『往生要集』等の地獄に就いて書かれた物が過去には有りますが、あれは残念乍ら丸っぽ真実と言うよりは、何と言うか事実には違い無いけれど、寧ろ精神訓話上の脅かしと言うものが加味されている為に、本当の霊界物語としては今一つであった…と、斎場に御出ましに成られた御神霊は仰せでした。


人間が死んで後に異形の姿と化すと言えば、当然『畜生』に再生させられる人々が真っ先に思い付くのでは無いでしょうか。

尤も異形と言うより、人間とは全く種類を異にした普通の愛らしい動物と言うだけで"異形"と言うには当たらないと思うでしょうね。

然し霊界に於ける姿は明らかに異形の人間なのです…。

其れでも、犬や猫の多くは人間の生まれ変わりだ…と聞いても、可愛いペットに生まれ変わるなら案外良いかも知れないと思う人の方が多いかも知れませんね。

自ら犬に成りたいとか、今度生まれるなら猫に成るのが私の夢です…なんて本気で言ってる人も居ますから…。

でも、犬、猫、馬ならまぁ良いかも知れないけれど、牛とか豚と成ると…況して"食用"に成ると成れば其れは遠慮したいと思うでしょうね。

何に生まれ変わるのかは選べ無いみたいですが…。

まあ、畜生に生まれ変わるのは、生まれ変わる相手さえ選ばなければ、案外簡単な事です。

生きている間に"人間らしい行いをしなければ良い"のですから。

そうすれば、死んで幽界に行ったら、霊界にも渡れない内に自分の主護霊が犬や豚の腹の中に放り込んでくれます。何度も言うけれど、願い通り犬や猫の腹の中に放り込んでくれる保障は無いですが。


"人間らしい行い"の最たるものは何か…。

其れは『祈り』なのです。

実は、畜生に足り無いものは、《神佛が無い事》なのです。つまり、《反省心が無い》と言う事です。

反省心が無く、心に拝む気持ちが無く…四足ですから、拝むと言っても両手の合わし様が無くなる訳ですけど、一生懸命両手を合わしている猫とか犬の動画を偶々見たりしますが、皆んな「わぁ可愛い。人間見たい」…なんて言ってますけど、あれ必死なのかも知れないですよ。元々人間だったんだから…。

此れは実際大事な事なのですよ。

人間と他の動物の相違と言うのは、反省心を持ち、神佛を拝むかどうかと言う事なのです。

唯物論者は「神佛…そんなもの在るか」と簡単に言って退けるけれど、現実は神佛の無い者が皆"畜生道"や"餓鬼道"や"地獄"に堕ちています。

心に神佛が有るか無しかと言う其れ丈が相違なのです。


そして、畜生に生まれ変わる人間の幽界での姿と言うのは、原則的には裸で顔だけが牛とか犬と言う生まれ変わる動物の顔に既に成っていて、四つん這いで歩き回っているのです。正に異形の集団です。


ペットは人間である飼い主に触れ、其れを機縁として再び人間に生まれ変われるのです。牛や豚は人間に食べられる事を機縁としていると言う訳です。どんな形で有っても人間に触れる機縁無くしては元の人間に戻れないと言われています。

其れが『畜生道』に堕ちると言う事です。


では、もう一つの異形の姿と化す人々…つまり『餓鬼道』に堕ちるとは…幽界迄は生前同様当たり前の人間の姿をしています。

畜生と違い幽界では普通の人間なのですが、此の人達は霊界に行くと同時に異形の者へと化して仕舞います。

『餓鬼道』に就いては過去のブログでも二度程、何故餓鬼の世界に人は堕ちるのか、そして其処はどんな世界なのかと言う事は大体記した訳ですが、どの様な異形の姿に化して仕舞うかは、殆ど描写していませんでした。

其れは余りに"おぞましい姿"に変わって仕舞うからです。元々は何処にでも居る極く普通の…あなたと何等変わらぬ人達の余りに酷い変わり様に、哀れを禁じ得なかった為なのです。

