として有るのですね。


第一に、霊能者の持つ霊能には厳然として掟とも言える限界と言うものが存在しているのです。 

何度と無く述べた事です…少しも気にされては居ない様ですが…。

例えば、霊界人に執っては住む界層に因って、己れの視野と言うか…知識と言ったものが限られて来る様なのです。

逆に言えば、己れの視野の広さと知識の豊富さが自ずと住むべき界層を決める要因と成るとも言えるでしょうか…。

気を付けねば成らない事は、知識を知っていると言う事と知識が身に付いていると言う事は全く別だと言う点です。

身に付いたものだけが、或る意味、《霊格》に左右するのです。

《霊格》に因って住む界層が決まる事から、即ち《己れの霊格》こそが《己れの或る意味の能力の限界迄をも規定する》とも言える訳です。

霊界に於いては、僅かな霊格の差が現界とは比較に成らぬ程の隔たりを生じさせる様です。

界層が一段上に成るだけで、下の界層の霊人には、其の界層に就いては知る事も出来ないばかりか、そんな界層の世界が存在する事すら想像も出来かねる様なのです。

一つ上だけで其の様なものと成れば、当然遙か上層に在る、所謂天使霊使と言われる方々の居る事等は、全く想像も及ばない事に成ります。神仙界、神界と成ったら、下層の霊界人に執っては地上世界の人間達同様に只の御伽噺か神話以外の何者でも無い事に成って仕舞います。

だから、低い霊程、平然と「我は天照大神ぞ」なんて名乗り無知な地上の霊能者を誑(たぶら)かすと言う訳です。

平気で神を騙れるのは、霊界構造を全く知らない無知故に、其の罪の重さに無頓着な為なのです。無知な霊界人が更に無知蒙昧な地上の霊能者を誑かす訳です。そして共々より深い地獄の下層へ引き込まれ、二進も三進も行かなく成り苦しみ藻掻く結果と成るのです。

そして、苦痛と妬み心が、今度は、高い理想に生きている真面目な霊能者に神を騙り、低い界層に誘い込もうとすると言う訳です。同じ苦しみを味合わせる歪んだ喜びに満たされると同時に、更に抜け難い地獄へと加速度的に落下して行く事に気が付かないのですね。


霊能者の限界と言うものも、実は霊界を本当には知らない事から招く所に有ると言う事に成ります。

霊能者の陥る誤謬は正に、真の霊界構造の無知から来る訳です。

無知である第一は、霊能者自体が《霊能》其の物に対して何も知らな過ぎると言う事です。発揮して居る能力は全て自らの力であるかに思い込んで居ますが、実は霊界側に住む誰かの力添えが有って発揮出来る霊視であり、霊聴なのです。

つまり、主導権は霊界人に有ると言う事。

謂わば、放送局は霊界に在ると言う訳です。霊能者は受信機に過ぎないのです。放送内容は選ぶ事が出来ないのです。


霊能は天から付与された特別な能力であると思って居ないでしょうか。

日本人なら、普通に日本語を自在に使い熟しますが、此れは特別な能力とは言いません。健常者が普通に走り回ったからと言って、特殊の能力とは思いません。ピアノが巧みに弾けるとか、漫画が上手くても、其れは好きで巧みに成ろうと訓練を積んだとは思っても、特殊能力とは考えませんよね。

上手いとか、下手とかの差は有っても、天から付与された特別な力だとは普通は思わないものです。

霊能と言うものも万人が共通に保持している、人間としての普通の能力なのです。只、差異が有るだけなのです。


其れを、"特別な能力"とした所に不幸が起こる訳です。

そして、霊界構造の無知が、其処に"自我の発露"を誘発して不幸に拍車を掛けて行ったと言う訳です。

《霊界構造の無知》とは、正しい霊学を学んでいない事から当然に導かれて来た事なのですが…。

残念乍ら、今の日本では《正しい霊学》自体存在し無いも同然ですから、知らなくても当然と言う事には成りますけど、佛教の中にも、神道の中にも紛れも無く、所謂《正しい霊学》の片鱗は脈打って来たのです。


