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憲法記念日の日を単なる祝日の一つと遊び呆けるのも良いですが、時には憲法そのものに就いて考えて観るのも良いものです。
日本は紛れも無く世界に誇れる民主国家ですね。
其の根底には民主国家である事を示す日本国憲法が在る…と言う訳ですが、ではそもそも民主憲法とは如何なるものなのでしょうか。
私共の師は民主憲法の定義として三つ掲げています。第一は"誰の手に依って作られた憲法であるか"
第二は"中身に於いて本当に民主主義の原理が流れているか"
第三には"一体其の憲法は何処の国の民主主義か"…実は、万国共通の民主主義等と言うものは無いと言う事なのです。
日本であるなら、当然《日本的な民主主義》で無ければ困る訳です。
一寸びっくりしたかも知れませんが、同じ民主主義と言っても、大統領や総理の権限に於いてすら国に因って異なるのです。
つまり、アメリカ的民主主義とフランス的民主主義と英国的民主主義とは皆違うと言う事です。
師は言います…「万国的民主主義…そんなものは何処にも無いのです。何時も言う言葉です。犬や猫ならワンとかニャンとしか言いませんから万国共通…でも"人間には人間語が無い"のです。
人間には違い無いが、日本語を使う人間か、ドイツ語を使う人間か、英語を使う人間か、フランス語を使う人間は在る…。
人間語を使う人間は何処にも居ない様に、必ず"民主主義でも其の国の色合いの付いた民主主義なのであって、万国共通の民主主義…そんなものは何処にも無い"のです。
こう言う事が、日本では非常に理解されておりません。
だから当然に『日本的民主主義』で無ければ成らん。」…と言う訳です。
では、そう成ると大事に成るのが此の『日本国憲法』の制定の過程と言う事に成って来る訳です。
どうも野党の殊に共産党等の所謂左翼の思想的方々は、日本人の手で結果的に出来たのだから…的な発言を盛んに言いがちである様ですが…。
嘗て、メンソレータムの社長の一柳メレル氏と言う方が…此の方はマッカーサー並びにリッジウェイの顧問を致して居た方で、近江八幡に住んで居ました。終戦後間も無い頃の話しです。
日本占領下に於いて、マッカーサーは一週間毎に…師の記憶する所では毎週月曜日だった様ですが…本国に報告文書を送っていました。内容はどの様に占領政策を行うているかと言う事を逐一文書にて報告していたものです。
例えば、六·三·三制と言う様な、所謂学校制度を変えた内容、地理·歴史を止めて社会科と言う様な訳の分からないものにした内容、そしてどの様に日本国憲法を押し付けたかと言う内容等を細かに報告していました。
其の報告文書のコピーが師匠の身長の二倍程有ったそうです。
其れを一柳さんが所持して居たと言う訳です。
其れ等は将来の日本に執って大きな課題の謂わば歴史の証拠として絶対に必要と成ろうから…と、師匠を信じてくださった一柳さんが師に託してくださった訳です。師は其れを憲法調査会に提出成されたと伺って居ります。
日本国憲法が果たして本当に民主的発想の元に作られた民主憲法であったのか。
師は次の様に語られておられます…
「"経済の解体、軍事の解体、政治の解体では真の占領では無い。国性破壊。其の国自体の持つ民族の伝統と歴史を破壊し、其の国自らの持つ価値観を破壊し無い限り、又ぞろ立ち上がる。国性破壊。国の性格の破壊、日本民族の永遠の弱体化の為に、国性破壊無くて何の占領が在る"…報告文章は此れから始まっているのでした。
日本国憲法は民政局長ホイットニーが兎に角一週間で作った…一週間で自分の部下に依って作成したと言う事実。
問題は此処で有ります。
勿論、日本人なんて全く関与しておりません。
更に酷いのは、此れ全部軍人で…委員が…法律の専門家が居りませんでした。否、此れは一寸言い過ぎなのですが…軍人に成る以前に弁護士だった経歴の人が一人混じって居ますが、此の人は民法か商法かの専門家で、本人自ら曰く「僕は憲法は全くアマチュアです」つまり憲法を全く知らない、然も軍人が…素人が一週間で捏ち上げた。