けれど、"我が身に置き換えて反省する"と言う為に実感が伴わない解説だけでは、却って皆様方に無意味で有ったと言う反省の念から改めてお伝え仕様とする次第と言う訳です…是非、皆様方ご自身の生き様と照らし、幾らかでも己れの反省の材料と成って頂ければ、取り上げられた餓鬼の方々にも生きた意味が有ると言えるかも知れません。


"餓鬼"と言うと、極度の飢餓状態の子供達の姿を思い浮かべるかと思います…確かに絵草紙や古い地獄絵図なんかにも餓鬼と言えば、其の様な姿ばかり目立ちますが、現実に霊界に存在している餓鬼の姿はそんな生易しいものでは有りませんでした…。

我々と同じ人間として"この世"を闊歩していた美男美女の成れの果てとはとても想えるものでは無いのでした。


餓鬼には三十六もの種類が有ると言う事なのですが、餓鬼に成るのは《貪り》と《惜しんだ事》が一口で言えば其の理由と成ります。

もう少し詳しく言うと《十の禍(わざわい)》が人を餓鬼にするのです。

《身·口·意》の三つに於いて、ものを貪り、ものを惜しんだ者が餓鬼に堕ちる訳です。

四つ目は《多くの財を集めた者》…必要以上に集め過ぎるのは考えものですね。

五番目が《悪念を以て集めた者》…何をするにしても動機が悪意有る限り、霊的に観て、決して善い結果には結び付かないと言う事を知るべきなのです。

六番目が《嫉妬》…人間は良い加減立派な紳士でも、残念乍らジェラシーの念は持ち合わせているものです。隣の家が急に立派な家に建て替えたり、他人が出世したりすると面白く無いと言う訳ですが、此れも"嫉妬"なのです。

七番目が《邪見》…"ものを僻(ひが)んで観る"…ものを素直に観ない、邪(よこしま)に観る者です。餓鬼予備軍は直ぐ側に幾らでも居る事に成りますね。

其れからハ番目が《身分不相応に"死蔵(しぞう)"して死んだ人》も又餓鬼と成ります。霊界に迄は"この世"でどんなに所有して自分だけのものと息巻いて居ても、決して持っては行けないの゙に抱え込んだ侭死ぬと、とんでも無い事に成るのです。餓鬼に墜ちたく無ければ、ちゃんと財は適当に分けてから死ぬ事です。

九番目が《餓死した者》…飢えて死んだと言う因縁を担いだ侭霊界でも苦しみ続けなければ成らんと言うのは余りに酷い事では有るけれど、此れが現実なのです。

十番目が《他人から捨てられて野垂れ死にした者》…と、此れを『十の禍』と言う訳です。

此れが『餓鬼道』に堕ちるのです。


此の餓鬼の世界を統括するのが世に言う"閻魔様"と言う訳です。

閻魔様は餓鬼の王者でも有ると言う訳です。

高い石垣の城壁に囲われた…遠望すると黒い真四角の城が閻魔の庁です。人が死ぬと一度は通過する城なので覚えて置くと宜しいですよ。

近寄れば、白いのですが、くすんでいるので遠目には真っ黒に観えるのでしょうね。

壁が高いのは外部から城内に侵入出来無い様にしているそうです。天界に在る訳では無いので美しいと言う事は無いそうですが、中はかなり広大で、結構金·銀·珊瑚なんかを鏤(ちりば)めた御殿が在り、樹木も有るし、種類は伺ってませんが鳥も囀(さえず)っているそうです。