現在では存在し無い人間と貶(おとし)められつつ有る、所謂聖徳太子こと上宮太子が、佛教と神道の融合を諮られた訳ですが、此の試みが上手く行って居たら、日本人の霊学に対する考えも比較的に良く成っていただろうと思います。もっと、霊界構造を正しく認識出来た筈と思うと悔やまれるばかりです。

まぁ、霊界構造を正しく知らせたく無いと願う低級霊、邪霊共の画策にまんまと当時の佛教徒の傲慢さや虚栄心を巧みに操った結果である様な気がし無いでも無いですがね…。


兎に角、現在では《正しい霊学》の欠如から来る弊害が日本中至る所に蔓延して居る様に見受けられます。

精神世界ならば日本こそ世界のリーダーシップを握ら無ければ成らぬ所なのですが…本来、其れこそが、日本と言う国の果たすべき役割と思えるのですがね。

因みに、カタカナ五十音の表にも、其の事が示されています。物質世界の中心はユダヤで有り、精神世界の中心はスメラミコトの国である日本だ…と。


さて、霊界人と言うのは、自分の霊格以下の世界しか知らないと言う事なのですが、此れは丁度霊界を一つの建物と考えて観ると解り易いです。

つまり、三階からは二階も一階も悉(つぶさ)に見えるけど、三階の様子は下の階からは伺い知る事も出来ない様なものです。

実は此の事は地上に居る肉体を纏った霊である人間に執っても、同じ事が言える訳です。

つまり、霊能者と言うのは、自分の霊格より高い霊格の人間の事は何も霊視する事が出来ないのです。此の厳然とした事実を霊能者達の何人が知っているのでしょうか。

此れは霊能者が疲れて居るからであるとか、偶々体調が優れず、其の為に何も霊視が適わなかったと言った次元の話では無いのです。

宿命的に目上の者の心の奥底は判らないと言うだけの事なのです。

お金と交換する関係上、「分からない」と正直に言えば、罪も軽く済むやも知れませんが、なんせ"分からない"と言いたく無いものですから、結局好い加減な出鱈目を論(あげつら)い罪を深める事に成るのが関の山と言う訳です。

どうも霊能者と言うのは、虚栄心の塊が多い上に、"分からない"等と言えば、全てが"本当は全然分からないだけだった"と思われて仕舞う恐れも有りますから…嘘でも"言った者勝ち"とばかり…結局、虚栄と自己満足の権化と化して仕舞う霊能者が何と多い事でしょうか…。


最初は純粋に人助けに自らの霊能者としての特別な能力を駆使して居た筈でも、正しい霊学に出合わなかった因縁と霊界構造に対する無知故に…そして、自我の欲望としての優越感と虚栄心と言う、人間的弱点を巧みに刺激する低級霊や動物霊の虜と成って、軈て霊能者達の地獄へ引き込まれて仕舞うのです。


どんな霊能者でも、分からない事が有って当然なんです。分からなくても霊能は本物である事を理解して上げなければ、霊能者が能力故に却って惑うだけでしか無いのです。

霊界は果てし無く広く、深く、無限に廣がって居るのですから、たかが霊能者如きの及びも付かない広大無辺な世界なのです。

世間一般の人々が先ず知るべきなんですね。一人一人の霊能者は皆個性が違う様に、能力も自ずと違って居る事と、霊格に応じて限界と言うものが厳然として存在して居ると言う事実を。


霊能者の能力の限界は、霊格だけでは無いのですね。高度な霊界に成る程、実は厳とした階級が存在してるのです。

高級神霊界は爵位に因って、出来る事と出来ない事が出て来るのです。

然し其れは高度な界層に住む、謂わば神々に匹敵する高級神霊達の話です…。

でも、低い霊界も神々や天使霊使達の階級には絶対に従わざる得ない様です。

言って観れば《霊格》も一種の階級として扱われて居るとも言える訳ですね。


霊能者を観れば、どの程度の霊格の御仁で在るかは、言動、思想、対人関係の有り様で自ずと判るものです。

背景の霊界人に其れ等は、間違いなく影響を受けて居るものだからです…。