『犬神憑』と言う言葉を御存知だろうか…。専ら四国や山陰·山陽道辺りの地方に伝わる伝承なのですが、どう言うものかと言うと…。

先ず、生きている犬を首から上だけ出して土中に埋める訳です。

其の侭、暫く食事を与えずに放置して置くのです。

軈て、犬が餓死する寸前を見計らって犬の好物を作り、犬の顔より少し離れた所に置く訳です。

すると犬は最後の力を振り絞り、悶え苦しみ乍らも其の断末魔の意念を凝り固めて行く訳です。何としても食べたいのですから、首を有らん限りに土中から伸ばして必死に食べようとしている時に、不意に後ろから刀で首を斬り落とすと、其の伸び切った頭は食べたい一心の意念の勢いで食物に喰らい付くと言う訳です。

犬は死ぬと同時に喰い付くと言う思いを遂げる事に成るのです。


首と胴を切り離し焼いた骨を箱に詰め、人の往来する四つ角に土を掘り、土中に其の箱を埋めて、何も知らずに行き交う人間達に踏みしめさせて後に頃合いを観て、箱を取り出し…其れから其の犬の霊を祈祷する訳です。

そうすると、其の犬の霊は常に祈祷師に乗り憑(かか)り、其の祈祷師が死ねば其の子供に、孫に或いは他の家族へと、祈祷師の血統が続く限り永遠に乗り移って行くと言います。そして其の憑いた者の欲する事は全て成し遂げると信じられているのです。

其れが『犬神憑』の家系と言う訳です。


「往古より蛇神·猿神·猫神や飯縄使(いづなつかい)·管狐遣(くだきつねづかい)等と共に一種の《巫蠱(ふこ)の妖術》として迷信を跡づけたものでは有りますが、其れなりに凄まじい力を持っています

人間を霊的に呪縛したり意志を変更させたり…時には命を奪う事位決して難しいものではありません。」…そう言った青年は深刻な表情で顔を引き攣らせた。

其処は地獄の第二層"悪を助力する者が集う處"だった。

逆縁の夫婦達が住む一画から離れて、辿り着いた場所は灰色と黒と所々赤茶けた岩漿の頂に、荒涼とした山の廃墟の様な、死んだ様な寂れた街並みに案内の青年と稲津先生は二人きりでポツネンと佇んでいました。

「此処は迷信に溺れ逃れられなく成った者達が、祈祷師や占い師と共に堕ちて来る地獄です。

祈祷師も占い師も霊能者も誤った断定を金と引換えにして人に与え、他人を惑わし続けた罪の重さは尋常では無いのですよ。因縁は受けねば成らないのです。生きている時には思いも掛けなかった、他人の人生を動かし続けた事の報いなのです。

逃げる事は決して出来ません。どんな言い訳も効かないと言う訳ですね。己れの仕出かした因縁を受けて、死後此の世界へと引き摺り込まれる。

其の殆どの者が謙虚さと反省心を持たずに、悪を助長して罪を受けるのです。

誤った指導者と迷路に落ちた者の地獄絵が此処では嫌と言う程御覧に成れますよ。

誠意有る善人の能力無き誤惑に血迷って、共に惑業苦の運動を繰り返して居ます。

誑(たぶら)かされた者は哀しいけれど、誑かされる者が居るから、欺(あざむ)き惑わす者が大手を振って闊歩するのです。此れが人間界なのです。

誑かされ無い様に己れを常に磨く事を投げ出す己れが犯す取り返しの付かない過ちが、結局自分を悪の助長者にして仕舞ったと言う事を、此処に落ちて学ぶ事に成るのです。

つまりは惑わす者と惑わされる者の関係は、釣り合って居て、哀しくも相応しいと言えるのです…」と、青年は呟き一軒の煉瓦造りの荒屋(あばらや)に入って行った。二人の眼には荒屋と映っているが、中に居る霊人達には其れなりにしっかりした室内と見えるのです。霊界は実に不思議な處なのです。