そして、餓鬼が辛うじて食べられる物と言うのは、神社仏閣に対して供える物は餓鬼でも…妙な表現ですが…高い方だけが食べられると言う事に成ります。

《大勢鬼(たいせいき)》と呼ばれる所謂《夜叉》の事です。

弘法大師の東寺でも《夜叉神》と言って居ますが、此れは餓鬼なのです。

普通の餓鬼とは違い、謂わば別格です。人間の餓鬼では有りません。

《大勢鬼》は中々の神通力も持っています。どちらかと言うと、自然霊に近い存在で、人間達の思念に因って生じた《思凝霊(しぎれい/しごれい)》なのです。

青い衣を着て…まぁ、青と言うより紺色より少し薄めの色の様だと、実際に霊視した方達は言っていましたが…。

そして、林の中とか谷間に居たり、大概は神社より仏閣を占拠して居る訳です。殆どの寺を占拠しているのが此の《大勢鬼》つまり夜叉なのです。

《大勢鬼》は餓鬼の中でも別格なので、霊視させて貰った方達が言うには、割とゆとりの有る様な顔付きだそうです。


実は、餓鬼の容貌の違いを説明をする為に、三十六種類と言われる夫々の餓鬼を白日様が斎場に連れて来られ、良く霊視する方達が御覧に成り見えない方達に一々解説させた事が有ったのですが、其の余りのおぞましさに、皆さん最後迄視て居られずに、途中で断念してしまった…と言う事が有ったのです。


因みに三十六種類と言っても最後迄は霊視出来る方達は霊視し続けるの゙に耐えられずに途中で視る事を勘弁被った事実が、餓鬼と言う異形の世界に堕ちる事が、如何に酷い悲惨な仕儀であるかを物語っています。

《大勢鬼》を筆頭に…

《神通鬼》…此れは所謂"義賊"の類に成ります。他人から盗ったものを順番にばら撒いた訳です。所詮盗みには違い無いのだけれど、片方で功徳を行うたから大勢子分を従え…其処其処の功徳の力と言うか、神通力の端しっくれが有るので、割と威張っていると言う。少し黒っぽい物を着て、大勢鬼より幾分細面だそうです。

そして、神通鬼は元々人間だった餓鬼ですが、大勢鬼は皆んなの誤った観念が造った餓鬼なので人格は無いのですが、神通鬼には人格が有ります。


次に《針口鬼》と言うのが居ます。

殺し屋の様な者を雇って人を殺させた輩が堕ちた餓鬼です。

針口鬼を見せられた時の白日様と霊視出来る方達の様子を記して置きます。

『○○○見えるか?針口鬼…腹は膨満の様に、喉は針の様に細く…手足は筋と皮ばかりじゃ。針口鬼。良ーく見ろ!何も喰えぬ…どうじゃな、△△。

「口が大きく…」

そうじゃよ。食う事ばかり意識しているが…ホラ、咽を見ろ。針の咽と…分かるな。針程では無いけれどな。

「首が割に長い…」

そう言う事じゃ。此れは他人を使って人殺しをした。何も喰えぬ。


次は…此の辺から、ちと祓って置かんと行かんな…。『食吐鬼(じきとっき)』…此れはな、自分だけが美味い物を食って、廻りには美味い物を食わせなかった…摘まみ食いも此の部類じゃぞ。

食べ物と思うたら、口中炎…さあ、○○○、△△、良く見ろ!食吐鬼。口中炎…どうじゃ、△△見えるか?

「前へ髪を垂らして前屈(まえかが)みに成って居ますが…」

口中炎が見えるか?

「赤く成って居ます…」

何も食えんのじゃ。○○○、見えるか?

「はい!」


今度は《食糞鬼(じきふんき)》…此れは修行者に不浄物を食わせた。

此れは口中が臭そうて、臭うて…。

さあ△△、○○○、良ーく見ろ!

○△や、そちらへ向けて息を吐かせるから、良ーく嗅げ。

さあ、吐け!口中が臭うて、こいつは食べたら全部上げるのでな…食糞鬼…△△、見えるか?

「下顎が出張っているんですが…」

うん…顎がしゃくる様に…良ぉ見た。顎が長い。

「はい!」

食糞鬼…○○○、見えるか?

「はい!」


次は《無食鬼(むじっき)》…他人を牢獄に入れたりして餓死させた者。餓死だけでは無いぞ。

社長達、心致せ。

今の✕✕社長の様に、唯、社員に辛抱を説くだけの経営だけでは成らん。

社員を飢えさせては成らん。

代表的に此の無食鬼。牢獄にでも入れて餓死させたのを引っ張って来た。

此れはな、体中の毛が針の様に硬くて、人を傷付け、己れを傷付ける。

良ーく見ろ!