酷いものなのです。
若し、全然経験の無い方が仮に総務部長に成られたと致しましょう。就業規則を作らねば成らんと致しましょう。そんな物作った事も無い…てな人が作るとしたら、どないします。何か種本が無いと出来ませんから、あっちの会社へ行き、こっちの会社へ行って…うちのあんまり大きさの変わらない所行って…どうぞお宅の就業規則見せて貰えませんか…と言って、四つ五つ集めて来て、其れを種本にして糊と膏薬で貼り付けて作るより仕方が無いでしょうね。
況して憲法を全く知らない人が作るのだから…。
何が一体此の憲法の種本だったかに問題が有るのです。
其れは何と驚くなかれ『共産党宣言』が種本でした。
"万国の労働者よ 結成せよ"と言った、第一回のインターナショナルは言う迄も無く起草委員長はカール·マルクス、ドイツに於いて行われている。
此の宣言書の他にも第四回インターナショナル、フランスに於いて行われた。起草委員長はラッサールでした。
此の宣言書十ヶ条、合わせて二十ヶ条、ニヶ条修正して天皇の項目を入れただけが原案の原案…と、報告文書に出ているのです。
実は種が悪いから、少々修正したってどうにも成らない。
こう言う様に…殊に私は何度か言いました通り、共産主義の入った国は、家庭は、会社は皆滅びます。
一つであるべき筈の国が二つに分かれ、一つであるべき筈の会社が階級闘争で二つに分かれ、一つであるべき筈の家庭が二つに分かれ…必ず内部闘争に明け暮れまする関係で…。
此れで二度と日本は立てんし、二度と外へ向かっての団結が出来んだろうと言う所から、アメリカが共産主義を日本に育てた…と私は何度も言いました。
当然、此れは占領政策の締め括りとして作った憲法ですから、如何なる陰謀が其処に行われておったか。
こう言う様にして…日本人自らの手で出来上がったものなら、日本人の幸せを考えましょうが、"占領政策の締め括り"として作ったと言う事です。
占領政策と言うのは、日本民族永遠の弱体化を図ったもので、此の事は占領政策の目標として報告文書には累々と出ます。
其の占領政策の一貫…締め括りとして日本国憲法は作られていたと言う事実。
日本人の全く関与し無い所で作られた憲法であると言うのが果たして誰の為の、何処の国の、然も民主憲法であると言えるものなのか…良識有る日本人の自由なる意思の表明に基づいて作り上げてこそ、日本人の為の民主憲法と成り得る…」
…と師は憤りを持って嘆息した次第でした。
因みに、師は日本国憲法の中で最大の問題は一寸も憲法第九条だとは思っていませんでした。
「戦争放棄と言うと、何か日本が世界で最初に憲法に明記したかの様に言う者が居ますが、何も戦争放棄は、日本は六番目ですから。
フランス、ブラジル、フィリピン、豪州、スペインそれから日本ですから。
何も頭から誇るべきでは有りません。
そして、フランス辺りだって戦争放棄の憲法を持ち乍ら…言い難いが何遍戦争したか…。
フィリピンたって何遍巻き込まれたか…私は大した事だと未だ思っていません。
其れよりも一つ皆が大変誤解しているのが『自由』と言う事なのです。
自由と言う事は、人格の尊厳から言って最も大事な尊い事です。
然し、自由で有り過ぎる事は果たしてどうなのか。
世の中には"絶対の自由は何処にも無い"と口を開いたら申します。
集団社会の自由は社会的自由、秩序の中の自由であって、秩序を破壊し、無秩序の様な自由と言うものは何処にも無いのです。
だから何れの国の憲法でも、皆"秩序の枠"が必ず嵌められているのです。
己れの我儘の為に、全てを敵として良い様な自由が許されるのが民主主義だと言う大きな履き違いが今の若者達に蔓延している事の方が余程問題なのです。
何処の国の憲法でも、言論結社集会の自由でも全て秩序の中の自由しか説いてません。
日本の憲法は只の集会の自由は保障され、言論結社集会の自由は保障される、何等其処に秩序の枠を与える事が有りません。
果たして文明国家はこう言う立場に於いて成り立って行くものなのでしょうか…。」