室内は暗く閉ざされて、埃だらけの祭壇が一つ、煤(すす)汚れた部屋の片隅に大事そうに置かれている…其処は犬神の霊系を引く祈祷師の館でした。

汚れた部屋が其処に居る者には心地好く観えているのです。自分の魂の穢れが汚れた部屋に相応しいから、華やいで映るのです。汚れて観えると言う事は、其れ丈霊位が上だからに他成りません…。


火山灰を振り掛けた様な八足案に祈祷用具が列べられています…其処は見るからに邪神を祀る魔界の社でした。

微かに糸を引く蜘蛛の巣が天井を横切り吹き曝しの空き家に時折揺れ動きます。

祭壇に向かって一体の首の無い死体が横たわりミイラ化している…。

ギョッとした稲津先生が心を落ち着けて見直すと、長髪の乱れ毛の間から、眼光のみ爛々として瞼を開いた侭の晒し首が祀られた社の下に転がって居たのが目に入りました。

唐突に「眼を見ては行けません!魔性の霊波を受けるから…眼を見詰めては成りません」と青年が慌てて制止し、先生の視線を反らせる様に誘導してくれました。

霊界には死が無いのです。

其処には業が形に表れる姿と成って横たわって居るのでした。

現界の様な腐乱死体やミイラと成った…所謂、肉体の"死の物体"では無いのです。

胴と首とが切り離された霊界での生き物なのです。

生き物で在るが為に、意念を持って居るのですから、其の意念と遭うとアッと言う間に憑いて取り除けなく成る訳です。

一旦付着すると、必ず縁に触れて又襲うて来る事に成るのです。

其れはコップに付着した指紋に等しいのです。

其の因縁を辿って魔性が顕れる。

人間は本当に其の手のものには弱くて、此の魔性の虜に成って仕舞うと抜けられなくの成って行くのです。

魔性の眼は異常な輝きをしていました…。


生首は犬だったのです。其れは凄まじい形相をした犬の首が、胴と切断された侭、"部品"として生きているのです。

然も一匹では無い…切り落とされた犬の首が火山灰に埋もれて数十匹にも達しようか…目玉をギョロリと剥いて首だけがムクムクと起き上がって来ました。


居間の様な土間には何時の間にか数十人の信者と思(おぼ)しき人達が座していました。

小さな祠の祭壇の前に呪を唱える祈祷師の声が異様に響き渡り出しますと、其の度にムクムク、ムクムクと首は這い出て、犬の首が土間に居座る数十人の人間に夫々憑依し始めました。

断末魔の形相の侭の犬の怨霊が次々と人間達に憑依して行く何とも不思議で怖気立つ奇怪な光景に愕然とし乍ら見詰め続ける先生に青年が話し掛けて言いました…

「彼等は此の祈祷師に願掛けを依頼したばっかりに怨霊と化した犬霊の虜と成り、此の祈祷師が地獄に築いた自らの世界に共々落ちて仕舞った愚かな心の持ち主達なのですよ。

祈祷師も愚かにも自分の行力を過信して、犬霊を不用意に安易な気持ちで、使い熟せると思い込み…彼等の願いを成就させる度に動物霊の呪縛から自らも逃れる術も知らずに取り込まれて行ったのです。

御覧なさい、此のおぞましい地獄の世界を…願を掛けた者も其れを依頼しただけの者も共々に、断末魔の犬の呪いを受けて、死と共に此の低く薄汚れた苦痛ばかりの世界に放り込まれて仕舞ったのです。


現世で人は受けなければ成らない因縁を、祈祷と言う手段に依って、然も事も有ろうか低級な動物霊に依存して其れでも思いを遂げた。

強欲な人間の因果は此の霊界で地獄と言う必然の償いをさせられる。

因縁は増えも減りもしていません。

現世で受けなければ、霊界で受けなければ成らない。

其れも動物霊を使って歪めた結果、現世で受けなければ成らない業を霊界へ持ち越し、おまけに自縛の怨霊を加算して苦しめられる。

馬鹿な人間は、此の因縁の置き換えに過ぎない《因果の法》を知らないのです。

そして限り無い悪業を重ねて行くのです」…と、地獄を知り尽くしている青年は、薄氷の上を歩くに分厚い氷の塊と錯覚して、愚かな自信に包まれて歩む人に似ている様な現界を生きる我々人間への、其れは警告でもあったのです。