此れが無食鬼。△△、見えるか?

「此れは…一寸…顔が蟹に似ていますが…」

どうじゃ○○○見えるか?

△△が蟹に似ていると言うが…。

「はい!」

△△が描写すると、餓鬼も楽しう成るわい。ははははは…。

体毛が針の様に硬い所…此の辺を良ぉく見て欲しいのじゃ。針が立って居よう。此れが無食鬼。


次が《食水鬼(しょくすいき)》…混ぜ物をした物を食わした者じゃ。

今の酒は皆混ぜ物じゃろう。混ぜ物をした食料と言おうか、飲み物と言おうか…。

此れは生えてる体毛が臭ぉて臭うて…つい臭いから毛を毟(むし)る…どう言う加減か、毟った後に膿汁が出る。

其れを舐めるのが精一杯…何も食えぬ。

此れが食水鬼。

どうじゃ。△△見えるか?

苦しみ以て毛を毟っているのが見えるか?

些か動物的じゃな、此れは…。

「人間で御座いますか?」

そうじゃ。人間じゃ。

○○○、見えるか?

「はい」


次は《熾燃鬼(しきねんき)》…此れは人を痛めて、掠(かす)めて金を集めて、集めた金で寄付した奴じゃな。

解り易く言やあ、田中角栄の所へ持って行く奴じゃな。人の犠牲の上に立ったものを王臣に持って行くんじゃ。

熾燃鬼。

良ぉく見てくれよ。咽の所に大きな腫れ物が出来ている…で、食えぬ。

此の腫れ物が破れた時の苦しみは大変じゃが、其の腫れ物の破れた膿汁だけが飲める。

此れを熾燃鬼と言う。

さあ、良く見るが好いぞ…咽の辺りを良ぉく見ろ、△△、見えるか?

「咽の真ん中に瘤(こぶ)が有りますが…」

そうじゃ、そうじゃ。喉笛じゃ無いぞ。もっと大きいぞ。

「はい!そして顔には青筋が見えます…」

そうじゃ。苦しんで…今、喉が破れるとこじゃ。そして、其の膿汁を"グッ"と飲み込み…外に出た膿汁を舐めるんじゃから…今苦しんでいるんじゃ。


次は《欲色鬼》。此れは邪婬を行うて、そして貯めた金で施しをした。

道成らぬ金で施しをした。

此れはな、人間の吐いた反吐しか食えぬ。

さあ良く見るが好い。此れが欲色鬼じゃ。

△△、どうじゃ。汚い物を舐めているじゃろう。

「此れは…お腹が大きい様に見えますが…」

そうじゃ。欲色鬼じゃ。


次は《魔身鬼》…此れは邪教を説いた宗教家じゃよ。誤れる道を説いた者、其の御布施で生活した者じゃ。まぁ、殆どの宗教家じゃな。

此れはお供え物が食える。墓等のお供え物が食える。

魔身鬼…ホラ、弁当箱じゃ無いが折詰めみたいな物に群がっているじゃろう…どうじゃ、△△、○○○見えるか?

「はい!」「はい!」

此れは墓に供えた物じゃ…どうした、其方(そなた)達、もうちょっと辛抱してくれるか?

「中々辛う御座います…」

「頑張ってみます…」…』


結局、此処等辺りからは良く耐えられ無いと言う事で残りの二十幾つはパッパッ…と回転良く見せられた訳ですが、「もう結構で御座います」と成った次第でした。

餓鬼の世界に堕ちた人間を待つ過酷で悲惨な末路の一端でも実感して頂ければ幸いです。

見知らぬ世界の住人の話では無いのです。直ぐ隣に居る見慣れ親しんだ人々が、異形と化して住んで居るのです。次元を異にしては居ても、私達も、もう直ぐ、否応無しに渡って行く現実世界の話だと言う事をお忘れ無く…。


白日様は仰せでした…

「殆どの人間が一度は地獄、餓鬼、畜生へと堕ちる。一番、餓鬼が多いがな。でも地獄よりはマシじゃ…。

理屈の世界では"体"に行う罪は《殺生·偸盗·邪婬》故に…殺さず、盗まず、犯さず…と。"口"の罪は《妄語·綺語·両舌·悪口》即ち…嘘を言わず、おべんちゃらを言わず、"軽口"と言う人間が何気無く言う軽口、あれも非常に罪が深くてなぁ…此れは本来《無義語》と言うて、意味の無い言葉、軽口、二枚舌、あっちへ言う事とこっちへ言う事が違って来る。二枚舌。其れから悪口。

心で犯す罪は《貪欲·瞋恚·愚痴》…貪りと怒りと愚かさじゃ。

理屈で言えば、此の《十悪》を避ければ良いのじゃが、でも、"この世"に生きている限りは、其の様には参らぬ。

先ず、商売は出来ん様に成って仕舞う。

其れも自分が嘘を吐(つ)か無くても、社員達が適当に嘘を吐いてセールスを遣って来るのも、全部社長に罪が来る…こんな事を聞いたら、社長業なんて遣っておれんなあ。

此れは致し方無い。

だから、儂は故意に人を押し除(の)けて云々は避けて給れ…と、言うが、一々そんな事を気にしたのでは…結果、"地獄や餓鬼の救われる道は、神に縋る以外に道は無い"のじゃ。


実は、こうなのじゃ。

「あっ、悪かった」と言う、反省心…『覚』じゃ。《目覚め》じゃ。

此の《目覚め》が…反省が…天界から降る光を受け入れるのじゃ。

此の"《覚》が《明》に成る"んじゃ。

"《覚》は即《明》"じゃ。

光が主護霊から霊統主から…天津身光が来る。

もう一つは、其処らの理解が出来んと成ると、"追善供養"と言うて、子孫が拝んでくれるのも効果の有るものじゃ…中々そうは行かんもので、拝んでくれるどころか、遺産相続争いをするから…そう言う様にして、"追善供養と言う事も、一条の蜘蛛の糸の様な光には成る"。


けれど、此れも大して現在(いま)の子はしてくれぬ。

況して《宗教心が無けりゃ、霊統主からの光は来ん》。

其れどころか、先ず《覚》が無い。

《目覚め》が無い。

反省心が無い。其れでは《明》は起こらんなぁ。

《覚が即明》なのじゃ。

光が来る…其れに縋って…つまり、天から来たれる力に縋らん限り、現実はどうにも成らんのじゃ。


理屈に於いては、各々佛生有り、各々《命》で出来ているから、無限の叡智とエネルギーを貯えていると言うのは理屈であって、実際には良き師匠に恵まれ、上から引っ張って貰わん限り如何(どう)にも成らん。

やはり、《加持の成佛》以外、方法は無いのじゃ。

上から手を出して貰わぬと…"持"は其れに縋って"保持する"。

残念乍ら《"加持の成佛"以外、地獄·餓鬼から逃れる道は無い》」…と諭されました。


ところで、餓鬼の世界から斎場に連れ出された餓鬼は其の後如何(どう)成ったのか…実は、神の御用を務めた事は、一つの功徳に成ったのです。論功行賞とでも言うか…其の功徳に因って、神仙界の神で在られます白日様が最後に『祖霊祝詞』を上げて遣る事に因って総て餓鬼から救われました。

救われて何処に行ったかと言うと、総て動物に成ったのです。

其れでも、餓鬼の世界とは喰えない事と耐え難い渇きの世界です、動物の世界は本能だけの世界ですが、そう言う処に住んでも、食い物と水は有ります。いきなり『夢幻界』迄引き上げられる程、残念乍ら霊界は甘い世界では無いと言う訳ですね。

では、餓鬼が大勢現れて穢れて仕舞った斎場の場は如何なる事に成ったか…白日様が場を清める為に、『神歌』を上げられました。

そして、次の如く申されたのです…

「ああ、此れで良いぞ。此れで神が御降りに成った訳では無いけれども、燦々と光り輝くものが天界から此の部屋に降りて来て、綺麗に不浄を清めて下されたから、安心致すが良いぞ」…と。