突然襲い来る首だけの獰猛な犬の霊が、可憐な娘の霊体の腕(かいな)を引き千切った…「ギェーッ」と喚く娘の齧(かぶ)り付かれた前腕から尺骨が白く剥き出している…泣き叫ぶ娘の顔にもう一匹の首だけの猛犬が咬み付いた!噛み千切っては離れ、離れては飛び掛かる。三匹目の首が耳を食い千切った。

血に塗れ、撒き散らし乍ら死ぬ事も適わず、髪の毛を血に染めて、逃げ惑い転げ回るが首だけの犬の攻撃は空を飛び回り容赦無く噛み付き、肉片を血と共に辺り一面に撒き散らし続けた…娘の霊は、力尽きて肉と骨だけに成っても生きて激痛に苛まされている。

其の場の誰一人として無事な者は無かった…其処は明らかに解き放たれた畜生達の生前成し得なかった、復讐の場でした。


唯、人よりちょっとだけ幸せをに生きたい…と。

唯、一生の間のどうしても避けられ無い悩み事、願い事、病気、苦難、災害、事故…何とか難を逃れ、悩みを解決したいと…災いを除き幸福を得たいと、当たり前に生きる為に、当たり前の望みを果たしたいと、つい誘われて不可思議な此の世成らざる力に頼ってみたく成る時…偶々たった一度縋った相手が、犬の死霊を扱う祈祷師だっただけなのに、霊界は忘れてはくれないと言う事です。


青年が目を背けたく成る酷(むご)過ぎる光景を冷ややかに見詰め乍ら語り続けました…

「此の人達は来世は犬に生まれ変わります。其れも雑犬の類いに…。

人間であり乍ら人間らしい行為に生きず、反省心も無ければ向上心も無い。更に敬神の念も無い。

況して人生の意義や目的等と言った道を求める心も無い。

有るのは現世利益と飽く無き欲望の留まる所を知らぬ動物的行為…つまり、此の人達の心の中に動物霊と交わる波長が有って、自らが求めて犬霊の虜に成って行く。

祈祷師は悪因縁の助力者、即ち犬に成る為の手助けをする人に過ぎないのです。


哀れなのは先程の女の子ですよね。

親に連れられて、持病の鬱病を治しに来たのが始まりで、祈祷師は狐憑きの霊障だと誤見して自分の世界に引き摺り込んだ。

然し、病は嵩じ余病を併発して他界した。

可哀想に両親の安易な手段を選ぶ、拝み屋信仰と、無知から娘は今や地獄の苦しみを受けています。

犬の怨霊に劫(おびや)かされて、親を恨んで叫喚して居ます。可哀想に…馬鹿な親の為に…」


動物的波長が動物霊を呼ぶのです。

誰の仕業でも有りません。

自らの心の中に棲んで居る動物的魔性が最も波長の合う相手を探し求めて、己れに相応しき處へと堕ちて行くのです。

善意では有るが、先の見えない指導者の宗教的行為の如何に罪な事か…。

一体此の責任は誰が執ると言うのでしょうか…。

「現世で言う所の真言行者の類いの者の殆どと言って良い指導者が誤審に因る罪を作って居ます。

其れは念力で超能力が得られると考える、六識自我の妄執を振り回し、秘伝の公開等と勿体を付けて詐欺紛(まが)いの小器用な大僧正を自称する…密教界の異才等と自画自賛する興行師と数十万の信者達…諸共に、そう遠く無い未来に此の瓦礫の山に屯する事に成りましょう。


動物が吠え、霊障因縁を除くと称して、動物霊を憑依させ御利益を売りものに宗団を広め、新たな業を作る。

人間が其の悪業に襲われて、人格異変を起こし、地獄で動物に豹変して、来世は其れに相応しい動物に生まれ変わる。

犬…猫…豚…牛…馬…どうして此れが判らんのでしょうか…」と言い乍ら、青年教師は唇を噛み締めて三次元に住む人間社会に眼を向けていたのです…。


然し、現在の人間世界に流布している霊界に関する知識では、此の青年教師の嘆きが我々に迄、真に到達する日は来ないだろうと哀しく思うのです…